キス・ミー・ハーディー!

前回の記事のチェズル・ビーチ周辺を去った後、今度は、少し北へ車を走らせます。たどり着いた丘、ブラックダウン(Black Down)の一番標高が高い場所に立つのが、ハーディー記念碑(Hardy Monument)。

このハーディーは、ドーセットゆかりの作家、トマス・ハーディーではなく、イギリス海軍のサー・トマス・マスタマン・ハーディー(Sir Thomas Masterman Hardy 1769-1839)の事。このふたり、どうやら、ご先祖様を同じくするようですが、「ハーディー」という苗字だけでなく、ファースト・ネームまで同じ、出身も、双方ドーセット州なので、ちょっとややこしいです。

ハーディー記念碑はナショナル・トラストにより管理されており、駐車場に到着したときは、閉める10分前とやらで、門の前で、ナショナル・トラストのおにいちゃんが、すでに立って、待っていました。「あと、10分で閉めるけど。」と言われ、「ちょっと降りて、くるっと辺りをみるだけだから。」と私たち。記念碑と言っても、近郊のポートランドから切り出したポートランド・ストーンを使用した煙突風のものがどーんと立っているだけ。周辺の見晴らしはとても良いです。

1805年10月21日、トラファルガーの海戦。戦艦ヴィクトリー号の甲板上で負傷したホレーショ・ネルソン提督。その時、そばに立っていたのは、友人であり、ヴィクトリー号のキャプテンでもあったトマス・ハーディー。

ネルソンは船内に担ぎ込まれ、死が近づく中、ハーディーは、2回ネルソンを訪れ、二人は最後の会話を交わすのですが、その時に、ネルソンが言ったというとても有名な言葉は、

"Kiss me Hardy!" (ハーディーよ、キスしてくれ!)

これに答えて、ハーディーはネルソンの頬にキスをするのです。
そしてネルソンいわく、
"Now I am satisfied. Thank God I have done my duty."
(今は満ち足りた気持ちだ。義務を果たせて良かった。)
しばらくネルソンを黙って見守っていたハーディーは、再びひざまずき、今度は、ネルソンの額にキスをするのですが、すでに視界が朦朧としていたネルソンは、
"Who is that?" (誰だ?)
"It is Hardy." (私です、ハーディーです。)
"God bless you, Hardy." (ハーディー、君に神の加護があらんことを。)

この際の2人の会話に関しては、下のサイトを参考にしました。
http://www.rmg.co.uk/explore/sea-and-ships/in-depth/nelson-a-z/kiss-me-hardy

このサイトによると、死に際のネルソンが「キス・ミー・ハーディー!」と言った事実は、目撃者により記載され、更に、他にも立ち会った人物の証言が在るにもかかわらず、後の世代の人間が、ネルソンがこんな、おセンチで、恥ずかしいことを言ったわけがない、本当は「Kismet Hardy」と言ったのを、間違って記述したのではないかと言う、まことしやかな伝説が流れたのだそうです。「Kismet」とは、トルコ語で運命の事だそうですので、「宿命だよ、ハーディー!」なんで、わざわざ、トルコ語でハーディーに話しかける必要があるのか、やはり、無理やりのこじつけ説でしょうね。当時の風潮や、ネルソンの性格などを考慮すると、友人に別れのキスを依頼する「キス・ミー・ハーディー!」は、非常に、彼らしい言葉であったということです。

神のご加護をしっかり受けたトマス・ハーディーは、この後、準男爵の位を得、70年の人生をまっとうします。

記念碑は、ハーディーの死後、彼の住んでいたポテシャム(Portesham)のそばの、この地に建設。1844年、トラファルガーの海戦39周年記念の日に、ハーディーの娘により、礎石が置かれ建設が開始、翌年完成。

高さ22メートルの、この記念碑の形ですが、私の観光ガイドのひとつによると、「巨大蝋燭立て」「ペッパーミル」「クリノリンを身につけた工場の煙突」などと描写されることがある、と書いてあり、笑ってしまいました。特に、「クリノリンを身につけた工場の煙突」はね、確かに!誰が考え付いたか、上手いことを言ったものです。

小高い丘の上にあるので、クリノリンを身につけた工場の煙突は、遠くからでも目に入ります。ナポレオン戦争中は、この場所に、フランスの侵略に備えて、敵が近づいて来た時のための伝達用として、ビーコン(篝)がそなえつけてあったそうです。

周辺の景色をぐるりと楽しんでから、大急ぎで車に戻り、駐車場閉鎖ぎりぎりで脱出しました。じっと、門のそばで、私たちが出て行くのを待っていた、ナショナル・トラストのお兄さんに、窓から手を振って。

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