カラヴァッジョの絵で見るイースター
上の絵:The Taking of Christ (National Gallery, Dublin)
今年のイースター・ホリデーは、4月10日(金)から4月13日(月)でした。イースターは十字架の上で息を引き取ったキリストが3日後に蘇った事と、春の到来を祝う祭典。イースターの日付は毎年異なり、3月22日~4月25日の間の日曜日。
グッド・フライデーは、キリストの処刑を記念。キリストを埋めた墓は、遺体が盗まれぬように巨石でふさがれ。続く日曜日がイースター(イースター・サンデー)。キリストの墓を訪れた数人の女性が、巨石が動かされ、墓が空なのに気づく。蘇ったキリストは、この日から数日、何人かの者達に目撃されます。次の日のイースター・マンデーは、この国では、祝日。よって、金曜日から月曜日までの4連休となります。
アイルランドのナショナル・ギャラリーにあるこの絵は、闇と明かりを巧みに使い、人物が画面から飛び出してくるような迫力の絵で知られるイタリア・バロック絵画の巨匠、カラヴァッジョ筆。キリストが兵士達に逮捕され連れて行かれる場面を描いています。
手の甲を上に向け、指をかみ合わせているキリストのポーズは、悲しみと心の苦しみを表すのだそうです。金銭的報酬の為に、キリストを裏切るのはイスカリオテのユダ。キリストにキスすることで、彼の正体を兵士たちに知らせます。絵の右後方ででランタンを掲げる人物は、カラヴァッジョの自画像と言われています。
「イースター名画の歴史」と題したドキュメンタリーで、この絵がスポットライトを浴びていました。
この絵は、当時の複製などから存在は知られていたものの、19世紀初頭あたりから行方がわからなくなっており、1990年初めに、アイルランドはダブリンのイエズス会の建物のダイニングに飾られているのが発見。
ローマのマッテイ家からの注文で、当時売れっ子のカラヴァッジョが、これを描いたのは1602年。マッテイ家が、これを売却するのが19世紀初頭。絵のトレンドの変化で、カラヴァッジョ人気も売却時には落ちており、絵は、当時人気だったオランダ人画家による絵として売られています。この後、カラヴァッジョ作だと知られぬまま、絵は数人の手を渡り、最後に所有したアイルランドの女性が、イエズス会へ寄付。イエズス会から絵の修復を頼まれ、この建物を訪れたイタリア人により発見されます。
時代めぐって、カラヴァッジョは再び人気の画家で、発見は一大ニュース。イエズス会は、絵をアイルランドのナショナル・ギャラリーに無期限の貸し出しをし、今は、この美術館の目玉展示品だそうです。
上の絵:The Supper at Emmaus (National Gallery, London)
この絵は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。上の絵同様、ローマのマッテイ家からの注文によるもの。題材は、エマウスでの晩餐。
キリストの処刑後、エルサレムから11キロほど離れたエマオへ歩いているキリストの弟子2人(クレオパとルカということになっているようです)。途中で、見知らぬ人物と出会い一緒に歩き続け、この人物、実は蘇ったキリストですが、2人は気づかず。
エマオで3人で晩餐の際、キリストはパンを祝福し、分けて、2人に与えます。これで、この人物がキリストであると2人は気づくわけで、絵はこの瞬間の2人の驚きを描写しています。この後、キリストは2人の前から忽然と姿を消します。
ひげの無い若々しいキリストが描かれるのは、珍しいそうです。
上の絵:Incredulity of St Thomas(Sanccouci, Potsdam)
キリストの使徒の一人、トマスは、もともと疑い深い性格であったそうですが、何人かの者達が、復活したキリストを見たと言うのを聞いても、処刑されたキリストのわき腹の傷に指を突っ込み確認するまで、信じぬとがんばったそうです。
そんなトマスの前に、キリストは姿を現し、トマスはまじまじと傷を見つめ、指をつっこみます。間違いないとわかると、彼は、「主よ、我が神よ。」と言ったといいます。
doubting Thomas(疑い深いトマス)という言葉は、いまだ、懐疑的な人間を指すのに使われる言葉です。
He is a doubting Thomas. あいつは、疑い深い。
キリスト教では、物事を確認し、証明するまで、真実としない、こういうトマスの性格、好ましくないものと捕らえられている様ですが、私はこういう人、わりと好きです。宗教をやるより、科学者にむいていた人かななどと思います。この絵で、好奇心溢れさせ、傷口を覗き込む姿も、まさに、科学者のそれといった感じがします。
*カラヴァッジョ(1571-1610)
ミケランジェロ・メリシ・ダ・カラヴァッジョ。ミラノ近郊のカラヴァッジョ出身の為、通称カラヴァッジョ。波乱万丈の人生を過ごした、怒れる天才の典型だったようで。
上の作品などを仕上げた後の1606年、喧嘩で人を殺し、活躍していたローマからすたこら逃げ出す。後、ナポリへ移り、その後移ったマルタで再び喧嘩騒ぎで投獄され、後に脱走し、シチリアへ。そして再びナポリと移動。ローマから、お許しが出たにも関わらず、ローマへ戻る前、熱病にて、短い生涯を閉じています。彼の絵は好きですが、実際生きていたら、あまり近寄りたくは無いタイプの人かもしれません。
作品製作には、スケッチを重ね構図を決める当時の一般的方法よりも、モデルから直接描くのを好んだと言います。
