退位危機、そして、どもりの王様
I have found it impossible to carry the heavy burden of responsibility and to discharge my duties as king as I would wish to do without the help and support of the woman I love.
私は、愛する女性の助けと支えなくして、自分に満足いくように、王としての重大なる責任を背負い、義務を果たす事が不可能であると感じたのである。
エドワード8世(在位1936年1月より同年12月)の、王座退位(abdication)のラジオスピーチの1部です。彼は、ジョージ5世の長男、現エリザベス女王のおじさんにあたる人。
「愛のためなら死ねる」とまでは行きませんが、王である限り、好きな女性と結婚できない事から、王位を退き、弟のアルバートがジョージ6世、として後を継ぐ事になります。このabdication crisis(退位危機)の原因となった、エドワードの愛した女性は、シンプソン夫人こと、ウォリス・シンプソン(Wallis Simpson)。
ウォリス・シンプソンはアメリカ人。エドワードと知り合った際はすでに離婚暦1回で、ロンドンのストック・ブローカーの、アーネスト・シンプソンと結婚していました。写真だけ見ると、取り立てた美人と言うわけでもなく、何となく、ポパイの彼女のオリーブ・オイルみたいな顔。クラスや階級に縛られず、おおっぴらでダイレクトなアメリカ的態度が、イギリス皇太子には新鮮で、一緒にいて楽しかったのでしょうか。
エドワードが王となった後の、1936年の10月、彼女は、当時の夫との離婚の申請を出す。これは、王は彼女と結婚するつもりだ・・・と危機感は頂点に達し。
シンプソン夫人が、アメリカ人であるということより、離婚暦があるという事が、国民、及びイギリス連邦の国々への示しがつかぬ、モラルによろしくない、と政治家の間では反対派は多数。なんとか、王にシンプソン夫人を諦めさせようと、説得を続け。面白い事に、やはり母親がアメリカ人のチャーチルは、賛成姿勢を示していたそうですが、当時は、政治的に野外だった彼の意見はそれほどの影響力も無く。また、国民の雰囲気を読みそびれた意見でもあったよう。
時の首相、スタンリー・ボールドウィンは、退位危機の対処に頭を抱え、外相のアンソニー・イーデンが、国際事情の話をしようとした際、「こんな大変な時に、国際問題でわずらわせないでくれ。」と言ったといいます。ヒトラー、ムッソリーニが台頭し、スペイン内戦も勃発した頃の話なので、どれだけ、この退位危機が、イギリス政治家にとって一大事だったかわかります。
お洒落なプレーボーイで、外交的であったエドワードに対し、バーティーの愛称で呼ばれる弟アルバートは、内気で大人しく、しかも、どもり。(どもりだったので、内気で大人しかったと言ったほうがいいのかもしれません。)妻のエリザベス(後のクイーン・マザー、エリザベス女王の母)は、王の様に、始終表にたたねばならないような任務は、内気な夫にはむかない、負担になる、とエドワードに「退位しないで欲しい」との懇願の手紙を書いたという話も聞いた事があります。最終的には、エドワードは、王位よりシンプソン夫人を選ぶわけですが。
ダイアナ妃の悲劇を経たものの、チャールズ皇太子は、王位継承権を放棄する必要なく離婚女性との結婚を成し遂げましたが、当時はまだ、国民も一般的にキリスト教的モラルも、現在より強かったのでしょうし。ただ、いまだ、英国王朝の王位継承者は、カソリック信者とは結婚できないという定めがあるそうです。こちらも、いつか、タブー視されない日が来るのでしょうか。
エドワードは、また、ヒトラーと、ナチス・ドイツに同情的だったという話もあります。退位後はウィンザー公の名称で呼ばれ、ウォレス・シンプソンと結婚し、外国暮らしとなり。ドイツへ夫婦で赴き、ヒトラーとも会っています。
静かな家庭生活を送っていたのに、こうして、いきなり王座につかされ、スポットライトの中で生きる事となったジョージ6世。第2次大戦中のイギリスのモラルを上げる、実直でまじめな王様となります。
