闇の奥


小説「闇の奥」(Heart of Darkness)の作者、ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad 1857-1924)という人物は、なかなか面白いバックグラウンドを持った作家です。

ポーランドの貴族の家系で、生まれたのは当時ロシア占領下のポーランド(現在はウクライナ領土)の町、両親共に文学者で、父親はシェークスピアの翻訳なども行っており、早くから文学に親しみ。両親は、政治的に反ロシアの活動を行い、やがて、家族は、北ロシアへ追放される。両親を早くして亡くし、15,6歳にして、船乗りとなる。やがて、イギリス商船で働くようになり、その後、イギリスに帰化。

語学の才に長けた人で、母国語と呼べるものは、ポーランド語、フランス語、ロシア語。そして学校ではドイツ語とラテン語も学び、英商船勤務中に、英語もマスター。コンラッド自身は、フランス語あたりで書いても良かったのでしょうが、イギリス人にとっては幸いな事に、「闇の奥」は、英語でかかれる事となります。

船乗りとして勤務の間、オーストラリア、極東など、色々な場所を訪れ、それも作品のインスピレーションとなっているようです。「闇の奥」の語り手、船乗りのマーローが、子供の頃に、世界地図を見ながら、ここも行きたい、あすこも行きたいと、思いをめぐらしたくだりなどは、本人の子供時代の思いにつながるものがあるのでしょう。

はっきりどこが舞台か明記していないものの、「闇の奥」の物語が展開されるのは、ベルギー国王レオポルド2世の支配下の、コンゴ。マーロー同様、コンラッドも、まだ未開で、内陸の事情が良くわかっていなかったアフリカに惹かれ、コンゴで蒸気船の船長となり川を上り。そこで繰り広げられる、白人による現地人に対する残虐な行為を目撃し、精神的衝撃を受け、その印象は一生続く事となったようです。ベルギーなどの、今は大人しい、害の無いイメージの国も、昔は、やはりひどい事していたものです。先進国で、過去、手に血がついていない国は、無いのかもしれません。

小説内初めの方に、マーローが、テムズ川に停泊する船上に座りながら、かつて、ローマ支配下にあったイギリスに思いをはせ、支配者としてやって来たローマ人は、当時のイギリスに対し、マーローの時代の西洋諸国がアフリカに抱くのと同じような印象を持っただろうと考察し、また帝国主義、植民地政策に対して意見する、下のくだりがあります。

They were conquerors, and for that you want only brute force — nothing to boast of, when you have it, since your strength is just an accident arising from the weakness of others. They grabbed what they could get for the sake of what was to be got. It was just robbery with violence, aggravated murder on a great scale, and men going at it blind — as is very proper for those who tackle a darkness. The conquest of the earth, which mostly means the taking it away from those who have a different complexion or slightly flatter noses than ourselves, is not a pretty thing when you look into it too much.
彼らは征服者だった、そのために必要なのは獣の様な力のみ。そんな力を有するからとて、何を威張る必要も無い、何故なら、その力は、他人の弱さから生ずる偶然の産物なのだから。手に入るから、という理由だけで手に入れられるものは全て略奪する。ただの、大規模な、強盗、凶悪な殺人と同じ事、そして、人は目をつぶって事にあたる・・・闇と格闘する者としては適切な方法だね。世界の制服、それは、大体において、我々と違った肌の色をし、我々より少々低めの鼻を持った人間達からの略奪を意味する、あまりに直視すると、醜いものだよ。

1885年、先進国の間で、アフリカの支配問題を取り上げた、ベルリン会議において、ベルギー国王レオポルド2世は、コンゴの大部分を、国王の直接の支配下の私有地(!)として獲得。当時、コンゴの魅力は、ゴム、そして象牙。従業員を使うよりも、安く上げるため、レオポルドは現地の人間を奴隷として使用し、その奴隷の扱いの酷さは悪名高いものがあります。大人しく従わない者は、鞭で打つのはもちろん、手をちょん切る、足をちょん切る・・・。他国からの非難の声もどこふく風。

話を小説へ戻し、地図の上を、へびの様にくねるコンゴ川(上の図参照:ウィキペディアより拝借)に魅せられ、どうしてもその川を上ってみたかったマーローは、フランスに住む叔母のつてで、フランスの貿易会社に雇われ、コンゴ川を行く蒸気船の船長としての職を得る。現地へ赴く前に、医者による身体検査があり、この医者、科学的興味から、アフリカなどに赴こうという人物の頭の大きさを測る、という事もします。あんな所へ自らすすんで行こうなんて、気がふれているに違いない、という事でしょうか。

コンゴの、中央出張所に滞在中に、マーローは、内地の出張所にいる有能な代理人、カーツ氏(Mr. Kurtz:カーツは英語読みです。日本語ではドイツ語読みのクルツで訳されているようです。)の噂を聞き、興味を覚える。このカーツが、実際に登場するのは、物語もかなり後半に入ってからで、それまでは、数々の噂話から、マーローが、彼の人物像をあれこれ想像し、読者も、こいつは一体どんな奴か、と一緒に想像。やがて、奥地へ入るべく、蒸気船で川を上っていく間も、マーローの目的は、何よりも、カーツと対話する事。

カーツは、洗練され、音楽の才があり、喋りが上手く説得力がある人物という設定。ジャーナリズムにも手を出していたものの、はっきりとした職が無かった彼。美しいフィアンセがいながら、彼女の親戚からの反対を受け、一攫千金、一旗上げようと、思ったのか、コンゴの職を得、会社内でも、やがては上まであがる人物と見られていたのが・・・。コンゴの奥地に滞在するうちに、原住民に、神の様にあがめられるような存在となり、現地化していく。また、象牙に対して、非常な愛着を引き起こし、ありとあらゆる方法で、象牙を獲得。いわゆる、文明社会へ戻る事に背を向け始め、マーローが蒸気船でやって来た際には、カーツは病気であったものの、船内に一度運ばれた後、脱走を試みる。

カーツは、帰りの川を下る蒸気船の中で息を引き取るのですが、彼の最後の有名な言葉が、「The horror! The horror!」(恐怖!恐怖!)。この「恐怖」が、何に対するものなのか、「闇」とは何を指すのか、今も、色々意見が戦わされているようです。文化的な洗練された人間が、別の文化と接した際、それまでの価値観も考えも全て転倒し、今までの自分というものの内容が無意味となる恐怖。コントロールの利かない欲と野望に飲み込まれた個人や社会、そして国、そこにモラルや人間性などの存在余地があるやもわからない恐怖。

小説の解釈はともあれ、レオポルド2世はいなくなったものの、現在のコンゴの社会も、まじまじと覗くのが辛い、闇の中の感があります。

コメント

  1. こんばんは
    アフリカは暗黒大陸と呼ばれていたのですから、白人たちにとっては恐怖の対象でもあったはずですよね。今、アフリカはその闇からぬけだそうと、もがいているように思うのです。スーダン、モロッコ、チュニジア、ソマリア、コートジュボアール、何があってもおかしくはないですよね。
    映画「地獄の黙示録」を思い出しました。

    返信削除
  2. 大昔、劇場で見た「地獄の黙示録」、小説内のカーツがモデルになっているはずのマーロン・ブランド扮する人物より、ロバート・デュバル扮する半狂乱の司令官と、ワグナーの音楽にあわせたヘリでの爆撃シーンが、やはりこの映画の一番の印象でした。
    チュニジアはびっくりですね。

    返信削除

コメントを投稿