チュールリ公園を抜けて(パリ紀行3)

パリ、ルーブル美術館を出て、そのままセーヌ川と平行に西へ歩くと、そこはチュールリ公園。

以前は、公園の手前に、ルーブル美術館の中庭を塞ぐ形で、チュールリ宮殿が建ったそうですが、パリ・コミューン下の1871年に放火され被害を受け、1883年に取り壊され、今はありません。

チュールリ宮殿は、フランス革命が勃発してから、ヴェルサイユ宮殿より移されたルイ16世と王妃マリー・アントワネットが一時住み、ナポレオンも住んだ宮殿。修復して、残しておけば良かったのに・・・。

1792年の8月、ルイ16世一家のいるこの宮殿に、暴徒と化したパリの市民達が押し入ってきます。王一家が逃げ延びた後、宮殿を守っていたスイスの衛兵達のうち約700人が、群集の手により惨殺されます。1800年にナポレオンが、ジョセフィーンと共に移ってきた際には、まだこの惨殺されたスイス兵達の血が廊下に乾いてこびりついていたそうです。
(スイスのルッツエルンへ行った際、そこで、この不運のスイス衛兵の為のライオンの記念碑を見ました。フランス王家の百合の紋章の入った盾を守りながら、槍で刺され死にゆくライオンを彫った記念碑です。)

ジョゼフィーンは、また、アントワネットの幽霊が、「あなた、私の寝室で何をしているのーーー?」と出てきそうで恐ろしいと、この宮殿を嫌っていたと言います。

さて、チュールリ公園の東端に立つ、写真の凱旋門、カルーゼル凱旋門は、ナポレオンが作らせたもの。本来であれば、チュールリ宮殿のすぐ向かいに建った形になっていたわけです。パリのシンボルでもある、有名なシャルル・ド・ゴール広場の凱旋門の方は、ナポレオンの生存中には完成しなかったものの、こちらは、ちゃんとナポレオン政権中に出来上がっています。これをくぐって公園へ入ります。

公園というと、イギリスに住む者にとっては、一年中緑の芝に覆われ、自然な雰囲気を持つ場所をイメージしてしまいます。リスが走り、あひる、ガチョウや白鳥が池を泳ぐ様な。

パリにいて、全ての建物が美しく、道を歩いて楽しいのですが、数日いると、徐々にイギリスの湿った緑が恋しくなってきます。ここの砂利道は、公園というよりは、ちょっと広めの並木道といった雰囲気。

それでも、この公園内のカフェは、大昔、初めてパリに一人旅した際、記念すべき最初のランチを取った思い出の場所です。初夏だったので、木漏れ日溢れる外のテーブルに座り。おどおどと注文をする東洋人を、不憫に思ったのか、ウェイターのおじさんが、それは親切に、気を回して給仕してくれたのがなつかしいです。

チュールリ公園の西端に辿りつくと、片側に、オランジュリーと呼ばれる小美術館があります。ルーブルなどとは違い、さくさくっと気軽に見れる美術館で、モネの大型睡蓮の絵に出合えます。

初のパリ旅行の際は、パリ郊外のヴェルサイユに足を伸ばしたかった為、ルーブル、オルセーの大美術館を見るのは諦め、パリ内で唯一訪れる事にした美術館です。チュールリ公園のカフェでのランチ後に繰り出し、ここで、大満足の午後を過ごしました。

私が入った際は、人も少なく、モネはもちろん、セザンヌ、ルノアール等によるフランス近代絵画の秀作をゆっくり眺めることができました。

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