レーディー・ジェーン・グレーの処刑

ロンドン、ナショナル・ギャラリー。中世の宗教画から印象派まで、幅広く揃っていますが、現代では、一般にあまり知られていない19世紀フランス画家、ポール・デラロッシュによるこの絵、「レーディー・ジェーン・グレーの処刑」は、その巨大サイズと、ドラマチックな題材で、やけに目を引く一枚です。

ヘンリー8世の妹、メアリーの孫娘で、「9日間の女王」とも呼ばれるジェーン・グレーは、1554年2月12日、17歳の若さで、ロンドン塔で、打ち首。彼女の処刑の描写した手記も残っています。

「すばやく殺して下さいますよう。」とつぶやきながら、彼女(ジェーン)は目隠しをしめた。世界は目の前から消え、彼女はひとり。暗闇の中で、手探りをしながら、叫んだ。「どうすればよいのですか?ブロック(首切り台)はどこですか?」何者かが前に歩み寄り、彼女を導くと、ジェーンはブロックに屈み込み、身をのばした。「神よ、御手に私の魂をお預けします。」斧は打ち落とされ、死刑場に血が飛び散る。血はおどろおどろしくわらを濡らし、立会人にも降りかかった。

これも、斧一振りで済めば良いですが、首切り人が下手くそだと、2、3回にわけて斧を振られてしまう事もあったそうで。壮絶。ヘンリー8世の第2婦人で、やはり処刑されたアン・ブリンは、自分の処刑には、そんな事が無いようにと、剣に優れた者をわざわざフランスから呼び寄せたと言います。処刑される側としては、ギロチンの方がまし?

・・・それにしても、ジェーン・グレイ、何故こんな憂き目に会ったのか。


事の起こりは、6人の妻を次々と娶ったヘンリー8世の唯一の男児で世継ぎであった、エドワード6世が、少年期に夭折してしまった事。

エドワード6世亡き後、王位継続候補は
その1、カソリックのメアリー(ヘンリー8世の1番目の妻、スペイン人キャサリンの娘)
その2、プロテスタントのエリザベス(ヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブリンの娘)。
エドワード6世は3番目の妻、ジェーン・シーモアの子供ですので、この二人はエドワードにとっては腹違いの姉さん達。

こういう継承を巡ってのお家騒動で必ず暗躍するのは、野心家の悪役。そこで登場!王の信頼を受けていたノーサンバーランド公ジョン・ダドリー。王族の血が入っていないイギリス人としては初めて公爵(デューク)の位のついた人物です。

死に際のエドワードを「メアリーもエリザベスも王の腹違いで正当な継承者ではないですね。王位は、血筋も正当で、プロテスタントでもあるレーディー・ジェーン・グレーへ。」と説得。その前にちゃっかり、自分の息子ギルフォード・ダドリーを、嫌がるジェーンと結婚させ、エドワード亡き後の政権拡大を狙う。

敬虔なプロテスタントであったエドワード自身も、カソリックのメアリーに王座を継がせたくない。父王ヘンリー8世の始めたイギリス宗教改革ではあったものの、ヘンリー8世時代は、ローマ法王を長とするカソリックと、王を長とするイギリス国教会は、内容的には、さほど違いは無かったと言います。息子エドワード6世の時代には、本人はもとより、王を囲む人間たちも、強硬派プロテスタントが多く、イギリス各地の教会内の像や、装飾を、意図的に破壊する事も行っています。プロテスタントは偶像崇拝を嫌っていましたから。

という事で、エドワードは、自分亡き後、国がまたカソリックに傾くのを好まず、かといって、メアリーだけを飛ばし、王座を、プロテスタントのエリザベスに渡すのは説明がややこしい。反対意見くすぶる中、エドワードは死ぬ前に、このジョン・ダドリーの案を通す。

ダドリーはエドワードが死ぬや、ジェーンを王座に付け、ジェーンは、砦ともなるロンドン塔に移動され、ジェーン派は、ロンドン塔を本拠地とする。そして、「カソリックを信じる謀反人」メアリーの逮捕を要求。危険を感じていたメアリーは、すでに味方の助けをかり、イーストアングリア地方へ逃亡。メアリーは、サフォーク州にあるフラムリンガム城にて、陣を構え、軍を挙げ、戦いの準備。メアリーを気の毒に思い、ダドリーの貪欲さに嫌気がさしていた者達が次々反旗を翻す。大体、ジェーンなる人物を良く知らない人間も多く、一般人の間でも、正当な世継ぎのメアリーを支持する者が大半。瞬く間に、ロンドンは、メアリーを女王として宣誓。メアリーが、ロンドンへ凱旋すると、ロンドン市民は大手を広げて、お祭り騒ぎで、メアリーを迎え入れます。まだ、この段階では、市民は、後にメアリーが、スペインのフィリップと結婚するのも、後にブラディー・メアリーと化し、あちこちでプロテスタント信者を処刑するようになろうとは、知らなかったわけですから。