戦時中、国王一家を、カナダへ避難させたらどうか、という話があった際にも、夫婦共に、この国に残る、とがんばったようです。娘2人(エリザベスとマーガレット)も、他国へ出ることなくウィンザー城で戦中を過ごし、国王夫妻は、日中は、数回爆撃にも合うバッキンガム宮殿にでんと構え。爆撃の被害がひどかったロンドンのイーストエンドにも、モラル高揚のために足を運び。
大変な時代に、国王としての任務施行のストレスがたたったか、ジョージ6世は、戦後、1952年に56歳の若さで死去。クイーン・マザーは、夫をはやく死に追いやったのは、「あの女」とエドワードのせいだと、一生和解せず。なんでも、シンプソン夫人は、クイーン・マザーが、家で使用していた調理人(クック)に似ていたので、クッキーなどと呼んでいたという話もありますので、これは、尚更、気の強い彼女には頭にきていた事でしょう。
クイーン・マザーの性格描写に、良くメディア等で、formidableという言葉が使われていたのをが印象に残っています。「手ごわい、恐るべき、非常に優れた」の意を持つ言葉。「一筋縄ではいかない」女性だった模様。
ご主人とは反対に、明るく社交的、人生を楽しむタイプで、ジン・アンド・トニックが好き、競馬が好き、性格は強固。ご主人の死後、約50年もの間、「国民の大好きなおばあちゃん」として、人気の王室メンバーでした。彼女が亡くなったのは、2002年、なんと101歳。公の場所でも、わりと死の直前まで、しゃきしゃきとしていて、「この人、200くらいまで生きるんじゃないか」と思わせたほど。体も、formidableだったのでしょう。エリザベス女王も、彼女の遺伝子をちゃんと受け継いでいるのか、まだまだ元気そうです。
余談となりますが、私は、かなり以前、クイーン・マザーをわりと近くで見た事があります。ナショナル・ギャラリーが夜遅くまで開いていた日に、友人と訪れ、印象派ギャラリーをうろちょろしていたところ、スノードン卿(写真家で、エリザベス女王の妹、マーガレットと結婚した人です・・・後、離婚)に連れられて、歩いている彼女を目撃。人の少ない夜の美術館とはいえ、まだ一般人がいる時間に、随分カジュアルなものだな、と感心したのでした。
大騒ぎとはなったものの、ナチスドイツに同情的で、政治的にいささかナイーブで軽率なエドワード8世が退位し、真摯なジョージ6世が戦中の王となったのは、後から考えたら、イギリスにとって良かったのでは、という意見が多いようです。
コリン・ファースがジョージ6世に扮する映画「The King's Speech」(英国王のスピーチ)は、ジョージがオーストラリア人のスピーチ・セラピスト、ライオネル・ローグの助けを借りて、どもりを克服しようとする過程を描いているようですが、面白い視点です。今からすでに、アカデミーの呼び声高いようですね。
最近、映画館に足を運ぶのが少なくなり、もっぱらDVDでお茶の間映画館派なので、実際、見るのはしばらく経ってからとなりそうです。
当映画の広告はこちら。
この映画に関するコリン・ファースのインタヴューを載せたビデオはこちら。
尚、下のBBCサイトで、上記に載せた、エドワード8世退位のラジオ放送、及び、「英国王のスピーチ」のクライマックスシーンに出てくるという、ジョージ6世が、1939年、ラジオで国民に戦争へむけての心構えを呼びかけるスピーチの本物が聞けます。ジョージ6世は、それはゆっくり、ゆっくり間を取って喋っています。サイトによると、彼は、rの発音にてこづっており、wに近いものがあるとのこと。それでも、無事スピーチを終えていますので、めでたし、めでたし。拍手。
The King's Speech: Royal broadcasts in the BBC archives
上の映画の写真も同サイトより拝借しました。
私は、愛する女性の助けと支えなくして、自分に満足いくように、王としての重大なる責任を背負い、義務を果たす事が不可能であると感じたのである。
エドワード8世(在位1936年1月より同年12月)の、王座退位(abdication)のラジオスピーチの1部です。彼は、ジョージ5世の長男、現エリザベス女王のおじさんにあたる人。
「愛のためなら死ねる」とまでは行きませんが、王である限り、好きな女性と結婚できない事から、王位を退き、弟のアルバートがジョージ6世、として後を継ぐ事になります。このabdication crisis(退位危機)の原因となった、エドワードの愛した女性は、シンプソン夫人こと、ウォリス・シンプソン(Wallis Simpson)。
