プラム・クリークの土手で(On the Banks of Plum Creek)

ローラ・インガルス・ワイルダー著「インガルス一家の物語」シリーズの、「大草原の小さな家」に続く、「プラム・クリークの土手で」(On the Banks of Plum Creek)を読み終わりました。

カンザスの大草原の小さな家を後にしたインガルス一家の、次の居住地は、ミネソタのプラム・クリーク。ミネソタは、ノルウェー人移住者が多かったようで、お父さん、曰く、「ウィスコンシンの森にいた時は、周りはスウェーデン人ばかり、カンザスの草原ではインディアンと狼、ミネソタではノルウェー人がたくさん。」まず最初の家を購入した人物も、ノルウェー人で、土手にあった、sod house(ソッド・ハウス、芝生の家)と呼ばれる、草の根の混ざった草原の土を掘り起こして作った家を購入するのです。

ソッド・ハウスは、当時のアメリカ中部の大草原の開拓者が住む家として、数多くあったようです。確かに、まわりに、木造の家を建てられるような森がほとんど存在せず、遠くから木材を運び込んでくるお金を、最初から持っている開拓者も少なかったわけですから。ちょっと原始的で、内部は暗いものの、ソッド・ハウスは、素材は無料で、夏は涼しく、冬は暖かいという利点があったようですし。そして、新しい土地で、ソッド・ハウスに住みながら、周辺を耕し、農家として成功すると、木材を購入してちゃんとした木造の家を建てる・・・これが一種の成功のシンボルであった感じです。インガルス一家が購入したソッド・ハウスは、小川のほとりの土手に掘られていたため、天井は土手の上の草に覆われ、雰囲気的に、愛らしいホビットの家。家の天井にあたる草地を、大きな牛が歩いて、天井に穴を開けてしまうというエピソードが挿入されています。

ミネソタは小麦等を育てるのに良い土地だそうで、お父さんは、小麦が無事実るようになれば、かなりの収入を得られ、家計も豊かになると、意気揚々。小麦の芽がぐんぐん出始めたところで、「これで将来大丈夫だろう。」と、先にお金を借りて、木材を購入し、近くの高台に、ガラスの窓付きの木造家を建築してしまうのです。英語で、「ひよこが孵化する前に、その数を数えるな。」ということわざがあります。まだ、結果が出ていないうちから、成功を期待するな、という意味で、日本語の「取らぬ狸の皮算用」と同じのり。インガルス家のお父さんの場合は、「小麦を収穫する前に、その計量をするな!」と言ったところ。家が完成した後、小麦の収穫直前に大災難が、ふりかかるのです。

ある日、まるで豪雨のように、空から落ちて来たのは、無数のイナゴ。周囲は一面、見渡す限り、イナゴに覆われ、あっという間に、小麦のみでなく、周りの緑を全て食べつくされてしまう。この描写が、本当に気持ち悪かった。このため、家を建てた借金の返済はおろか、新しい靴すら買うお金もなくなり、お父さんは、ぼろ靴をはいて、いなごの影響を受けていない、ミネソタ東部の土地へ、歩いて小麦の収穫の仕事を探しに出るのですが、この距離、なんと300マイル。お母さんと、ローラ、メアリー、キャリーを、いなごの徘徊する乾ききった土地に残して、冬まで不在となってしまうのです。そして、恐怖のイナゴたちは、地面に数限りない卵を産みつけ、翌年の小麦の収穫も、これで望めない事となり、お父さんは、2夏連続で、ミネソタ東部に出稼ぎを余儀なくされます。翌年の夏、そうして孵化したいなごたちは、予想通り、やはり周辺の緑を食べつくし、やがて、本能に駆られたように、大挙して、親の世代がやってきた西へ向かって、一斉に歩き出し、去っていく。この様子も気色悪かったです。1874年と1875年の、ミネソタでのいなご災害は本当にひどいものであったようで、かなりの人数の住人たちが、別の土地へと移っていき、残った農家はインガルス家のお父さん同様、大黒柱が、どこかへ別の仕事を求める結果になり。

いなご災害や、2年目の大変厳しい冬にかかわらず、お母さんが、この場所で気に入ったことは、町、学校、そして教会が歩いていける距離にあり、子供たちに教育を与えられ、自分も定期的に日曜日に教会に参列することができる事。8歳のローラは、始めていく学校で、人間関係を学んで行き、仲良しと、敵を作る・・・。敵は、どの学校にでもいそうな、意地悪の気取り屋、ネリー。両親が町で雑貨屋を経営し裕福であるため、ドレスや所有物を見せびらかし、ローラとメアリーを、貧乏人の田舎者と馬鹿にする。私も、小学校のとき、他人に比べ、少々豊かさに欠けた家庭であったので、ずっと、2歳年上の幼馴染のお古を着ており、クラスの意地悪女に、「何、その服、前見たことないのに、なんだか古そう。誰かのお古でしょ。」と言われたのを思い出し、ローラが、復讐に、ネリーを、蛭がいる流れに連れて行き、蛭に吸い付かれたネリーがそれを振り払おうと大騒ぎする場面は、こ気味よいものがありました。

