アリマタヤのヨセフとキリストはグラストンベリーを訪れたか?

アリマタヤのヨセフ(英語の発音はジョーゼフ、Josepf of Arimathea)は、聖書では、キリストの弟子であるとされていますが、実は、マリア様の叔父さん、キリストの大叔父にあたる人物であった、などとも言われています。エルサレムの裕福な商人であった彼は、キリストが十字架で処刑された後、彼の遺体を引き取り埋葬したとされます。その事自体、信憑性があやふやであるのですが、更に、ヨセフは、その後、紀元1世紀のイングランドはグラストンベリーへやって来て、グラストンベリーに初のキリスト教コミュニティーと教会を設立した・・・という伝説もあるのです。ホントかいな?

1世紀に、海を越えてイングランドにやってきたヨセフは、グラストンベリーにたどり着くと手に持っていた杖を地面に突き立てた・・・すると、その杖はあれよあれよと言う間に、根を下ろし葉を噴出した。ヨセフの杖から生えたこの木は、いわゆるグラストンベリー・ソーン(Glastonbury Thorn)。サンザシ属の植物で、中東が原産。年に二回、キリストの誕生を祝うクリスマスと、キリストの復活を祝うイースターに花を咲かせる事から、ホーリー・ソーン(Holy Thorn、聖なるサンザシ)とも呼ばれています。ヨセフは、杖からホーリー・ソーンが生えたのを見て、これは何かのお告げであると、この地にキリスト教の教会を設置し、原住民たちのキリスト教への改宗活動をはじめたと言うのです。グラストンベリー・ソーンを、実際にイギリスで育てるには、イギリス原産のホーソーン(hawthorn、さんざし)に接ぎ木する必要があるようです。ちなみに、イギリス原産のさんざしは、メイフラワーの通称からも分かるよう、5月に花を咲かせるのが普通です。

ヨセフの杖から生えたとされる、グラストンベリー西部の丘の上にあったオリジナルのグラストンベリー・ソーンは、後に、奇跡、伝説や聖人を嫌う、清教徒によって切られてしまったそうですが、グラストンベリーの町内の聖ジョン教会(St John's Church)の庭、グラストンベリー修道院跡地内で、今でも、かなり年代もののグラストンベリー・ソーンを見ることが出来ます。聖ジョン教会のグラストンベリー・ソーンは、毎12月になると、市長が、花の咲いた一枝を切り落とし、女王に送るのが伝統となっているそうです。そして、その枝は女王一家のクリスマスの朝食のテーブルに飾られるのだそうです。何でも、これはアン女王時代に遡るしきたりだということ。

さて、ヨセフがグラストンベリーにもたらしたとされるのは、グラストンベリー・ソーンだけには留まらないのです。最後の晩餐で、また、十字にかけられ、わき腹を傷つけられたキリストの傷口から噴出した血を受けるのに使用されたと言う聖杯(Holy Grail)を、ヨセフはこの地に持ってきたのだと。グラストンベリー・トーのふもとに、チャリス・ウェル(Chalice Well)と呼ばれる泉がありますが、ヨセフは聖杯をこの泉の水の中に隠したという話があり、その時、泉の水は赤く染まったと。この伝説のおかげで、チャリス・ウェルの水は、傷や病を癒す効果があるとされています。

そして、また、すごい事に、グラストンベリーにやって来たのは、ヨセフだけではない。若き日のイエスが、ヨセフに連れられてやって来たことがある、という説も在るのです。

イングランド人の愛国心を煽る歌に、聖歌「エルサレム」がありますが、時に「グラストンベリー聖歌」と称されることもあります。詩は、18世紀の詩人、ウィリアム・ブレイク(William Blake)によるもので、キリストがイングランドの地に降り立ったことがある、という伝説が元になっています。歌詞は以下の通り。

And did those feet in ancient time
Walk upon England's mountains geen
And was the holy Lamb of God
On England's pleasant pastures seen

And did the Countenance divine
Shine forth upon our clouded hills
And was Jerusalem builded here
Among these dark Satanic Mills

Bring me my Bow of burning gold
Bring me my Arrows of desire
Bring me my Spear: O clouds unfold
Bring me my Chariot of fire

I will not cease from Mental Fight
Nor shall my Sword sleep in my hand:
Till we have built Jerusalem
In England's green and pleasant Land

ざっと訳してみると、

古の時代、あの御足が
イングランドの緑の丘を歩いたのであろうか
神の聖なる羊が
イングランドの心地よい牧草地にいたのであろうか

神の顔が
この雲に覆われた丘の上から輝き渡り
エルサレムがこの地に築かれたたというのか
いまや黒い煙を吐く悪魔の工場の只中に

我に黄金に輝く弓を与えたまえ
我に情熱の矢を与えたまえ
我に槍を与えたまえ、ああ、雲よ、散るがいい
我に炎の戦車を与えたまえ

我は精神の戦いを止めることなく
剣は我が手で眠ることはない
我々が新たなるエルサレムを作るまで
このイングランドの、緑なる心地よき土地に

ここでブレイクの言う「あの御足」は、イエス・キリストの足のこと。20世紀初頭にチャールズ・ヒューパート・パリーによって曲がつけられて、現在でも、声たからかにこれを歌うと、イングランド人の涙腺をほろっとさせる効果がある感じです。第3節の最後のフレーズ「Chariot of Fire チャリオット・オブ・ファイヤー」は、映画の題名(日本では「炎のランナー」)としてもおなじみです。

ヨセフとキリストがグラストンベリーへ来たなんて、土地の重要性を強調するための嘘に決まってる・・・というのが一般論でしょうが、実際、「いや、まったく現実性に欠ける話でもない」とする歴史家などもいるようなのです。商人としてヨセフが、スズ(tin)の発掘が盛んに行われていたコーンウォールなどのイングランド南西部に訪れたというのはありえるし、少年青年期の記録がほとんど無いキリストの生涯の事、小さい頃、大叔父に連れられて海を渡った可能性もある、また、その後、一時的にイングランドで教育を受けた可能性もあるなどと言うのです。まあ、「あり得る」から、「実際あった」とは、当然、限らないわけで、ただの伝説である可能性のほうが高いでしょうね。面白い話ではあります。

コメント