シルバー・レイクの岸辺で(By the Shores of Silver Lake)

「シルバー・レイクの岸辺で」(By the Shores of Silver Lake)は、ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)著、「インガルス一家の物語」の「プラム・クリークの土手で」に続く作品で、1879年から1880年にかけてのアメリカ西部開拓の話となります。

前回の物語の後、ミネソタのプラム・クリークで数年を過ごしたインガルス一家。新しく赤ん坊のグレイスが生まれ、家族メンバーが一人増えています。話のはじめで、淡々と、その間に起こった災難が語られます。それは、お母さん、メアリー、キャリーが猩紅熱にかかり、うち、メアリーは、その結果、目が見えなくなってしまう。お父さんは、一人で畑仕事、ローラは、家族3人の看病と家事で疲れきっていた上、農場での収穫も、思ったほど良くない。

そこへ、思いがけぬ訪問者として、ローラの叔母さんが現れ、西へと伸びる、アメリカ大陸横断の鉄道建設の請負業を行っている夫(ローラの叔父さん)が、ダコタでの鉄道建設にあたり、総務会計業,、店の番等を手伝ってくれる信頼できる人間を探しているから、と、ローラのお父さんを鉄道の仕事に誘うのです。常にうずうずと開拓者精神が胸の奥に眠り、更に西への旅立ちを夢見ていたお父さんは、誘いを受け、一家は、今度は、ミネソタから、ダコタへと移動。

プラム・クリークを去る前に、過去ずっと、ローラと一家を、熊、狼、インディアン、その他もろもろの外的から守ってきた、愛犬ジャックが老死。これで、ローラは、これからは、自分で自分の面倒を見なければならないと、子供時代から、完全にさよならを感じる。また、ローラは、お父さんから、目が見えなくなったメアリーの目になってやるように、と頼まれ、過ぎ行く風景や、周囲で何が起こっているかを、細かく、メアリーに描写して説明するようになるのです。何事も言葉で描写する、この習慣が、後に、「インガルス一家の物語」を書くのに役立ったのではないでしょうか。

お父さんは、叔母さんと共に、先にダコタへ移動し、仕事をはじめ、落ち着いた数ヵ月後、残りの家族は、新しくできた鉄道を利用して、はじめて汽車に乗り、お父さんに合流するため、路線が続く限り、途中まで、旅するのです。

ダコタの、シルバー・レイク湖畔には、鉄道の労働者達が寝泊りする仮の町(シャンティー・タウン)が建ち、インガルス一家は、そこから少し離れた、やはり仮の掘っ立て小屋(シャンティー)で、この場所での鉄道の建設が終わるまで留まることとなります。

一家の長期的目的は、お父さんが、鉄道の仕事を手伝いながら、滞在中に、周辺に「ホームステッド」を探そうというもの。このホームステッド(homestead)という言葉は、この本の中で何度も登場し、大切な物語の軸となるので、ちょいとここで、脱線して、説明を入れておきます。

ホームステッド法(Homestead Act 1862)

1862年に、時の大統領、アブラハム・リンカーンにより署名された法。イギリスからの独立戦争によっての、アメリカ建国以来、建国の際、東部海岸線にあった13州以外の、西部に広がっていく新しい領土をどう分配するか、というのは、ずっと問題になっていました。この法により、アメリカ市民であり、(または市民となる意思があり)、政府に対して武器を取った事のない21歳以上の人物、または一家の長であれば、誰でも、西部に、160エーカーの土地(ホームステッド)を得ることが出来るというもの。160エーカーは、1マイル四方の4分の1(0.65km2)であるため、物語の中では、Quater Section(クウォーター・セクション、4分の1の土地)などとも称されます。

小規模自営農業を増やし、土地を開拓し、有効に使用することが目的でもあったため、下の3過程を経ることが必要。

1.獲得したい土地を見つけたら、それを登録する。
2.その土地で、最低5年は農業を営み、土地を耕し、改善させる。
3.過去5年、その土地に住んだ証拠と、土地を改善した証拠を提出して初めて、その土地の権利証書を登録し、獲得。

この法が通った時は、すでに南北戦争が始まっていますから、政府に対して武器を取ったことがない・・・という条件下では、南北戦争で南軍に参戦すると、自動的に資格なくなるわけです。どうしても、西部に奴隷制が広がるのに歯止めをかけたかったリンカーン大統領。西部に、奴隷制に反対する小規模自営農の数が増えることにより、南部の奴隷を使用した、大規模プランテーションを脅かすことともなるわけです。逆に、開放された黒人奴隷にも、ホームステッドを得る権利があったと言います。そういう意味では、非常に政治的な法なのです。もっとも、北東部の工場主の一部の間にも、低賃金の工場労働者たちが、無料の土地獲得のため、大挙して西へ流れ去ってしまうのでは、という懸念もあがってはいたようですが。

