全ての季節の男

1966年のこの映画は、ヘンリー8世と第1番目の妻、キャサリンとの離婚、そしてアン・ブリンとの結婚、それが引き金となって起こるローマとの決別、及びイギリス国教会の設立をめぐった歴史物。劇作家ロバート・ボルトの同名の戯曲が基となった、実に良い映画です。

自分の良心が許さないことから、ヘンリーがイギリス国教会の長になる事に賛同する誓いを立てることを拒み続け、ひたすらその件に関しては沈黙を守ったため、斬首刑となるトマス・モア(Thomas More)が主人公。法律家あがりで、「ユートピア」の作家、ルネサンスの精神を体現する様な人柄を持ち、その学問と知識から、ヘンリー8世にも尊敬され、ヨーロッパでの名声も高く、一時は、イングランドの大法官にまでなった人物。

 映画と原作のタイトルの、A Man for All Seasons(全ての季節の男)は、モアの同時代人、ロバート・ウィッティントンが、機知に優れ、学問に通じ、あらゆる側面を持ったモアを描写するのに使った言葉だとの事です。邦題は、「わが命つきるとも」と、ど根性物のようなタイトルになっています。

さて、ヘンリー8世がアン・ブリンとの2度目の結婚に至るまでのあらましをざっと整理すると・・・

ヘンリー8世は、ヘンリー7世の次男。長男で兄のアーサーが若くして亡くなったため王位を継承した人物。兄の死後、ローマ法王からの許可を受け、兄の嫁さんであったスペイン王家出身のキャサリン・オブ・アラゴンと政略結婚。年上女房であったものの、最初の頃は、わりと夫婦仲もむつまじかったようです。が、2人の間には、女児メアリー(後のメアリー1世、ブラディーメアリー)は生まれたものの、肝心のお家をつぐ男児がいない・・・年を経るにつれ、跡継ぎの男児の無さにあせりを感じるヘンリーと、容姿も衰えるし子供を作る可能性も減っていくばかりのキャサリン。そんなヘンリーの目にとまるのが、若く美しいアン・ブリンであったわけです。

すっかりアンに熱を上げてしまったヘンリーは、彼女と結婚したいばかりに、旧約聖書の一節、「兄弟の妻と結婚するのは清いことではない。その罰として、子孫が生まれないであろう。」に着目し、兄の妻であったキャサリンとの結婚は無効であると、ローマ法王に申し立てる・・・。映画は、この辺りから始まります。

この事件で、まず最初の犠牲者となるのが、ヨーク大司教で、大法官でもあったトマス・ウルジー(Thomas Wolsey)。ローマ法王からヘンリーとキャサリンとの結婚を無効だとする承諾を得るのに失敗したことから、王とアンの怒りを買い、政治的に失脚、直後に病死。不健康な紫色の顔をしたウルジーを演じたのは、オーソン・ウェルズでした。キャストの名前を見るまで気がつかなかったのですが、誰だかわからぬほど、役にはまっているというのは、名優の印か、メイクさんの腕がいいのか。

ウルジー亡き後、王は、どうしても自分の再婚に賛同して欲しかったモアを大法官に任命。ヘンリーは、高い位を与えれば、モアの気持ちを変えることができると思ったのでしょうが、大間違いで、モアは一切立場をかえず、かたくなに、王の再婚問題に関しては沈黙を守ったまま。後にすぐ、大法官の地位を辞任。貧しくなるものの、政治から離れ、静かに著作に励む余生を過ごそうとするのですが・・・。

1533年の継承令(Act of Succession)で、キャサリンの娘メアリーを、私生児であるとし、アン・ブリンの子供が王位継承者となると定められる。1534年には、王の信頼を得て、頭角を現し始めた野心家のトマス・クロムウェル(Thomas Cromwell)の尽力で、国王をイギリスの教会の長とすると定めた、首長令(Act of Supremacy)が確立。また、クロムウェルは、国民に、これらの法令を認める誓いを立てるよう義務づける。このため、誓いを拒んだものは、全て、謀反人としての罪に問われることに。沈黙を守り続けるモアは、誓いをを拒否し、ロンドン塔へ。ロンドン塔の狭い窓から見る外の景色が、季節によって移り変わる映像が印象深かったです。そして形ばかりの裁判の後、1535年7月、ライラックの花咲く頃、断頭台へ。皮肉な事に、クロムウェルは、モアの死んだ5年後に自ら断頭台で命を落とすことに。

モアは、首長令の事を、「両刃の剣のようだ」(a sword with two edges)と称したと言います。「もし一つの答えをすると、それは魂を破壊し、別の答えをすると、それは肉体を破壊する(死刑となる)。」(If a man answer one way it will destroy the soul, if he answer another it will destroy the body.)