Caravaggioの作品を年代順に見てみよう
今年のイースター・ホリデーは、4月10日(金)から4月13日(月)でした。イースターは十字架の上で息を引き取ったキリストが3日後に蘇った事と、春の到来を祝う祭典。イースターの日付は毎年異なり、3月22日~4月25日の間の日曜日。
グッド・フライデーは、キリストの処刑を記念。キリストを埋めた墓は、遺体が盗まれぬように巨石でふさがれ。続く日曜日がイースター(イースター・サンデー)。キリストの墓を訪れた数人の女性が、巨石が動かされ、墓が空なのに気づく。蘇ったキリストは、この日から数日、何人かの者達に目撃されます。次の日のイースター・マンデーは、この国では、祝日。よって、金曜日から月曜日までの4連休となります。
アイルランドのナショナル・ギャラリーにあるこの絵は、闇と明かりを巧みに使い、人物が画面から飛び出してくるような迫力の絵で知られるイタリア・バロック絵画の巨匠、カラヴァッジョ筆。キリストが兵士達に逮捕され連れて行かれる場面を描いています。
手の甲を上に向け、指をかみ合わせているキリストのポーズは、悲しみと心の苦しみを表すのだそうです。金銭的報酬の為に、キリストを裏切るのはイスカリオテのユダ。キリストにキスすることで、彼の正体を兵士たちに知らせます。絵の右後方ででランタンを掲げる人物は、カラヴァッジョの自画像と言われています。
「イースター名画の歴史」と題したドキュメンタリーで、この絵がスポットライトを浴びていました。
この絵は、当時の複製などから存在は知られていたものの、19世紀初頭あたりから行方がわからなくなっており、1990年初めに、アイルランドはダブリンのイエズス会の建物のダイニングに飾られているのが発見。
ローマのマッテイ家からの注文で、当時売れっ子のカラヴァッジョが、これを描いたのは1602年。マッテイ家が、これを売却するのが19世紀初頭。絵のトレンドの変化で、カラヴァッジョ人気も売却時には落ちており、絵は、当時人気だったオランダ人画家による絵として売られています。この後、カラヴァッジョ作だと知られぬまま、絵は数人の手を渡り、最後に所有したアイルランドの女性が、イエズス会へ寄付。イエズス会から絵の修復を頼まれ、この建物を訪れたイタリア人により発見されます。
時代めぐって、カラヴァッジョは再び人気の画家で、発見は一大ニュース。イエズス会は、絵をアイルランドのナショナル・ギャラリーに無期限の貸し出しをし、今は、この美術館の目玉展示品だそうです。
上の絵:The Supper at Emmaus (National Gallery, London)
この絵は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。上の絵同様、ローマのマッテイ家からの注文によるもの。題材は、エマウスでの晩餐。
キリストの処刑後、エルサレムから11キロほど離れたエマオへ歩いているキリストの弟子2人(クレオパとルカということになっているようです)。途中で、見知らぬ人物と出会い一緒に歩き続け、この人物、実は蘇ったキリストですが、2人は気づかず。
エマオで3人で晩餐の際、キリストはパンを祝福し、分けて、2人に与えます。これで、この人物がキリストであると2人は気づくわけで、絵はこの瞬間の2人の驚きを描写しています。この後、キリストは2人の前から忽然と姿を消します。
ひげの無い若々しいキリストが描かれるのは、珍しいそうです。
上の絵:Incredulity of St Thomas(Sanccouci, Potsdam)
キリストの使徒の一人、トマスは、もともと疑い深い性格であったそうですが、何人かの者達が、復活したキリストを見たと言うのを聞いても、処刑されたキリストのわき腹の傷に指を突っ込み確認するまで、信じぬとがんばったそうです。
そんなトマスの前に、キリストは姿を現し、トマスはまじまじと傷を見つめ、指をつっこみます。間違いないとわかると、彼は、「主よ、我が神よ。」と言ったといいます。
doubting Thomas(疑い深いトマス)という言葉は、いまだ、懐疑的な人間を指すのに使われる言葉です。
He is a doubting Thomas. あいつは、疑い深い。
キリスト教では、物事を確認し、証明するまで、真実としない、こういうトマスの性格、好ましくないものと捕らえられている様ですが、私はこういう人、わりと好きです。宗教をやるより、科学者にむいていた人かななどと思います。この絵で、好奇心溢れさせ、傷口を覗き込む姿も、まさに、科学者のそれといった感じがします。
*カラヴァッジョ(1571-1610)
ミケランジェロ・メリシ・ダ・カラヴァッジョ。ミラノ近郊のカラヴァッジョ出身の為、通称カラヴァッジョ。波乱万丈の人生を過ごした、怒れる天才の典型だったようで。
上の作品などを仕上げた後の1606年、喧嘩で人を殺し、活躍していたローマからすたこら逃げ出す。後、ナポリへ移り、その後移ったマルタで再び喧嘩騒ぎで投獄され、後に脱走し、シチリアへ。そして再びナポリと移動。ローマから、お許しが出たにも関わらず、ローマへ戻る前、熱病にて、短い生涯を閉じています。彼の絵は好きですが、実際生きていたら、あまり近寄りたくは無いタイプの人かもしれません。
作品製作には、スケッチを重ね構図を決める当時の一般的方法よりも、モデルから直接描くのを好んだと言います。
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