タワーヒルの処刑場とトリニティー・スクエア

以前の記事で、ロンドン塔内で処刑された人の数は、意外と少ない、という事を書きました。ロンドン塔敷地内の処刑は、公衆の見世物にならないで済むよう、アン・ブリン、キャサリン・ハワードやジェーン・グレイなどの王妃たちを含む、特に高貴な身分の人物たちに与えられた特権(?)であったためです。

それでは、それ以外の人物たちの処刑はどこで行われたか・・・というと、ロンドン塔北西部に位置するタワーヒル(Tower Hill)の処刑場がそのひとつ。現在は、この処刑場の跡地は、トリニティー・スクエア(Trinity Square)と呼ばれる、ちょっとした公園の一角にあり、その血みどろの歴史を抱えて、静かに息をひそめています。ロンドン内、ウェスト・スミスフィールドなど、他にも処刑場として名を残している場所は、いくつかありますが、タワーヒルは、比較的地位のある人物たちが、斬首刑にあった場所として有名です。罪状は、反逆罪が多いです。(斬首以外の処刑もいくつか行われてはいますが。)

ロンドン塔から、処刑されるべく、この場所へ連れてこられた者たちは、ここで首をなくし、遺体は再び、ロンドン塔内の教会へ埋葬されるべく持っていかれ、頭は、ロンドン橋あたりにさらされる、などという事になったのでしょう。

タワーヒル旧処刑場には、ここで命を失った、幾人かの著名人たちの名が刻まれた記念のパネルが設置されています。記念パネルに名が刻まれている、サイモン・サドベリートマス・モア、トマス・クロムウェル・・・などを含め、はっきりわかっているだけでも、合計約125名の人間が、この一カ所で、生涯を閉じているのです。もっとも、サイモン・サドベリーの場合は、暴徒たちにより、隠れていたロンドン塔から引きずり出されて、ここで首を打たれていますので、正式な処刑ではありません。処刑の日には、この界隈は、まるでお祭りのように、見物人でいっぱいであったのでしょうが、この写真を取った日は、これを眺める観光客は、私以外は、一人もいませんでした。


トリニティー・スクエアには、また、ホワイトホールにある戦争記念碑(The Cenotaph)をデザインした事でも知られるエドウィン・ラッチェンス(Edwin Lutyens)による、タワー・ヒル記念碑(Tower Hill Memorial)があります。ラッチェンスは、とにかく戦争記念碑を多く作ったことで知られる人物で、このタワー・ヒル記念碑もそのひとつ。

ラッチェンスの記念碑には、第一次大戦で、敵による攻撃のため命を落とした、物資や食物の運搬などに従事した、貿易水夫(Merchant Sailor)や漁夫が祀られています。

ラッチェンスの第一次世界大戦記念碑の北側には、芝生を抱きかかえるようにして、第2次世界大戦で命を落とした、貿易水夫と漁夫たちのための記念碑があります。

この公園には、更に、フォークランド戦争で命を落とした水夫・水兵の、碇を模した記念碑もあるのです。(上の写真、手前。)

公園の道路を隔てた北西に位置する、1920年代に建てられた堂々たる建物(上の写真、後方中央)は、今はホテルですが、かつては、ポート・オブ・ロンドン・オーソリティー(Port of London Authority)の本部。このポート・オブ・ロンドン・オーソリティーとは、西はテディントン、東は、テムズ川が南はケント州、北はエセックス州に挟まれ、北海にそそぎ出る河口、更には、河口から南北にのびる、北海を臨む海岸線まで、約150キロメートルの、テムズ川とその流域を管理する組織です。ついでながら、テムズ川の河口からテディントンまでは、潮の満ち引きがある感潮地区です。

海の方角を指すファーザー・テムズ

この建物上部には、テムズ川の権化であるファーザー・テムズの彫刻がそそり立っており、彼は、左手を高々とあげ、テムズ川が海へと向かう東方を指さしています。

タワーヒル駅出口すぐより、ロンドン塔を望む

トリニティー・スクエアへの最寄りの地下鉄は、ロンドン塔へ行くのと同じく、タワーヒル駅。ロンドン塔を訪れた際には、その後に、ふらりと寄ってみてください。

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