彼は、最後は、魂を救い、肉体を滅ぼす道を取るわけです。映画内では、クロムウェルと組し、モアを裏切った設定で、後、政治的にどんどんのし上がり、最後にはベッドでぬくぬくと死ぬリチャード・リッチ(Richard Rich)と対照的。信条と良心のために死ねるか?私は、ぺろっと一時だけ嘘の誓いを立てて生き延びると思います。まあ、モアの取った行動は、なかなか万人がまねできる事でないので、後々まで語り伝えられ、劇や映画にもなるわけでしょうが。

裁判で、死の宣告が出される直前のモアのスピーチは、史実に基づくもののようです。マグナ・カルタの一説と、及び、ヘンリー8世の戴冠式での誓いに触れ、その両方に、教会と宗教は、政治から独立したものであると記されていると指摘。地上のどんな人間や機関にも、宗教の問題に口出しをする権利は無い。

モアの最後の言葉は、「私は王の良き従僕として死ぬが、神が私の第一の主である。」(I die His Majesty's good servant but God's first.)

モダンな人であったようで、根本的に人間は自由であると信じ、映画の中では、娘のマーガレットを、性別に関わらず教養ある人物に育て上げています。マーガレットとヘンリー8世が知恵比べをし、ヘンリーが彼女に負かされそうになり、たじたじとする場面がありました。奥さんは文盲であったようで、「読み書きを教えてやろうか?」というモアに「そんなものいらん!」。気の強い肝っ玉母さんのように描かれていましたが、この一見不釣合いな夫婦の間にある愛情は暖かいものがあり、ロンドン塔での最後の別れの場面はジーンときます。

当時、ロンドンの中心(現シティー周辺)は非常に混みあった不健康な場所で、時々黒死病なども起こり、王侯貴族は郊外の宮廷や邸宅(ハンプトン・コート、リッチモンド等)にいる事が多く、モアの住まいも、当時はまだ田舎のたたずまいを見せたチェルシー。テムズ川が大切な道路代わりとなっていた様子が良く描かれており、モアの邸宅からハンプトン・コート等へも、ボートでお出かけ。

原題:A Man for All Seasons
監督:Fred Zinnemann
言語:英語
1966年

 これと同時代を舞台とし、アン・ブリンに焦点を当てた映画に、「Anne of the Thousand Days」(1000日のアン)がありました。

ヘンリーと結婚後、やはり男児を生むことが出来なかったアン・ブリンの没落と、その死まで描いています。これは確か、かなり前に、日本の貸しビデオ屋で借りて見たのです。

印象に残っているのはラストシーンで、アンの処刑直後、後に残された彼女の娘の、赤毛のプリンセスが庭をぽこぽこと歩いている・・・男児、男児と大騒ぎした挙句に、未だにイギリス過去最高の君主と見られている、幼い日のエリザベス1世の姿です。

原題:Anne of the Thousand Days
監督:Charles Jarrott
言語:英語
1969年

*ヘンリー8世死後のチューダー王朝の王位継承に関して書いた以前の記事:「レーディー・ジェーン・グレイの処刑」


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さて、トマス・モアというと、ハンス・ホルバイン(Hans Holbein)による上にも載せた絵が有名です。これは、ニューヨークにあるすばらしい小美術館、フリック・コレクション(The Frick Collection)で本物を見てきました。本物の人間の様な存在感と、強い真っ直ぐな性格が読める表情はお見事!本館で、一番記憶に残っている絵です。やはり上に載せた、ホルバイン筆による、政敵トマス・クロムウェルの絵と対になって飾られているところが、また、気の利いた取り計らいです。

絵に描かれている、モアが着用している金のS字の鎖にチューダー・ローズのメダルが下がっているものは、王に仕える大法官のメダリオンで、映画にも登場します。S字は、中世フランス語でのモットー「Souvent me souvient」(我の事を、終始心にとめよ)を表すそうです。

旅行中の滞在日程が短い時は、大美術館を無理やり一日歩き回ると、足が棒のようになり、頭はぐるぐる、何を見たかの記憶も定かでなくなってしまう事なども良くあるものです。フリック・コレクションの様な小規模の美術館は、ゆっくり焦らず、自分のペースで、見たものを吸収しながら回れるのが花マルなのです。写真は、ガイドブックの表紙ですが、この噴水のある美しいホールで、しばしのんびりと座ってくつろぐこともできました。

フリック・コレクションのサイト

コメント

  1. A Man for All Seasons を去年アイルランドで見ました。予備知識も何もなく見たので最初は???説明してくれる人がいたのでなんとか理解できましたが、トマス・モア=ユートピア程度の記憶しかなかったので見たあとで歴史の復習をしました。オーソン・ウェルズには私も気づきませんでした。印象に残っているのは舟を移動手段にしていたこと。国王も舟でモア邸を訪れていましたね。

