ロンドン、タワーブリッジの歴史
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帆船を通すために橋げたを上げるタワー・ブリッジ |
ロンドンのタワー・ブリッジ(Tower Bridge)をもって、「これが、ロンドン・ブリッジ(London Bridge)だ。」と勘違いしている人がわりといるという話はあります。
昔は、上に家や店なども立ち並んだロンドン・ブリッジも、今では、何の変哲もないコンクリート橋なので、ロンドン塔のそばに美しくそそり立つこの橋こそが、ロンドン・ブリッジなのでは、と思ってしまう気持ちはわかります。
1729年に、ロンドン西方にパットニー・ブリッジが建設されるまでのそれは長い間、ロンドンでテムズ川を渡れる橋は、ロンドン・ブリッジのみでした。
1729年に、ロンドン西方にパットニー・ブリッジが建設されるまでのそれは長い間、ロンドンでテムズ川を渡れる橋は、ロンドン・ブリッジのみでした。
その後、次々に、ウェストミンスター・ブリッジ(1750年)、ブラックフライヤーズ・ブリッジ(1759年)などが建設されるにいたるのですが、ロンドン・ブリッジの東側には、一向に橋は建てられず、ロンドン東部で川を渡るには、大混雑のロンドン・ブリッジか、小舟やフェリーで、岸から岸への渡し船サービスに頼るほかは無かったのです。
1843年には、ロンドン東部のドックランズに、マーク・ブルネルとイザムバード・キングダム・ブルネル親子による、世界初の水底トンネルが完成するのですが、これは、後に鉄道が走るようになるものの、当初は歩行者のみのトンネルであり、大量の物資や、馬車の移動には不向きで、ロンドン・ブリッジの混雑や、テムズ川東部の水上混雑の解決には至らずに終わります。
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太鼓橋のようなタワーブリッジ最初の案 |
そして、ついに「ロンドン橋の東にも、橋をつくらにゃならん」と決まり、そのデザインのコンペが1870年代に行われます。これには、人や荷物を移動させる舟渡業に携わる人々から文句が出たようですが。
このコンペで選ばれたデザインは、レドンホール・マーケットや、スミス・フィールド食肉市場などの設計で知られる建築家のホーレス・ジョーンズ(Horrace Jones)。彼は、また、審査員の一人でもあったというのですが、本人もちゃっかりコンペに参加し、当然、自分のデザインを押したのかもしれない。
このコンペで選ばれたデザインは、レドンホール・マーケットや、スミス・フィールド食肉市場などの設計で知られる建築家のホーレス・ジョーンズ(Horrace Jones)。彼は、また、審査員の一人でもあったというのですが、本人もちゃっかりコンペに参加し、当然、自分のデザインを押したのかもしれない。
もっとも彼が最初に提案したのは、二つの塔の間に太鼓橋のようなものがサンドイッチされているあか抜けないデザインで、こちらは審査委員会により却下されています。
これを、国会議事堂を手掛けた建築家の一人であったチャールズ・バリーの息子、ジョン・ウルフ・バリー(John Wolfe Barry)の手助けをかりて案を練り直し、橋の上に直線の二つの歩行者道がある現在のデザインへ変更されます。
橋としての機能の他に、船が行き来する必要から、高さ43.5メートルの空間を設けることができるというのが、コンペでの条件の一つであったため、タワーブリッジは真ん中から割れ、持ち上げることができる跳ね橋となっています。今では、ボタンで操作できるこの橋げたの上げ下げも、建築当時は蒸気のパワーを用いていました。
母体は鉄製ですが、近郊にあるロンドン塔の外観とマッチし、おとぎの国のイメージをかもしだすため、ポートランド・ストーンという白い石で覆ってあります。鉄と蒸気という当時としては、「最新のテクノロジーを生かしながらも、中世の外観を持つ橋」という意向。悪趣味な、ヴィクトリア朝のテーマ・パークか、ディズニーランドなどと悪口を言う人もいるみたいですが、いいじゃないですか。
着工1886年、完成は1894年6月30日。
橋としての機能の他に、船が行き来する必要から、高さ43.5メートルの空間を設けることができるというのが、コンペでの条件の一つであったため、タワーブリッジは真ん中から割れ、持ち上げることができる跳ね橋となっています。今では、ボタンで操作できるこの橋げたの上げ下げも、建築当時は蒸気のパワーを用いていました。
母体は鉄製ですが、近郊にあるロンドン塔の外観とマッチし、おとぎの国のイメージをかもしだすため、ポートランド・ストーンという白い石で覆ってあります。鉄と蒸気という当時としては、「最新のテクノロジーを生かしながらも、中世の外観を持つ橋」という意向。悪趣味な、ヴィクトリア朝のテーマ・パークか、ディズニーランドなどと悪口を言う人もいるみたいですが、いいじゃないですか。
着工1886年、完成は1894年6月30日。
ガイ・リッチーによる2009年の映画「シャーロック・ホームズ」では、この建設途中のタワーブリッジがクライマックスの舞台となっていました。今年(2019年)の6月は、タワーブリッジ完成125周年記念となるそうで、なにか、お祝い行事が催されるとか。
階段の他にも、すでに、この橋にはやはり蒸気で操作されていた25人乗りのエレベーターがついていたのだそうです。が、このウォークウェイも、ブルネル親子のテムズ・トンネル同様、やがて、すりやら、売春婦やら、好ましからぬ者たちが徘徊し始め、1910年には、すでに一般の使用は禁止となり、1982年までの、ながーい間、一般人は通れなかったのです。1982年に、一部、下が見える透明の床を導入して再オープン。
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こ、こわい・・・ |
125周年記念に先駆けて、先日久しぶりに、登ってきました。チケット売り場は、北側の塔にあり、そこからエレベーターで上へ。
私は特に、高所恐怖症でもないのですが、下が透明というのは結構怖いものです。絶対に落ちないとわかっていながら、なんだか歩いていると底が抜けそうな気がする。
私は特に、高所恐怖症でもないのですが、下が透明というのは結構怖いものです。絶対に落ちないとわかっていながら、なんだか歩いていると底が抜けそうな気がする。
そのため、真ん中を歩かず、普通の床になっている両端を歩く人もわりといました。私も、最初は、そろそろ端を歩き始め、それこそ清水の舞台からでも飛び降りる気分で「えい!」と中央へ踏み出し。
平気な人はまるで平気なようで、座ったり、寝転んだりしてのポーズを取って写真を撮っている若者も。
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土産物屋とエンジンルームへの入り口 |
この透明ウォークウェイの体験をした後は、南側の塔へ移り、今度は階段で下まで戻ります。ここで一度、外に出てからタワーブリッジ南側の袂に降りると、土産物屋とエンジン・ルームという展示場があり、かつて橋の上げ下げのために使われていた、巨大機械を見学できます。
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