プラム・クリーク出発前の、インガルスのお父さんの言葉によると
We can get a hundred and sixty acres out west, just by living on it, and the land's as good as this is, or better.  If Uncle Sam's willing to give us a farm in place of the one he drove us off of, in Indian Territory, I say let's take it.
ここから西部へ行くと、住んでさえいれば、160エーカーの土地を獲得できる。ここと同じくらいか、ここよりも良い土地をだ。もし、政府(Uncle Sam サムおじさん= US)が、インディアン・テリトリーに住んでいた時に追い出された土地の代償に、農場をくれると言うのなら、喜んでもらうに越したことはない。

実際に、こうしてホームステッドを獲得して農場経営を試みたものの、冬のふぶき、夏の旱魃、虫の被害、一般的生活条件の悪さ、その他もろもろの理由で、60%近くは失敗に終わり、故郷へ帰ったという話ですが。それでも、広い土地を、ほぼ無料で獲得し、生計をたてるチャンスが当時のアメリカにはあったわけです。今、こんな事ができる土地が、先進国のどこかにあったら、びっくりするような数の人間が大挙して押し寄せることでしょう。1934年までに、こうして、アメリカ政府から個人の手に渡った土地は、アメリカの領土の10%に当たると言います。

参考サイト:National Archives、このページで、1863年1月1日に、ネブラスカで、初めてホームステッドに申し込んだ人物の登録証などが見れます。

さて、鉄道の労働者たちが去って行ったあと、インガルス一家は、冬の間、シルバー・レイクのほとりの、測量技師が住んでいた食料がたっぷり蓄えてある大きな家に移り、人っ子一人いなくなり、お隣さんは60マイル先という草原の只中で、冬越し。測量技師が春に戻るまで、家のお守りをする事となります。また、鉄道建設中は、仕事で忙しく、適当なホームステッドを探せなかったお父さん、この冬季に、周辺で狩をするうちに、気に入った土地に出くわし、春になって、地方のホームステッド登録のオフィスが開いたら、即座に、登録に出ようと心に決める。

クリスマス・イブに、一時、結婚するために、アイオワへ移動していた仕事仲間であった、ボウスト氏が、新妻を連れて、インガルス家に現れ、しばし、冬の間居候。その理由というのも、すでにホームステッドを周辺に見つけ、登録してあったボウスト氏であるものの、クレーム・ジャンパーと称される、他人が登録した土地に勝手に入り込んでしまう人間がいたようで、それを心配し、春になるやいなや、ホームステッドへ移れるよう、冬の間にダコタに戻ってきた次第。ボウスト氏によると、
the whole country is moving west in the spring. All Iowa is coming, and we knew we must be ahead of the rush or some claim jumper would be on our homestead.
春になると、国中の人間が西へやって来るぞ。アイオワの全住民も押し寄せてくる。だから、その前に、ここに来ないとまずいと思ったんだ。クレーム・ジャンパーが俺たちのホームステッドに無断で乗り込んでこないとも限らないから。

彼の予言どおり、春が近づくと共に、次々と、ホームステッドを求めて、旅人たちが、シルバー・レイクに現れ始める。ほぼ全員男性で、周辺に宿泊場がないため、一家に宿と食事を求めるようになり、気が付くと、インガルス一家は、どこの誰とも分からない、ホームステッドを求める男性たちのためのホテルと化してしまうのです。あまりにも、次から次へとやってくるため、お母さんは、そのうち、お金を取り始め、子供たちも、皿洗い、掃除洗濯とてんてこまい。

こうした、ホームステッドを求める人の波に益々心配になってきたお父さん、天候回復と共に、登録事務所のある町へ出かけて行くのですが、一日目は、長蛇の列で、登録できず、夜、事務所前で寝て、翌朝、一番最初に登録を試みるのです。が、事務所へ入ろうとしたところを、同じ土地に目をつけている、後ろに並んでいた人物たち2人に、取り押さえられ、先をこされそうになる。ピンチ!ここへ、運よく登場して、けしからん2人に飛び掛り「インガルス!行け!ここは任せておけ!」と叫ぶのは、「大草原の小さな家」の物語で、カンザスにいた時の隣人だったエドワーズ氏。彼自身も、どこかのホームステッドを登録にやってきていたのですが、ラッキーでしたね。インガルスのお父さんが、この時、160エーカーの土地を得るのに払った金額は、登録手数料を入れて、14ドル。どおりで、大挙して人が押し寄せたわけです。アイオワ、オハイオ、イリノイ、ミシガン、ウィスコンシン、ミネソタ、中には、はるばるニューヨークやヴァーモントからも。

エドワーズ氏に助けられ、登録をすませたお父さんが家に戻ると、家には、町建設のためにやってきた男性が居候、また、やはり土地に流れ込んできた人物たちが食事をする大衆食堂の様な場所と化していた。それでも、4月になると、周辺にすでに町の目抜き通りの様なものが建ち、他にも居住できる場所や、施設が増えてきたため、インガルス家は、再び、静けさを取り戻し、戻ってきた測量技師に家を引き渡すと、出来立てのDe Smet町に一時的に住み、その後、お父さんがホームステッドに、寝泊りできる程度の小屋を建てるや、一家は、ついに、新しいホームステッドへと移動し、新生活を開始。記念に、家の周りに、家族メンバー1人に一本ずつ、小さな木を植樹。