ジェーンは、逮捕され、砦であったはずのロンドン塔が、今度は彼女の牢獄と化す。そして、ジェーンは、だんなのギルフォードと、彼の二人の兄弟、そしてカンタベリー大司教であったトマス・クランマーと共に、ロンドンのギルドホールにて、大逆罪で、形ばかりの裁判にかけられます。結果、全員有罪の判決。最初は、ジェーンを処刑せず、許そうとするメアリーでしたが、即位後、カソリック、プロテスタントの勢力が分かれる難しい情勢の中、プロテスタントのジェーンを生かしておくと、再び、敵が彼女を使い自分の王位を脅かす可能性が。そして、ジェーンは、ブラディー・メアリーの政権の最初の著名な犠牲者となってしまいます。この時代、王族、貴族に生まれるのも、なかなか大変なものです。裕福な町人の娘あたりに生まれていた方が、楽しい普通の人生歩めたでしょうか。

ちなみにノーサンバーランド公は、ウェストミンスターホールで裁判にかけられ、タワー・ヒルにて打ち首。彼の4人の息子のうち、処刑となったのは、ジェーンと同じ日に打ち首となったギルフォードのみ。うち、一人のロバート・ダドリーは、後のエリザベス一世の時代、女王のお気に入りの、初代レスター伯となるのです。トマス・クランマーは、この後、オックスフォードの牢屋に送られ、そこで、再び、異端の罪で裁判にかかり、火あぶりの刑で最後を迎えます。アン・ブリンとの結婚を達成するため、母親キャサリン・オブ・アラゴンと、父王ヘンリー8世の離婚を遂行したクランマーを、メアリーはどうしても許せなかったのでしょう。

さて、話を一番上に載せた、ジェーン・グレイの処刑の絵に戻します。これは、1833年のフランスで描かれたものですが、フランスでは、1820年、30年代に、アングロマニアなる、一大イギリス熱が吹き、インテリ層の間では、イギリス文化、歴史がブームとなり、この絵も、その気風を反映するものです。ただし、史実と違う描写はちらほら見受けられます。まず、ジェーンの処刑は、戸外で行われた事。また、彼女が絵の中で身につけている白いサテンのドレスは、16世紀イギリスのものではなく、19世紀フランス風である事。処刑の際に、首が切りやすいよう、実際は、髪はおそらく、アップにしてまとめてあったであろう事。そして、女性二人は、よよよと泣き崩れる事無く、立会人として、自制心を持ち、しっかと目を開いて、ジェーンの最後を見届けたであろう事。暗い背景の中、彼女の白いサテンドレスが輝き、焦点がそこにあたるという、劇的効果はあります。

一枚の絵の後ろにある、歴史を追うのも楽しいです。
The Execution of Lady Jane Grey
by Paul Delaroche (1797-1856)

*肖像画は上がエドワード6世、下がメアリー1世。

若きヘレナ・ボナム=カーターがジェーンを演じた、「レディ・ジェーン/愛と運命の二人」(Lady Jane)という1986年の映画がありましたが、この映画内に描かれている話は、史実とかなり違っていますので、本当だと信じないようにしましょう。映画内の話は、あくまで、ジェーンという実在の女性を使った、フィクションです。

ジェーンと夫ギルフォードの愛がテーマとなっているロマンスなのですが、ジェーンは、軽薄な青年だったというギルフォードなど、最初から最後まで、好きでも何でもなかった。実際、ジェーンは、ギルフォードが処刑されたあとの、彼の頭の無い死体を目にしても、涙するでも無し、動じるでも無し。敬虔なプロテスタントのクリスチャンであった彼女の最後の言葉も、上記したとおり、神様への祈りであり、映画内のように「ギルフォード・・・」ではないのです。

史実ではないと思って見ても、あまりにメロドラマ過ぎて、私は、「イマイチ」と思った映画でした。ジェーンを主人公とした、もっと、いい映画が、いつの日か現れてくれることに期待しましょう。

コメント

  1. 嫌な話だね・・どこにも柳沢吉保のようなクズとそれを信じる無責任な君主がいる。
    犠牲になるのは昔から女、子供・・・

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    1. 王族、野心的な貴族の子女は野心達成の道具ですね。政略結婚で嫁がされ、相手が先に他界、未亡人になると、まだ若ければ、すぐに次の政略結婚をさせられた女性も多かったようです。

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  2. 王族、貴族はこれだけ宗教に夢中になってるのにも関わらず、陰謀、策略で人を殺しまくって、自分は死後天国に行けるとでも思ってたんですかね。
    自分が殺されるリスクを冒してでも得ようとする王権とはよほど凄いものだったんでしょうね。
    巻き込まれる方はたまったもんじゃない…

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    1. 死ぬ前に懺悔をして神様に謝れば許してもらえる、死後、他人が自分の魂のために祈ってくれれば、煉獄から、すぐ天国にいける、自分は王だから確実に天国へ行ける、または、殺人を犯しても、宗教のため、国のために良いと思われる事をしているという感覚・・・などの考えがあったのでしょうか。私も、自身の宗教と、殺人などの罪の折り合いをどうやって、心の中でつじつま合わせていたのかは、不思議です。

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