ウォリス・シンプソンはアメリカ人。エドワードと知り合った際はすでに離婚暦1回で、ロンドンのストック・ブローカーの、アーネスト・シンプソンと結婚していました。写真だけ見ると、取り立てた美人と言うわけでもなく、何となく、ポパイの彼女のオリーブ・オイルみたいな顔。クラスや階級に縛られず、おおっぴらでダイレクトなアメリカ的態度が、イギリス皇太子には新鮮で、一緒にいて楽しかったのでしょうか。
エドワードが王となった後の、1936年の10月、彼女は、当時の夫との離婚の申請を出す。これは、王は彼女と結婚するつもりだ・・・と危機感は頂点に達し。
シンプソン夫人が、アメリカ人であるということより、離婚暦があるという事が、国民、及びイギリス連邦の国々への示しがつかぬ、モラルによろしくない、と政治家の間では反対派は多数。なんとか、王にシンプソン夫人を諦めさせようと、説得を続け。面白い事に、やはり母親がアメリカ人のチャーチルは、賛成姿勢を示していたそうですが、当時は、政治的に野外だった彼の意見はそれほどの影響力も無く。また、国民の雰囲気を読みそびれた意見でもあったよう。
時の首相、スタンリー・ボールドウィンは、退位危機の対処に頭を抱え、外相のアンソニー・イーデンが、国際事情の話をしようとした際、「こんな大変な時に、国際問題でわずらわせないでくれ。」と言ったといいます。ヒトラー、ムッソリーニが台頭し、スペイン内戦も勃発した頃の話なので、どれだけ、この退位危機が、イギリス政治家にとって一大事だったかわかります。
お洒落なプレーボーイで、外交的であったエドワードに対し、バーティーの愛称で呼ばれる弟アルバートは、内気で大人しく、しかも、どもり。(どもりだったので、内気で大人しかったと言ったほうがいいのかもしれません。)妻のエリザベス(後のクイーン・マザー、エリザベス女王の母)は、王の様に、始終表にたたねばならないような任務は、内気な夫にはむかない、負担になる、とエドワードに「退位しないで欲しい」との懇願の手紙を書いたという話も聞いた事があります。最終的には、エドワードは、王位よりシンプソン夫人を選ぶわけですが。
ダイアナ妃の悲劇を経たものの、チャールズ皇太子は、王位継承権を放棄する必要なく離婚女性との結婚を成し遂げましたが、当時はまだ、国民も一般的にキリスト教的モラルも、現在より強かったのでしょうし。ただ、いまだ、英国王朝の王位継承者は、カソリック信者とは結婚できないという定めがあるそうです。こちらも、いつか、タブー視されない日が来るのでしょうか。
エドワードは、また、ヒトラーと、ナチス・ドイツに同情的だったという話もあります。退位後はウィンザー公の名称で呼ばれ、ウォレス・シンプソンと結婚し、外国暮らしとなり。ドイツへ夫婦で赴き、ヒトラーとも会っています。
静かな家庭生活を送っていたのに、こうして、いきなり王座につかされ、スポットライトの中で生きる事となったジョージ6世。第2次大戦中のイギリスのモラルを上げる、実直でまじめな王様となります。
戦時中、国王一家を、カナダへ避難させたらどうか、という話があった際にも、夫婦共に、この国に残る、とがんばったようです。娘2人(エリザベスとマーガレット)も、他国へ出ることなくウィンザー城で戦中を過ごし、国王夫妻は、日中は、数回爆撃にも合うバッキンガム宮殿にでんと構え。爆撃の被害がひどかったロンドンのイーストエンドにも、モラル高揚のために足を運び。
大変な時代に、国王としての任務施行のストレスがたたったか、ジョージ6世は、戦後、1952年に56歳の若さで死去。クイーン・マザーは、夫をはやく死に追いやったのは、「あの女」とエドワードのせいだと、一生和解せず。なんでも、シンプソン夫人は、クイーン・マザーが、家で使用していた調理人(クック)に似ていたので、クッキーなどと呼んでいたという話もありますので、これは、尚更、気の強い彼女には頭にきていた事でしょう。
クイーン・マザーの性格描写に、良くメディア等で、formidableという言葉が使われていたのをが印象に残っています。「手ごわい、恐るべき、非常に優れた」の意を持つ言葉。「一筋縄ではいかない」女性だった模様。
ご主人とは反対に、明るく社交的、人生を楽しむタイプで、ジン・アンド・トニックが好き、競馬が好き、性格は強固。ご主人の死後、約50年もの間、「国民の大好きなおばあちゃん」として、人気の王室メンバーでした。彼女が亡くなったのは、2002年、なんと101歳。公の場所でも、わりと死の直前まで、しゃきしゃきとしていて、「この人、200くらいまで生きるんじゃないか」と思わせたほど。体も、formidableだったのでしょう。エリザベス女王も、彼女の遺伝子をちゃんと受け継いでいるのか、まだまだ元気そうです。
