ブルームバーグ・タブレット

ポンペイの夫婦の壁画
上の絵は、79年ヴェスビオ火山の噴火により、埋もれた都市ポンペイにて発見された有名な壁画。パン屋のテレンティウス・ネオ(Terentius Neo)とその奥さんの肖像とされます。この壁画、夫婦が平等に描かれていることから、当時、女性の地位が確立されていたという証拠として取りざたされる他、この二人が、それぞれ、書類(手紙)を手にしていることから、両者とも読み書きができ、教養があったという事を示すものとされます。そして、この二人がそれぞれ手にする書類は、ローマ帝国で使用された2つのタイプの筆記用具を知るに、便利なものです。まずは、だんなが手にするのは、いわゆる、「柔らかい」媒体であるパピルス(紙)。そして奥さんが手にするのは、「硬い」媒体である板のタブレット。

パピルスは、おそらくエジプトから輸入されたものを使っていたのではないかとされますが、その他にも、輸入品が入手しがたい際は、木材をうすーく削ったものを紙として使用することもあったようで、この上にペンとインクで筆記をすることとなります。一方、奥さんの持つタブレットは、2枚の木の板を合わせ、その片側をかなめで留め、カードのように開くようにしたものです。木の板の内側は浅く凹型に掘られ、そこに、すすを混ぜて黒くした蜜蝋を入れ、滑らかにならし、その蝋の上に、スタイラスと称される鉄製ペンで筆記。奥さんが口元にあてがっているのが、タブレット用に使用するスタイラスです。往々にして、スタイラスの片側には、魚のしっぽのような平たいものが付いており、間違えをしたら、こちらの方で、蝋をこりこりひっかいて消す・・・要は消しゴム付きエンピツの感覚。また、書いたものの大部分を修正したい場合には、大きなヘラのようなもので、蝋を削り、再び蜜蝋を入れて、やり直しもできたようです。

さて、場所をイタリアからイギリスへ移します。ローマ軍は、43年にイングランドへ侵入した後、どんどん領土を伸ばしていくのですが、スコットランド部分の制覇は無しえず終わります。ローマ皇帝ハドリアヌスの時代、スコットランドからの野蛮人の侵入を抑えるために、現在のイングランドとスコットランドの境界周辺に、122年ころ、ハドリアヌスの長城が建築されます。1973年、このハドリアヌスの長城付近のローマ駐屯地ヴィンドランダ(Vindolanda)にて、数多くのローマ時代の手紙が発見。これらは、ヴィンドランダ・タブレット(Vindolanda Tablets)と呼ばれ、その多くは、今は、大英博物館に保存されています。ヴィンドランダで発見されたタブレットは、「柔らかい」タブレットで、薄く剃った木をパピルスの代わりに使用し、そこにペンとインクで書き込んだもの。ヴィンドランダの手紙が書かれた年代は、長城建設前の、92~103年ころとされ、最近まで、イギリス国内で発見された最も古い手記とされていました・・・40年代~90年代にかけて書かれた、ブルームバーグ・タブレット(Bloomberg Tablets)が発見されるまでは。

前回の「ミトラス教神殿」に関する記事で、ロンドンのウォルブルック(Walbrook)という場所で、ブルームバーグ社の新しいビル建設に先立って、考古学者による発掘作業が執り行われ、数々のローマ時代の遺品が出土されるに至った事に触れましたが、その中でも、なにかと話題になったのが、このブルームバーグ・タブレット。ポンペイの壁画の奥さんが持っているような、板に蜜蝋を敷いたタイプのものが大量に発見されたのです。出土されたタブレットの破片の数はなんと約400。もっとも、ウォルブルックは、湿った地質で、木材や皮製品の保存状態は非常に良いのだそうですが、残念ながら、タブレットの中に埋め込まれていた蜜蝋は、ほとんど、すべて溶け出して消え失せてしまったそうです。ただし、金属のスタイラスでこりこりと書いた跡が、蝋を通して板にも残っているものも多く、そうした場合は、何度も訂正して上書きされていない限り、何が書かれているか、解読が可能なのだそうです。

上の写真は、ローマ時代は、ロンディニアムと呼ばれた、シティー・オブ・ロンドン内にて発見された一番古い金融証書とされます。ブーディカの反乱以前の、57年に記されたタブレットで、ミトラス神殿への入り口付近の、ショーケースの中に展示されています。タブレットの下に展示されている長い釘のようなものが、筆記用スタイラスです。内容は、つけで、ある品物を購入した人物による借用証書。こちらも蝋はすっかり消え失せ、肉眼では、何が書かれているかなど、全くわかりませんが、板に刻まれたスタイラスの跡を、特別な装置を使用して、丸々、読み取ることができたそうですので、テクノロジー様様です。

という事で、ミトラス神殿に足を運ぶ機会があったら、この2000年近く前の、ローマ時代の筆記道具とシティーで一番古い金融証書もお見逃しなく。

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