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参考までに上は合衆国の地図。ワールドアトラスのサイトより拝借。このサイトで、建国当時の東海岸にあった13州の場所も確認できます。

ワゴン車に家族を乗せたフロンティア開拓者の旅は、1840年代から始まっていたわけですが、当時はまだ、アメリカ中部の大草原(Great Plains)は、ただ通過するだけの地域で、目的地は、豊かな土地と噂された、西海岸のオレゴンや、カリフォルニア。ちなみに、カリフォルニアのゴールド・ラッシュは、1848~1855年のこと。これが、1862年のホームステッド法にて、中部の大草原も、開拓者が目的地として、住み農業を営む場所と変わっていくのです。

物語で、鉄道建設も大きく取り上げられていますが、初めての、アメリカ大陸横断鉄道が完成するのが、1869年、その後、1890年までに、6線の大陸横断鉄道が建設されることとなります。鉄道の導入が、最終的に大草原に数多く存在したバッファローの絶滅、それを生活の糧としていた、インディアンの伝統的生活の崩壊にもつながり、物語の中でも、かつてはこの土地にいたバッフォローをもう見ることはないだろう・・・のような記述が何度かありました。一方、汽車により、物資と人間の移動が楽になり、鉄道は、ホームステッド法と共に、アメリカ中部の草原グレート・プレーンズでの本格的開拓に拍車をかける要因となるのです。

また、開拓地に多々いた、暴力、ばくちなどに走る、好ましからぬ人物の存在も、物語に描写されており、近辺で、暴力沙汰や、殺人事件まで起こっています。以前は、獣から身を守るために必要だった銃も、今度は、人間から身を守るために必要となってくる。そんな物騒なことが時々起こる中、お母さんや、メアリーは、プラム・クリークを恋しく思うのに、お父さん似で、開拓精神たくましいローラは、更に西へと旅したくなる。

流行したwhatnotを室内に置く様子
生活風景描写として面白かったのが、「whatnot」という代物。ボウスト氏の奥さんが、インガルス家に滞在中に「今、アイオワでは、皆、whatnotを作っているのよ。」と伝授し、一緒に作るのですが、これは、部屋の角に置く飾りだな。何段かの扇形の棚が下から順に小さくなっていくもの。こんな、まだ新しい土地でも、インテリアの流行などが始まっていたのです。確かに、この当時の室内画で、この「whatnot」が部屋の隅に置かれてあるものを見たことがあります。「what not」とは、英語で、「いろいろな物」「何でも」の様な意味を持ち、置物やら、本やら、何でも置ける・・・という事で、この棚が、「whatnot」「what-not」と呼ばれるようになったと言います。

また、開拓者の他に、この土地に、いろいろな場所から、綺麗な空気を求めて、結核(consumption)の療養に来ていた人がいる、という事実も意外でした。prairie climate cure「プレーリー気候治療」として知られていたようで、お母さんによると
Folks come from all over the world to take it.
人は、プレーリー気候治療のために、世界中から、この大草原にやってくるのよ。

視力を無くしたメアリーが、悲嘆にくれる事もなく、禁欲的に新しい人生に慣れて行き、すぐに裁縫ができるようになるのも,、なかなか、たのもしい。パッチワークなども、誰かが、色合わせさえしてくれれば、綺麗に縫い上げられるようにもなり。辺りが暗くなっても、針を持つ手を休めず、

I can sew when you can't see to, because I see with my fingers.
ローラが暗くて見えなくなった後も、私は縫い続けられるのよ。私は指で物を見るから。

と。綺麗な金髪と、青い目の少女だったメアリー。ローラのようなお転婆ではないものの、芯は強いのです。昔、何かのキャッチフレーズで、「男はタフでなければ生きていけない。」なんてのがありましたが、フロンティアでは、どんなにか弱そうな女の子でも、「泣くな、わめくな」的な、タフさを心に持っていないと生きられないのです。

お母さんは、自分が学校の先生だったし、自分のお母さんも先生だったため、娘の一人は先生にしたい、という希望。メアリーが盲目となった段階で、ローラが将来、先生をするように、と両親から言われ、西部への冒険がしたい、自由でありたい、というローラには、一時、それが心の重荷になるのですが、盲目の子女のための学校がアイオワにあると知り、メアリーが学校に行けるように、自分が先生になりメアリーの学費を稼ぎ上げる足しになりたいと、健気に決心。

物語の最後のほうでは、後にローラが結婚する、アルマンゾ・ワイルダーがちらりと登場します。ローラを主人公とする、インガルス家の物語は、この後、「長い冬」(The Long Winter)へと続きますが、こちらを読む前に、ローラ・インガルス・ワイルダーの夫君となる、このアルマンゾ・ワイルダーのニューヨーク州での少年時代を描いた「農場の少年」(Farmer Boy)を先に読んでみる事とします。

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