セント・パンクラス駅発パリ行き(パリ紀行1)

ロンドン、セント・パンクラス駅(St. Pancras Station)。

ロンドン内の駅で、最も美しい建物だと言う人もいるネオ・ゴシック・スタイルの当駅舎は、19世紀中頃、ヴィクトリア時代に建設されました。建物の一部はホテルとして使用されていたという事です。隣に建つのは、やはり鉄道駅のキングス・クロス駅。この2駅に連結しているアンダーグラウンド(地下鉄)駅は、キングス・クロス・セント・パンクラス駅。

現在では考えられない事ですが、鉄道の赤字縮減策の波を受けて、この立派なセント・パンクラス駅を1960年代に、壊す話が持ち上がりました。

これには、市民の間で一大反対運動が起こり、その指導力となったのが、鉄道の旅の浪漫とヴィクリア朝の建物をこよなく愛したイギリスの桂冠詩人、ジョン・ベッジャマン(John Betjeman)。彼の尽力も手伝い、この時期、英国各地で、次々と路線が消え、駅が消えていく中、何とかこの駅は生き残ります。

救い主ジョン・ベッジャマンの銅像は、今、セント・パンクラス駅構内に立ち、プラットフォームを覆う巨大な天井を仰いで、しみじみと眺めています。ベッジャマンのポーズを真似て、上を向き、一緒に過去からの遺産を鑑賞してみましょうか。

 2007年に、セント・パンクラス駅は、海底のチャネル・トンネルを抜け、ヨーロッパとイギリスを結ぶ列車ユーロスター発着駅として改造され、お色直しの上、再オープンしました。

上記銅像も、この際に設置されています。ここから空を飛ばずして、パリとブラッセルへ旅立てます。1994年に開通し、以前はウォータールー駅から出ていたユーロスターですが、今は、ぴかぴかのこの駅舎から出発、またヨーロッパからの旅人を迎え入れます。

ちょっと柄が悪く、廃れた感があり、写真など取る気にもならない、パリのユーロスター発着駅の北駅に比べると、それは立派なヨーロッパへの玄関口です。ベッチャマン氏も喜んでいる事でしょう。

という事で、私も、ユーロスターに飛び乗って、パリへ行ってきました。 (2009年1月のこと)

前年9月にあったチャネル・トンネル火災の影響で、まだ20分ほど、通常のサービスより時間がかかりましたが、それでもロンドンーパリ間約2時間50分。国内旅行の感覚です。

イギリス側もフランス側も、風光明媚なところは一切通りません。座席も新幹線ほどの快適さは無く、内部での食べ物も不味いですが、まあ、行き先は、ご飯も美味しく、心躍るパリですから、文句もこのくらいにして。

パリ北駅に到着したら、さっさとメトロ(地下鉄)に乗り移動、ホテルのチェック・インを済ませました。夕飯のレストランを物色しがてら散歩。ノートル・ダムまで行くと、まだ飾ってあったクリスマス・ツリーが迎えてくれました。

開通したての頃のユーロスターのテレビのコマーシャルでは、ディーン・マーティンのスウェイという曲が使われていました。もともと大好きな歌だった上、コマーシャルで一緒に流れたパリの映像とぴったりだったものだから、いまだに、この曲は私のパリのイメージ音楽です。夜のセーヌを眺めながら、このメロディーが頭の中で鳴り続けていました。

When marimba rhythms start to play
Dance with me, make me sway
Like a lazy ocean hugs the shore
Hold me close, sway me more

マリンバのリズムが流れ出したら
私と踊っておくれ、揺らしておくれ
怠惰な海が浜を抱くよう
近く抱き寄って、もっと揺らしておくれ

*当パリ旅行の記事6件は、ヤフージャパン内で2009年1月27日から、2月6日にかけて投稿したものの、転記です。

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