ドロシー・L.セイヤーズと本棚に並ぶ内面史

「うーん!本はだね、チャールズ、ロブスターの殻のようなものだよ。我々は本で身を包み、やがてそこから抜け出し、そして、過去の成長過程の証拠品として後に残していくんだ。」

(小説「The Unpleasantness at the Bellona Club / ベローナクラブでの不祥事、日本での翻訳はベローナ・クラブの不愉快な事件 」より。ドロシー・L・セイヤーズ著)

これは、貴族探偵ウィムジイ卿が、殺人容疑のかかった女性の本棚を眺めながら言う台詞です。ウィムジイ卿は、医学などとはまるで関係ないこの女性の書棚に、何冊かの医学関連の本があるの注目し、彼女が、医師に恋し、彼の興味のあるものを読もうとした事に気づきます。

この様に、好きな人と興味を分かち合いたい為、普段は興味の無い様な本に手を出したり、ある時期、一定の場所や物事に夢中になり、その関連の本を片っ端から買い捲ったり、ちょっと気まぐれで始めた趣味の本をかったのは良いが、趣味は3ヶ月と持たず、本はそのまま埃をかぶったり。今までに手をつけた本を、順番に、本棚に一斉に並べてみると、確かに、その当時、思った事、興味を持った事の、一覧表のようになり、自分の内面史を見る様で面白いかもしれません。


ラジオで、ヒトラーの本のコレクションの話をしており、彼は、シェイクスピアが大好きで、どんなドイツの詩人にも勝ると、全集を大切にしていたという事。また、死の直前まで、トーマス・カーライルを読んでいたと言います。私は読んだ事はありませんが、トーマス・カーライルは、英雄崇拝主義の傾向があったという話で、独裁者のお好みの作家というのも、わからなくも無いですが、シェークスピアは、どういう風の吹き回しでしょう。一冊の同じ本でも、読み手によって取り方が色々違うし、人間の心理というのも、白黒で割り切れないものがありますか。探偵ウィムジー卿なら、ヒトラーの本棚から、彼の心理とその変遷に、どんな結論を出すのでしょうか。


3年前、パリへ行った際、戻ってから、パリの歴史を7時代に分け、それぞれの時代の町の変換を書いた本(Seven Ages of Paris: Alistair Horne著)を衝動買い。しばらく、読んでいて、なかなか面白かったのですが、フランス熱が去り、他に、読みたいものが出てきて、気がつくと、この本は本棚の隅に押しやられていました。今年1月のパリ旅行では、この本を引きずり出し、ガイドブックと一緒に持っていき、索引を使いながら、飛ばし読みをし、なかなか役に立ってくれました。イギリスに戻って、また最初から読み直し、勢いに乗って、ついに完読!

仮に、読み終えられなかった本が貯まってしまって、本棚いっぱいになってしまっても、

No furniture so charming as books. (Sydney Smith)
本ほど魅力的な家具は無い

という見方もありますし。狭い我家では、そんな悠長な事も言っておられないのですが。

まあ、ロブスターの殻ですから、ちょんちょんとつまんだページの中から、何かしら成長につながるものも身についているのではないかと期待して。


*余談・ドロシー・l・セイヤーズ(Dorothy Leigh Sayers )*

ドロシー・L・セイヤーズはアガサ・クリスティーと同時代の女流推理小説作家。イギリスで初めて、学位を受けた女性の一人でもあります。広告代理店でコピーライターとして働いた経歴も持ち、ビールのギネスのコピーなども書いています。

彼女のウィムジー卿シリーズは、第一次と第二次大戦に挟まれた時代背景も面白いです。昔の小説は、社会史の一面もあるなと感じます。

第一次大戦に参戦したウィムジー卿は、時折、シェルショックと呼ばれる神経の発作に襲われたり。彼の妹は、貴族でありながら、一時、共産主義を唱える青年に共感し付き合ったり。フランス語が、まだ、第二外国語としての地位をしっかり握っていたのか、フランス語の手紙や会話などが、翻訳されずに、ぽんと入っていたりもします。女性が男性より劣るものと思われていた風潮も、所々の描写に垣間見ることもできます。

尚、ウィムジー卿が住んだとされるロンドンはピカデリーにあるフラットは、現在英日本大使館のある辺りです。

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