情緒あふれるコーフ城

崩れかけた古い修道院や城というのは、諸行無常の哀愁が漂い、味があるものです。英語で形容すると、「evocative エヴォカティヴ」と言ったところでしょうか。心に眠っていた記憶、感情などを、揺り動かし、沸き立たせるような、という意味の形容詞です。

私が、今まで、イングランド内でいくつか見てきた廃墟の中でも、一番情緒あふれ、一番「evocative」だと、感じたのが、コーフ城(コーフ・カッスル Corfe Castle)です。まあ、それだから、夕日の中、または朝もやの中、丘の上にたたずむコーフ城のシルエットが、過去からの亡霊の様に浮かび上がる姿は、カレンダー、雑誌などで頻繁に使われるのでしょう。以前から、行きたい、行きたいと思っており、今回やっと訪れました。

コーフ・カッスルの村に夕方到着し、村内の比較的高めのホテルにチェック・イン。それでも、当日駆け込みであったため、良い部屋を少しディスカウントしてくれましたし、部屋はオールドファンションな魅力があり、夜間の路上駐車を非常に嫌うだんなは、ちゃんと大きな駐車場が付いているのにも満足であったようです。

コーフ城の全景を眺めるため、コーフ城のすぐわきの丘に、2度登りに出かけました。まずは、ホテルへのチェック・インを済ませてすぐ、コーフ城の夕暮れを見に。

そして翌朝の朝食後に、再び。今度は、もっとはっきり、城の輪郭や近辺の様子が見れるように、おっちら、おっちら、急斜面を登り。

コーフ・カッスルの村全体も、よく見えました。

丘を降りてすぐの場所には、コーフ城と海辺の町スワネジ(Swanag)を結び、蒸気機関車が走る、Swanage Railway(スワネジ・レールウェイ)の、コーフ・カッスル駅(Corfe Castle Station)があります。大体、こういう観光客用のヘリテージ路線は、ボランティアが働いている事が多いのですが、子供の頃から鉄道好きで・・・というタイプのボランティアが多いのでしょう、好きなことをやっているため、生き生きとした元気の良い人が多いのです。構内をほうきで掃除していたおじいさん、私たちと目が会うと、陽気に「グッド・モーニング!」発車の時間帯を聞くと、パンフレットを持ってきてくれ、「今日のスケジュールはこれ。合う時間があったら、ぜひ乗って行くといいよ。」

駅を離れ、村の中心には、グレイハウンズと言う名のパブがあります。外壁に掲げられてあった説明を読むと、

イングランドで最も古いパブのひとつで、建物の古い部分は1580年以前に遡り、「The Greyhounds」という名は、コーフ城と、他の4つの城の間を行き来した、王のメッセンジャーの俗称に由来するということ。そして、さらには、堂々と、「The Most Photographed Pub in England イングランド内で、最も頻繁に写真に取られるパブである」と断言しているのです。もしこれが本当だとしても、その理由は、パブ自体の歴史や見栄えや、由緒正しさのため、と言うより、

パブの後ろにそそり立つコーフ城を写そうとすると、必ず、写真の中に入ってしまう、抜群のロケーションのせいだと思うのですが・・・・。

コーフ城も、National Trust(ナショナル・トラスト)により所有経営されています。ナショナル・トラストは、今や、イギリス内でも有数の土地持ちですから。うちも、かなり長い間ナショナル・トラストのメンバーで、毎年会費を払っている分、トラスト所有の建物の入場は無料になりますので、入らない手はないのです。

ノルマン人征服の後、城作りに余念の無かったウィリアム1世時代、すでに建設が始まり、徐々に拡大。キープと称される高い塔が建てられたのは、ヘンリー1世の時代と言われています。ジョン王、ヘンリー3世、エドワード1世なども、城の増設、補強に手を加え。後には豪勢な屋敷としての内部改造も行われ。

城が破壊されるのは、言わずと知れた、清教徒革命の、イングランド内戦(1642-1651年)でのこと。当時の城主バンクス家は、反オリバー・クロムウェルで、チャールズ1世を支持する王党派であり、コーフ城は、議会派の軍に包囲されながら、2回に渡る攻城戦を経験。途中、だんなに死なれてしまった後、未亡人となったバンクス夫人は果敢に城に立てこもり、ドーセット内の他の地のほとんどが、議会側に落ちた後も、受け渡しを拒否し、ふんばるのです。イングランドで最も落すのが難しい城のひとつと言われただけあって、議会軍はかなり手こずるのですが、最終的に、1646年、内部の裏切り者により、城は受け渡されることとなります。バンクス夫人の肝っ玉に尊敬の念を抱いた議会軍側は、城の鍵をバンクス夫人に献上。それでも、城は後に使い物にならぬよう、破壊されてしまうわけですので、鍵は、本当にシンボルとしての意味しかないのですけどね。彼女の肖像を見ると、男性的な四角い顔に、それは意思が強そうな表情を浮かべています。彼女が亡くなるのは、1660年の王政復古でチャールズ2世が王座に着く1年後、息子が王からサーの称号を受けるのを目撃してからですので、いささかの心の慰めにはなったでしょう。

廃墟となった城は、ロマンチックなヴィクトリア朝に、観光の対象として見直され、特に鉄道が通った1888年後は、ガイドブックを抱えた物見遊山の人の数が増え、周辺に宿泊場、店、飲食店も増えて行くわけです。コーフ城の廃墟は、バンクス家の手に留まっていたそうですが、1982年に、ナショナル・トラストに寄贈され、歴史的意味のある場所として、将来の存在が確保される事となります。

廃墟の中を歩いているときに、景色の中に、白い煙が上がるのが見え、かすかに、シューシューという音が聞こえてきました。「あ、汽車だ。」他にも何人かの観光客が、蒸気機関車が走っていくのを立ち止まって眺め。

汽車は、私たちの目の前を横切り、上述のコーフ・カッスル駅にすべりこんでいました。汽車に乗りたい気分も山々ではあったのですが、この日は、旅行最終日、まだまだ寄りたい場所も3,4箇所残っており、残念ながら、見送ることにしました。

今回のサマセットとドーセット旅行中、行く先々、どの場所も「また来たい」と感じたのですが、コーフ城周辺は、「絶対にまた戻って、ゆっくり滞在したい」という、一番のお勧めです。情緒あふれる古城と汽車、美しい海岸線にも近く、イングランドのいいとこ取りの様な場所。私はまた、歩くのが大好きなので、周辺の丘を、一日中歩いてみたいです。そんなこんなで、情緒あふれるコーフ城に座布団10枚献上!

コメント