ドレーパーズ・ホールのクリスマス・フェア

ドレーパーズ・ホールへの入り口(左手前方)があるThrogmorton Street

前回の記事に、ロンドンのギルド(同業組合)にあたるリヴァリ・カンパニー(Livery Company)の事を書きました。

その中でも、第3番目に重要とされるリヴァリ・カンパニーである、ドレーパーズ・カンパニー(Worshipful Company of Drapers)のギルドホール、ドレーパーズ・ホール(Drapers Hall)内にて、先日、比較的高級な衣料、アクセサリー、食べ物の屋台が並ぶクリスマス・フェアが催されていたので、10ポンドの入場料を払い、入館しました。普段、こうしたリヴァリ・カンパニーのホールを、一般人が見学するには、直接、連絡を取り、ツアーを依頼する方法はあるものの、観光地として公開されてはいないので、こういう行事がある時は、ここぞとばかりにでかけないと。歴史あるリヴァリ・カンパニーのホールは、立派で豪華絢爛なものが多いですから。

ホールへの入り口は、イングランド銀行の裏手にあたる通りを西へ少し行った、スロッグモートン・ストリート(Throgmorton Street)。昔働いていた会社へむかう、駅からの道中にあったため、過去何回も、その前を行きつ戻りつしているのですが、内部に入館するのは、これが初めてです。

この場所は、ヘンリー8世の修道院解散以前は、修道院があった場所の一部でありました。ヘンリーの右腕として修道院解散を決行したトマス・クロムウェルは、この周辺に住んでいたのですが、没収した修道院跡の一部を購入し、ちゃかり自分の屋敷を拡大しています。後の1540年、トマス・クロムウェルが、ヘンリーの怒りを買い、失脚し処刑となると、数年後、今度は、ドレーパーズがこれをヘンリー8世から購入して自分たちのギルド・ホールとしたのが始まりです。1666年のロンドン大火で焼け落ちた後に建て直され、再び1772年の火事で被害を受け再建。19世紀の改造後、現在もドレーパーズのホールとして使用されています。

ドレーパーズ・カンパニーの守護聖人は聖母マリア様。ドレーパーズ・ホールのある周辺の通りには、ドレーパーズの紋章が掲げられていますが、この紋章は、青を背景に、冠の載った3つの雲から、陽光が降り注いでいる、というもの。マリア様の慈愛が、太陽の見えない雲の間からも、さんさんと降り注ぐ、という意味らしいです。

最初のメイヤー、ヘンリー・フィッツアルウィンの肖像

ドレーパーズは、もともとは、毛織物を主とした布地商人たちのギルドで、上記の通り、数あるリヴァリ・カンパニーの中でも3番目に重要とされるため、100人以上の過去のロード・メイヤー(シティー・オブ・ロンドンの長)は、ドレーパーズのメンバーであったと言われます。中世イングランドの富は、毛織物で築かれたわけですから、ドレーパーズが有力であったのは理解できます。リチャード1世時代に任命された第一代目のロード・メイヤー、ヘンリー・フィッツアルウィン(Henry FitzAilwin)もドレーパーズであったため、一階のロビーには、彼の肖像画かかげられています。この肖像の前で、受付のおねーさんからクリスマス・フェア入場チケットを購入して、

堂々たる階段を上り、2階へ。階段の途中で、お買い物用にと、プラスチック・バッグを渡され。

内部は上品そうな人たちで、賑わっていました。皆、お買い物に熱心で、観光客根性丸出しで、あちこちに並ぶ商品よりも、天井やら絵画やらをきょろきょろ、じろじろ見て回っていたのは、時にセルフィーを取っていた2,3人の人たちを除けば、私くらいでした。

メンバーの食事会などにも使用される豪華なリヴァリ・ホール

18本の大理石の柱に囲まれたリヴァリ・ホールと呼ばれる大広間が一番見事。

柱の間には、ウィリアム3世からの歴代の王様女王様の肖像画が飾られています。

「英国王のスピーチ」からのリヴァリ・ホールを使用した場面

このホールは、現エリザベス女王の父王であったジョージ6世のどもりとの戦いを描いた、「英国王のスピーチ」という映画の1シーンに登場していました。兄王であったエドワード8世が、離婚歴のあるアメリカ人、シンプソン夫人と結婚するため退位宣言をし、思いがけず、王になってしまい、彼が王になる事を承認する儀式で、セント・ジェームズ宮殿の代わりに使用されていたものです。ヴィクトリア女王、父王ジョージ5世などの過去の君主たちの肖像画が見守る中、緊張しながら、顔をひきつらせ、ぎくしゃくと宣誓をする場面でした。

片側に海軍の英雄ホレイショ・ネルソン、反対側にワーテルローの戦いの英雄ウェリントンの肖像を飾ったコート・ルームも「英国王のスピーチ」内に登場していました。ネルソンは、ナイルの海戦での勝利の後、ドレーパーズ・カンパニーから名誉メンバーとして迎い入れられています。その他、有名なメンバーとしては、エリザベス1世時代のフランシス・ドレイクウォルター・ローリーなどもいます。17世紀の著名木彫り彫刻家のグリンリング・ギボンズなども、自分自身は毛織物商売とは関係なかったのでしょうが、父親がドレーパーズのメンバーであったため、ロンドンに落ち着いてからはドレーパーズのメンバーとして受け入れられています。

コート・ダイニングルームというお部屋には、現エリザベス女王の大きな肖像画飾られていました。父王ジョージ6世も、王となる前からドレーパーズのメンバーであったのですが、彼女も、まだ、お姫様であったころから、ドレーパースの名誉会員なのだそうです。

ドローイング・ルームの立派な天井。ギルドの拠点というより、全体的に宮殿のようですね。

最終的に、私は、ひやかしで、ちらちら屋台を覗いたものの、何も買わずに、外へ出ました。夕刻にしてすでに夜のようなロンドンの冬、ドレーパーズ・ホールのステンドグラスからの明かりが通りにきらめいているのを眺め、クリスマスも近いロンドンの雰囲気は味わえました。

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