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  2. 確かに、歴史ドラマは、予備知識が無いと、入っていきずらいところがあるやもしれません。英人が、日本の大河ドラマの歴史物見たらてこずるでしょうし。
    テムズは王侯貴族には大切な大通りだったのでしょうね。ロンドン周辺の王宮や貴族の館、ロンドン塔なども、川沿いにあるのもそのためかも。貧民がごちゃごちゃいる狭い道や、まだ開発されていない田舎道を通るより安全で便利だったのかもしれません。

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  3. こんばんは
    トマスモア の映画はアカデミー賞とってますよね。重厚な歴史劇はイギリスの得意分野でしょうか。ユートピアという語も彼の造語でしょうか?面白いですよね。また彼の娘たちについては「イギリスルネサンスの女たち」石井美樹子著で初めて知りました。教育パパといのは何時の時代も偉大です。我が父も私の無謀な大学進学を「かってだなー」といって認めてくれました。

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  4. 調べてみたら、仰るとおりUtopiaは、本の中の、架空の国名として、モアがつけた造語のようです。
    映画の最後での情報で、マーガレットは、謀反人としてさらされたモアの首を持って帰って、死ぬまで持っていたという話でしたから尊敬していたんでしょう。「女に教育はいらん」のような父親を持たずに済んだのは幸運ですよね。親は選べないから・・・。

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  5. ふうーん。。既成観念にとらわれていて、じっくり見直すこともなかったことですが、
    ここでもう一度、丁寧に想像力を働かせ、もし?自分だったら?また、英国で特にカトリック、国教会の信者さんたちに愛されてるヘンリー8世、エリザベス1世への思いを整理して見る機会に恵まれました。
    当時の時代背景、のち、イエズス会を後任するように、今度は青少年を対象に資本主義化される中でサレジオ会ができる背景や、また、イエズス会がマカオで成りすましイエズス会士居て、日本では、成りすましキリシタン大名が日本侵略を目論んでるとともに、4少年遣欧使節として太陽暦に変えることで理屈に合わない部分を占いやいいつたえなど迷信で押し通す侵略側テロ資本大名らがグレゴリウス13世暗殺を命じる。。

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    1. この映画では描かれていませんが、モアは、カソリックを信じるあまり、ヘンリー8世がローマと決別する以前は、異教徒狩りに余念なく、多くのプロテスタントや異教徒捕らえ、処刑に追いやっているという冷酷で暗い部分も持ち合わせていたようです。ひとつの事を信じると、他を受け入れられない、というのは、良くある事ですが、モアは、自分の信条を通す人間であっても、現代の感覚で言う、寛容な「ヒューマニスト」という枠には入らない感じです。

      イエズス会のインパクトは、カソリックから離れたイギリスより日本での方が強く感じられたのでしょうね。

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    2. どうもq、読み返すと、タイプが遅いのと下手で伝えたいことのスピードとに落差がありすぎ、苦笑、、文脈がおかしくなってますので、再度、書き直します

      当時の時代背景て、、のち、イエズス会を後任し、資本主義化が急速に進む時期の青少年を対象にサポート組織されたサレジオ会ができる背景や、
      また、遡って、天正年間、イエズス会がマカオで成りすましイエズス会士とな
      日本での成りすましキリシタン大名が日本侵略を目論みつつ、4少年遣欧使節としてスペイン皇帝の支持、協力の元で、グレゴリウス13世という大変、ローマ法王庁にとってはかけがえのない教皇を暗殺させている。
      この法王は、陰暦の矛盾を占いやいいつたえなど迷信で押し通す、つまり魔女裁判なんかもうその影響だと思えますが、心理や情緒で民を思いのまま動かそうとする侵略側テロ資本大名らが、理性で自然界との付き合いあをできる太陽暦に変えたグレゴリウス13世の暗殺を命じている。

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    3. グレゴリウス13世という人の略歴を読んでみました。エリザベス1世時代の人ですね。グレゴリオ暦の導入もこの人でしたか。この後、ヨーロッパで新暦を導入したカソリックの国とプロテスタントの国がしばらくの間、日にちにずれができるわけで、この時代を研究する歴史家などは、何かにつけ、日にちのづれの換算をして、面倒なこともあるでしょう。カソリック国での新暦導入が1582年で、イギリスおよび植民地で導入されるのが、1752年だそうなので・・・。日本では、更にその1世紀以上後となるわけですが。話、ちょっとずれましたが、この暦にまつわる話に興味を持ったので、またそのうち、良く調べてみたいところです。

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