失われた中世の村
Wharram Percy |
なぜに、人っ子一人いなくなり、村がいきなり消えうせてしまったのか・・・SFが好きな人は、村人が皆、UFOにさらわれたとか、別世界へワープしてしまったとか、色々想像を膨らませそうです。が、一番の理由は、「羊」のようです。
ペスト(黒死病)という恐ろしい病気は、イギリスを含む、ヨーロッパを、過去、何度も脅かしていましたが、特に、1348年から1350年にかけての黒死病の蔓延で、イギリス各地の村でも多くの人間が命を失い、その結果、いくつかの中世の村は人がいなくなった、という説もあります。が、たとえ、人数が減っても、村人一人残らず黒死病で死ぬ、という事は、比較的まれであったでしょう。この14世紀の黒死病の影響で、人口が減り、労働力も少なくなったため、社会底辺の、小作人たちは、地主から、以前よりも高級や好条件を要求する事ができるようになり、労働者パワーが強くなったと良く言われます。その反面で、労働費が高くつくなら、いっその事、畑を耕すなど、面倒な事はやめ、小作人を土地から蹴り出し、その代わりに羊を放牧した方がわりが良いと、いわゆる「囲い込み」「荘園閉鎖」を行う地主も増えていくのです。
ヨークシャー州の田舎では、すでに、遡ること12世紀から、修道院の坊さんたちが、羊を飼い、羊毛を販売するという事を行っていました。ヨークシャー内でも大規模であったファウンテンズ修道院(Fountain's Abbey)も、魂の救済を求めた地主から、土地を与えられ、そこで羊の放牧を行っています。この際にも、地主たちは、以前、その土地に住んでいた小作人たちを、問答無用で立ち退かせています。(ファウンテンズ修道院等その他、ヨークシャーの修道院跡の写真は、以前の記事まで。こちら。)
中世の失われた村々の中でも、最も有名なものが、ヨークシャー東部に位置するウォラム・パーシー(Wharram Percy)。ウォラム・パーシーは、15世紀後半から16世紀にかけての、地主による囲い込みにより消えうせた村とされています。追い出された村人たちは、わずかな所有物をまとめて、どこへ行ったのか。すぐに他の土地に移動して雇われた人間もいるのか、他の職業を始めた人間もいるのか。新しい仕事を見つけられずに、道端で死んでしまった人間もいるのか。王様貴族の動向は、しっかりと記載されているけれど、名も無い人々のこういった記録など、もう残っていないのでしょうね。
現在は、ナショナル・トラストによって管理されているウォラム・パーシーに足を踏み込むと、ただの野っぱらの様な場所。
広い空の下、朽ちた教会、
そして、道や住宅の立っていた跡が残っているだけ。行った時は、私とだんな以外は、地平線のかなたまで、人っ子一人目に入らずに、まさに、失われた村のイメージそのもの。
現在、日本などでは、人口の減少と、特に若い世代は、仕事を求めて都会へ出てしまい、地方の村の老化と過疎化などが進んでいるようなので、後、数十年たった時には、それこそ、人口がゼロとなった、失われた村などもいくつか存在するかもしれません。今後、そんな場所を利用して、牛や羊を放牧し、国として、肉や牛乳の自給自足を目指す・・・というわけにもいかないのでしょうか。
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