余談となりますが、私は、かなり以前、クイーン・マザーをわりと近くで見た事があります。ナショナル・ギャラリーが夜遅くまで開いていた日に、友人と訪れ、印象派ギャラリーをうろちょろしていたところ、スノードン卿(写真家で、エリザベス女王の妹、マーガレットと結婚した人です・・・後、離婚)に連れられて、歩いている彼女を目撃。人の少ない夜の美術館とはいえ、まだ一般人がいる時間に、随分カジュアルなものだな、と感心したのでした。
大騒ぎとはなったものの、ナチスドイツに同情的で、政治的にいささかナイーブで軽率なエドワード8世が退位し、真摯なジョージ6世が戦中の王となったのは、後から考えたら、イギリスにとって良かったのでは、という意見が多いようです。
コリン・ファースがジョージ6世に扮する映画「The King's Speech」(英国王のスピーチ)は、ジョージがオーストラリア人のスピーチ・セラピスト、ライオネル・ローグの助けを借りて、どもりを克服しようとする過程を描いているようですが、面白い視点です。今からすでに、アカデミーの呼び声高いようですね。
最近、映画館に足を運ぶのが少なくなり、もっぱらDVDでお茶の間映画館派なので、実際、見るのはしばらく経ってからとなりそうです。
当映画の広告はこちら。
この映画に関するコリン・ファースのインタヴューを載せたビデオはこちら。
尚、下のBBCサイトで、上記に載せた、エドワード8世退位のラジオ放送、及び、「英国王のスピーチ」のクライマックスシーンに出てくるという、ジョージ6世が、1939年、ラジオで国民に戦争へむけての心構えを呼びかけるスピーチの本物が聞けます。ジョージ6世は、それはゆっくり、ゆっくり間を取って喋っています。サイトによると、彼は、rの発音にてこづっており、wに近いものがあるとのこと。それでも、無事スピーチを終えていますので、めでたし、めでたし。拍手。
The King's Speech: Royal broadcasts in the BBC archives
上の映画の写真も同サイトより拝借しました。
おはようございます
返信削除もう29日ですから、大掃除とかしなきゃいけないのですが、これが苦手で、、。
エドワードとアルバートの兄弟には興味がありますねー。兄弟でも女性の好みが全く違ったり、価値観自体正反対だったりしますから、、。たいへん興味深く読ませて頂きました。シンプソン夫人というのもおもしろい人物かも?
映画 キングススピーチはいまから楽しみにしています。あまり知られていないエピソードですから、英語でもどもりというのはあるのですね。私の英語はいつもどもってます。
これから、また掃除にもどります。
良い新年をお迎え下さい。
20世紀前半の時代と政治的背景は、最近特に興味があります。2つの戦争を経て、イギリスで大きな社会変化が起きる時代でもあり。日本の学校の歴史の授業では、駆け足スキップして、あまりカバーされなかった部分でもあり。
返信削除どの言語でも、どもりは、あるでしょうね。公の場に立って、言葉が出ず、膠着してしまう恐怖感、かなり大きいです。一大イベントがある時など、前の晩から眠れない、なんてあるかもしれません。
せつこさんも、良いお年を。
アルバートがジョージ6世になったということは...チャールズ皇太子が王として即位するとどう呼ばれるのかなどと思ってしまいました。クイーン・マザー、素敵な老婦人でしたね。人気があったというのも納得です。年末寒波が来るそうですが、ここは穏やかな年末年始になりそうです。
返信削除以前、議会の歴史の研究をしている知り合いに、「チャールズ皇太子も、王になったら別の名で呼ばれるかも」と聞かされ、へーと思いました。いつ、誰が、どういう名にしようと決めるんでしょうね。今度機会があったら聞いてみます。
返信削除映画は、何度か、広告を見ただけですが、たしか、アルバートの愛称の「Bertie」という名が使われていたと記憶します。エドワード7世も、アルバート・エドワードと、お父さんのアルバート公の名前がついていて、家族間での愛称は、「Bertie」。ややこしいですね。
クイーンマザーは元気な人でした。