ロンドン塔の囚人たち

ロンドン塔は、ヘンリー8世の時代中頃までは、時に、王宮としても使用されていましたが、不穏の世の中では、外の危険から身を守る砦となり、また、その時代時代に、君主にとっての、不安分子と見られる人物を幽閉する牢獄としての役割も果たしてきたわけです。

前回の記事に書いた、ロンドン塔での斬首刑の話や、何人もの著名人たちが、ロンドン塔へ送られ、幽閉されたり、時に拷問、殺害なども起こった事から、おどろおどろと、暗く恐ろしいイメージが一番強い場所ですが、最初から牢獄として建てられたわけではないので、数々の幽閉された者たちは、その時に空いている塔、空いている場所に住処を当てがわれ、特に、「囚人を閉じ込めるのは、ここのみ」と指定されていた場所は無いようです。待遇も、幽閉される人物によりピンキリで、高貴な身分の人物は、閉じ込められる、と言っても、比較的、良い待遇で扱われ、ロンドン塔塀の外には出られないが、ホテル暮らし、のような感覚。家族などの訪問滞在も許されたりもしていたようです。

砦としてのロンドン塔

最初に、ロンドン塔を砦としてたてこもったのは、スティーブン王で、ヘンリー1世の死後、スティーブンが、ヘンリーの娘マチルダと政権を争い、イングランド中が内戦状態に陥った時。

また、少年であったリチャード2世は、人頭税問題で巻き起こったワット・タイラーの乱で、ロンドン塔にたてこもっています。反乱軍から身を守るため、やはり塔内にいたのは、人頭税の生みの親、人民の敵とみなされたカンタベリー大司教で大法官でもあった、サイモン・サドベリー。リチャード2世が一時ロンドン塔を出て行った際、塔の門番は、押し入る暴徒たちを止めることもせず、門を開け、哀れ、不人気のサイモン・サドベリーは、タワー・ヒルまで引きずり出され、首を切られて死亡。砦などと言っても、門番が協力してくれなければ、こういう事もあり・・・。ワット・タイラーの乱の際は、果敢にスミスフィールドへ乗り込み、反乱軍と対面し、事を収めたリチャード2世も、後に、いとこで、ランカスター家のヘンリー(後のヘンリー4世)により、今度は、ロンドン塔に幽閉され、塔内で、王座を去る宣言をする結果となります。ついでながら、過去のイギリス君主の中で、自ら退位するはめになったのは、このリチャード2世と、アメリカ人、ウォリス・シンプソンと結婚したいために王座を捨てた、エドワード8世のみです。

9日間の女王として、ジェーン・グレーを掲げた一味は、最初は、砦としてロンドン塔に拠点を置くのですが、瞬く間に、メアリー(後のメアリー1世)が王座を奪回すると、今度は、ジェーン共々、処刑に至るまで、ロンドン塔に、囚人として幽閉される事となります。


牢獄としてのロンドン塔

上の写真は、ロンドン塔の「反逆者の門」(The Traitor's Gate)。チューダー朝の時代には、テムズ川を船で運ばれ、この門からロンドン塔に入る囚人が多くいました。また、ウェストミンスター・ホールで裁判にかけられるために、ここから船でウェストミンスターへ行き来する囚人も。

ロンドン塔での、最初の幽閉は、1100年に遡り、ヘンリー1世により、横領の疑いで投獄された、ラノルフ・フランバード(Ranulf Flambard)という人物。彼はまた、ロープを使っての、最初の脱走に成功しています。

ランカスター家とヨーク家による、王座をめぐっての争い、ばら戦争時代、ランカスター家のヘンリー6世は、ヨーク家のエドワード(後のエドワード4世)により、ロンドン塔送りとなり、最終的には、塔内で殺害。

また、同じヨーク家内でも、疑惑、陰謀はくすぶり、王エドワード4世に対する反逆の疑いでロンドン塔へ送られたのは、エドワードの弟でクラレンス公のジョージ・プランタジネット。彼は、塔内で処刑となったという説もあるものの、好みであったマームジーワインの樽の中で溺死したという説もあります。いずれにせよ、ロンドン塔に送られた後、クラレンス公は、再び、外の世界に姿を現さなかったわけです。

更には、エドワード4世亡き後、ロンドン塔に送られたまま、再び姿を現さなかったのは、父王の後を継いで少年王となったエドワード5世と彼の幼い弟のリチャード・・・人呼んで「ロンドン塔の王子たち」(Princes of the Tower)。シェークスピアの悪役で、王子たちの叔父にあたる、後のリチャード3世により幽閉され、彼の命令で塔内で殺されたとされます。詳細は、いまだに定かではないようですが。

チューダー朝に入り、特に、ヘンリー8世が、離婚問題をめぐりローマ法王と決別し、イギリス国教会を打ち立てた後は、宗教がらみの囚人たちで、ロンドン塔に送られる者たちの数がぐっと増えます。