また、私も、所有物に執着を持つ子供だったので、ずっと長い間大切にしていた古布で作った人形のシャーロットに対する、ローラの愛着も分かります。お父さんが、ぼろぼろの靴を履きながら、新しい靴を買うためのお金を、教会に鐘を吊るす基金に寄付してしまい、ローラは、お父さんが気の毒で、涙が出そうになる、という場面も、両親から一方的に保護を受けて安心感を抱いていた子供時代から、今度は、両親や家計に対する責任を感じ始める、大人への過渡。多少、生活が大変な家庭の子供のほうが、精神的成長は、早かったりするのかもしれません。

この物語の中で、何度か、「boughten door、ボートン・ドア」「boughten bloomボートン・ブルーム」などという表現が出てきて、「何だろう、ボートンって、聞いたことないな、特別な木材の名前かな」と思いながら、調べたところ、昔のアメリカの一部の地方の方言で「bought、ボート」(買った、買われた)に当たる言葉でした。要するに、手作りではなく、店などで、「買ったドア」「買ったほうき」。今まで、ほぼ、すべて手作りであり、店から買うのは釘くらいだったのを、新しい木製の家を建てるに当たり、ドアも、すでに作ってあるものを買ってきて、ついでに、ほうきも買ったのです。それが、目面しい事であったため、わざわざ「買った」とつけたわけ。今じゃ、ホームメードの方が目面しいですけどね。

一家が所有する数少ない本には、聖書の他に、「Millbank」という本が取り上げられていて、これは、今では著名度が落ちたものの、当時はベストセラーの女流作家として、大変な人気を博していたと言う、メリー・ジェーン・ホームズ(Mary Jane Holmes)によるもの。ある作家の作品は、後々まで読まれ続けられ、ある作家のものは、全く人々の記憶から消えてしまうというのも、何が理由でしょうね。質だけでは無い気がしますが。私としては、ローラ・インガルス・ワイルダーの、このシリーズがいまだ人気で、簡単に入手できて良かったな・・・というところ。この年になってから、夢中に読みまくっていますから。19世紀後半のアメリカの社会史のお勉強にもなります。

学校に通うことで、姉妹が必要になるのは、ノート代わりに使ったスレート板(石版)。紙などが高価だったのか、書いては消して使える石版が、まだ一般的だったんですね。赤毛のアンが、学校で、ギルバートの頭を投打したのも、この石版でした。

物語は、2回目の冬のクリスマス・イブで終わり、この時のクリスマス・ディナーは、なんと、オイスター・シチュー。牡蠣(オイスター)は、米東海岸で、インディアンたちが長いこと食していたものである上、ピルグリムファーザーズなどの移民者たちにも、手軽に食べられるタンパク源とあって、ずっと人気の食べ物であったという事です。牡蠣シチューをクリスマスに食べると言う習慣は、アイルランドの移民により広がったそうです。カソリックである彼らは、クリスマスに肉を食べず、魚を食したそうで、アメリカでは、オイスターを魚代わりに使ってオイスター・シチューを作ったのだとか。牡蠣人気は、東海岸のみにとどまらず、この物語の時代には、缶詰や、乾燥にしたものが、西部や内陸部でも、食されていたのだそうです。

イナゴが去り、厳しい冬であったため、次の夏はイナゴはやってこず、ついに小麦を育てることができるだろう、と、希望を持ちながら終わる「プラム・クリークの土手で」ですが、この一家が、本当に豊かさを手にする日がくるのか・・・。

夏の極度の乾燥と、冬の寒さは嫌ですが、この場所の情景は、とても牧歌的で、プラム・クリークの名の通り、流れの脇には、プラム(すももの木)が生え、実がなった後は、それを集めて、日干しにして、冬用に貯蔵していました。ホント、天気さえ、これほど極端でなければ、インガルス家がそれまでに住んだ中で、私はここの様子が一番気に入りました。

コメント

  1. 思い出しました。よく読み込んでますね

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    1. 私も、自分で書いたくせに、数年後に読み返して、ああそうだったと思う事があります。この物語のイナゴ場面の恐怖は、忘れられないですが。

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