ハットフィールド・ハウス

エリザベス1世、若き日のゆかりの館、ハートフォードシャー州にあるハットフィールド・ハウス(Hatfield House)を実に久しぶりに訪れてきました。ロンドン中心地(キングス・クロス駅)から電車で30分ほどのハットフィールド駅のすぐ前と、車が無くとも観光に便利な地。その便利さと、エリザベス女王ゆかり、というのもあってか、なかなか繁盛しています。 ハットフィールド・ハウス、もともとは、イーリー司教、またカンタベリー大司教ともなったジョン・モートンが1485年に建築を開始した館。モートンは、若きトマス・モアが仕えた人物でもあります。後の世代、館と土地は、例によって例のごとく、暴れん坊ヘンリー8世が、ちゃっかり、自分のものとして没収してしまいます。そして、自分の3人の腹違いの子供達、メアリー、エリザベス、世継ぎのエドワードの居住地とします。 モートンが建て、エリザベス達が住んだ、チューダー朝の館は、現代は上の写真のバンケティング・ホールが残るのみです。バンケティング・ホールは木製の天井が見事。この日は、結婚式か何かの催しをやっていたようで、戸口付近から、中を覗き、天井を仰ぎました。こういうお屋敷の維持もお金かかるでしょうから、色々なべニューとして貸し出して、多角経営で金儲けしないと・・・と言ったところでしょう。敷地内の別の場所では、オークションなども行われていた模様です。 今、ハットフィールド・ハウスと言うと、メインの建物は、こちら。ロバート・セシル(第1代ソールズベリー伯)が建てた、ジャコビアン(ジェームス1世時代)の建物です。従って、エリザベス女王の死後に建てられたもの。ジャコビアンと言えば、シェイクスピアなども、エリザベス女王時代の劇作家のイメージが強いけれども、ジェームズ1世戴冠後の活動の方がさかんなので、ジャコビアンの劇作家と呼んだほうが適格だ、などという話も聞いた事があります。 ロバート・セシルは、エリザベスが、王座に付いて以来、ずっと片腕として信頼してきた宰相ウィリアム・セシルの息子。エリザベス治世の成功は、彼女の人選力が優れていたから、などとも言われています。ウィリアム・セシル亡き後は、ロバートが後を継いで宰相となり。エリザベスは、この5年後(1603年)に亡くなっており、子供のいないエリザベスの後継者として、スコットランド、スチュアート...