ヘンリー8世をイギリス国教会の長とする、という首長令を受け入れることを拒否し続けた、トマス・モアも有名なロンドン塔の囚人のひとり。モアが塔に幽閉されていたのは1年くらいですが、ヘンリーは、モアはすぐに気を変えて、首長令を受け入れるだろうと高を括っていたところ、モアは態度を変える様子を全く見せない。最初は、飲食物、身の回りの調度品など、一切不自由のない生活を送り、家族の行き来も許されていたのを、「こいつは、気を変えるつもりはない」と気づき始めたヘンリーによって、徐々に、そうした特権がひとつひとつ取り除かれて行ったようです。最終的に、一切、妥協をしないまま、モアはタワー・ヒルで斬首刑。

ヘンリー8世は、無事に最初の妻と離縁し、アン・ブリンとの結婚を控え、アンの戴冠式に向けて、アンのために、ロンドン塔にかなり手を加えているのですが、運が巡って、3年後には、男児を出産できなかったアンも、姦通を理由にロンドン塔に幽閉され、処刑に至るという、皮肉な結果を見ます。

また、上記ジェーン・グレイの投獄の他にも、異母姉で、カソリック教徒の、メアリー1世に疑いの眼で見られていた、プロテスタントのエリザベス(後のエリザベス1世)も、ロンドン塔に一時的に投獄されています。エリザベスがロンドン塔幽閉中、塔内の別の場所に、やはり囚人となっていたのは、エリザベス女王の、幼い時の遊び友達でもあり、生涯の心の恋人となる、ロバート・ダドリー(レスター伯)。彼の兄のギルフォード・ダドリーは、ジェーン・グレーの夫君であり、ギルフォードと、父親のノーサンバーランド公ジョン・ダドリーはタワー・ヒルにて処刑となるものの、ロバート・ダドリーは、死を免れます。二人は当時20歳。彼らの幽閉されていた場所は、別々の建物であったものの、塔の敷地内での散歩などが許されていたため、幽閉中にも、会っていたのではないか、と言われています。いずれにせよ、エリザベスとロバート・ダドリーは、メアリー1世の下で、ロンドン塔に同時期、幽閉されたことがあるという共通の苦境が、更なる絆となったという話です。エリザベスが投獄されていたのは、約3か月、5年後には、メアリ1世は死亡し、エリザベスは女王となる。こういう状況の大逆転が起こりえるので、高貴な、特に王族の血の入った人物たちは、たとえ幽閉中でも丁重に扱う必要があるのでしょう。

エリザベスが女王となると、今度は、プロテスタントではなく、謀反の疑いをかけられた、幾人かの、カソリック信者たちが、ロンドン塔に幽閉される事となります。

ウォルター・ローリーが幽閉されていた一室
ジェームズ1世の時代に入り、かつてはエリザベス1世の寵愛を受けていたウォルター・ローリーが、王に対して謀反を企てていた疑いをかけられ、ロンドン塔送り。彼はなんと10年以上、ロンドン塔に滞在(?)することとなるのです。上記の通り、囚人などと言っても、比較的身分の高い人物は、それなりの待遇を受けての生活で、彼はロンドン塔内で、数々の著作や、化学実験、植物、薬学の研究なども取り行い、また、妻のエリザベスを含め家族も滞在を許されていたため、2人の間の末っ子は、このロンドン塔幽閉中に生まれています。彼の人生について、詳細は過去の記事「ウォルター・ローリーの生涯」を参照ください。ちなみに、彼の処刑場は、ロンドン塔内でも、タワー・ヒルでもなく、ウェストミンスターの聖マーガレット教会のすぐそばです。

17世紀からは、囚人の数は減少し続けますが、20世紀に入ってから、第一次、第二次世界大戦中に、スパイの疑いをかけられた者たちや、軍事関係の囚人が、一時的に収容されます。

塔内での、拷問というのも、行われていたわけですが、拷問にかけられた者の数というのは、想像するほど、多くはないようです。ジェームズ1世の時代に、国会を王もろともぶっとばそうと試みた、いわゆるガン・パウダー・プロットに関わったガイ・フォークスが、塔内での拷問にかけられた人物として最初に頭に浮かびます。拷問は、ラック(Rack)と呼ばれる木製の道具に縛り付けられ、両手両足を、引っ張られるというもの。結果、手首、足首、膝、肩などが脱臼することなども、よくあったようです。

女性で、ロンドン塔内で拷問(やはりラック)にかけられたのは、公式の記録上では、ただ一人で、ヘンリー8世の治世の末期の、アン・アスキューという人物。彼女の拷問は、聞いただけで、こっちの体まで痛くなるような、非常に残酷な話で、これは、また別の機会にでも書くことにします。

コメント

  1. たのしい記事?興味津々です。次回を楽しみにしています。娘はこのロンドン塔で王冠が展示されているのを見たと言ってました。どうしてロンドン塔なのかしら?

    返信削除
    返信
    1. 王冠などのCrown Jewelsが塔内にあるのは、ロンドン塔が砦や牢獄として機能したのと同じ理由で、強固な金庫としての役目を果たすからです。Crown Jewelsについては、次回書くつもりでいます。王立造幣局(Royal Mint)が長い間、ロンドン塔内にあったのも、同じ理由です。

      削除

コメントを投稿