大草原の小さな家 (Little House on the Prairie)

先日、ローラ・インガルス・ワイルダー著の「大きな森の小さな家」(Little House in the Big Woods)の事を書きました。19世紀アメリカのフロンティア家族、インガルス一家の物語の第一話。この続きにあたる、「大草原の小さな家」(Little House on the Prairie)を読み終わったので、この物語と歴史的背景の事も、ちょいとまとめてみます。

「大きな森の小さな家」では、アメリカは、ウィスコンシン州ぺピン近郊の森に住んでいたインガルス一家。「大草原の小さな家」では、お父さんは、この森が新しい移住者で、混雑し始めたと感じ、新天地を求めて、一家をワゴン車に乗せ、ウィスコンシンから、ミネソタ、アイオワ、ミズーリを抜け、カンザスへと移動。カンザスのインデペンダンスから40マイルほど離れた大草原の只中に丸太小屋を建て、ここで生活を始めようという話です。今では、40マイルなど、車で1時間以内で行ける距離ですが、物語の中、お父さんが、インデペンダンスへ買い物や郵便局などの用足しに出るのに、片道2日、計4日かかっており、道中、野原でキャンプ。本当に、周りに何も無い、大草原のど真ん中に住んでいたわけです。プレーリーを移動中に、草原がはるかに続き、行けども行けども、ワゴン車は、周囲が地平線の大草原の真ん中にあるという描写がありました。

彼らの様にワゴン車で西部へと移動した開拓者たちの中には、当然、病気や怪我などで死亡する人も多かったわけですが、死因の中でも、溺死がかなり多かった、という話を以前聞いて「へー」と思ったのですが、「大草原の小さな家」の、カンザスへの移動中の部分を読むと、なるほどね、と、その理由がわかるのです。

まず、お父さん、お母さん、ローラ、メアリー、キャリーが、森の中の丸太小屋を去り、親戚一同に別れを告げ、旅立つのは、まだ寒い冬の終わり。それというのも、ミシシッピ川を西岸へ渡るには、氷がはっている時でないと難しいため。家族を乗せたワゴン車は、ミシシッピ川にはった氷上を無事渡り、西岸にキャンプしたその夜、みしみしと氷が割れる音が聞こえてくる。お父さんは、もう一日待っていたら、渡っている最中に凍える水の中に落ちていたかも・・・とほっとするのです。そして、更には、橋の無いミズーリ川を渡るには、今度は、いかだにワゴン車を乗せて、とちょっと危なっかしい感じ。また別の川を渡る際には、浅瀬を、そのまま渡ろうとし、川の真ん中が、予想外の急流で、流されそうになり、お父さんが水に飛び込み、馬たちのたずなを引いて、なんとか無事に対岸にたどり着く・・・。この際、川を泳いで渡った愛犬ジャックは、流されて溺れそうになっていますし。

お父さん、新しいカンザスの地でもまた、万能大工ぶりを発揮し、隣人エドワーズ氏の力を借りて、まず丸太小屋を建て、納屋を建て、家具を作り、暖炉と煙突を作り、別の隣人スコット氏と共に井戸を掘り・・・と大忙し。お母さんのためのロッキングチェアなども、柳の木と枝を使用して、一晩で作ってしまっていました。いいな、こんなロッキングチェア、私も作って欲しい。

滞在中、いくつかの災害も降りかかり、まずは、丸太小屋つくりの時に、お母さんが足をくじく。狼の集団に家を囲まれる。井戸掘りの時に、手伝ってくれていた隣人スコット氏が、井戸の底のメタンガスにやられ、気絶。そして、家族全員マラリアにかかる。その後、煙突の火事。草原の火事。

マラリアは、まだ、蚊によって引き起こされるとわかっておらなかったようで、近所のスコット夫人は、川の脇に植えたスイカを食べた人たちがかかったので、スイカのせいだ・・・とし。それでも、薬には、キニーネが使用されていたようで、インデペンダンスなどの町で購入できたようです。

物語の後半は特に、インディアンの話が多く導入されています。一家が家を建てた場所は、当時は、オーセージ族(Osage)インディアン達が住んでいた、インディアン・テリトリー内であり、この地に開拓者が移住するのは、厳密には違法であったようです。それでも白人たちは次々にやってきて、定住していく。現在は、インディアン・テリトリーであっても、やがては、アメリカ政府が、インディアンを更に西へと押しやり、政府のものとなると見た開拓者たちは多かったようで、違法でも先に乗り込んでしまい、インディアンが去るのを待つことで、良い土地を早めに手に入れよう、という考えであったようです。お父さんも、物語の中で、そう言ってますし。

インディアンたちは、何度か、インガルス家の家の中へ入り込み、その度に、タバコやら食べ物やらを取って行った事になっていますが、バッファローを狩ることも難しくなり、干ばつで収穫も減り、オーセージ族は、かなり苦境にあったようです。お父さんは、彼らは平和的だから、欲しいものをあげて、干渉しないようにしていれば、暴力を奮ってくる事はないと、冷静に対処。お母さんはインディアンが大嫌いなので、ローラは、「じゃあ、なぜ、インディアン・テリトリーに来たのか?」と素朴な疑問。

スコット夫人は、インディアンは、野生動物の様に、徘徊するだけでなので、無駄な存在、土地は、それを耕して利用する人物が所有する権利がある・・・の様な事を意見していますが、これが、一般的な開拓者たちの見解だったのでしょう。夫人は、また、ミネソタであったインディアンによる開拓者の虐殺の事が頭から離れず、近くのオーセージ族のキャンプが疎ましい。エドワーズ氏いわく、「良いインディアンとは、死んだインディアンだけ。」お父さんは、常に、西へ西へと移動させられ、白人に対して憎しみと敵対心を持つインディアンの気持ちはわかる、という態度も見せるものの、最終的には、インディアンが去って、土地が空くのを待っているわけですから、彼も聖人ではないわけです。移住者も数が少数であれば、共存という可能性もあるかもしれないけれども、侵入者が、原住民より数多くやってきて、土地は所有するものという観念を持ち、更には、強力な武器を持っていたら、もう後の祭りで、遊牧系原住民の生活文化が滅びるのは時間の問題。

物語では、最終的に、違法滞在者である登場人物たちを立ち退かさせるために、政府に送られた兵隊たちがやってくる、という噂を聞いて、お父さんは、兵隊に無理やり自分が建てた家から追い出されるくらいなら、先に自分から出て行く、と、かなり唐突に荷物をまとめて、再びワゴン車に飛び乗って、大草原の小さな家を後にするのです。米の兵隊によるインディアン居住地からの開拓者の立ち退きというのは、あった事は、あったようですが。その去り方が、あまりに急なので、「え、あれだけ苦労して建てた家で、畑もやっと耕し始めたのに、単なる噂を聞いただけで、そんな簡単に捨てていっちゃうの?」と、少々びっくり。お父さんは、この家のある場所が大好きだと言っていたのに、本当はさほど気に入っていなかったのか、1年足らずで飽きてしまったのか。もともと、町などに住むのを嫌い、移住者の数が増えてくると、すぐどこかへ移動したくなるタイプの人ではあったようですから。

史実としては、一家が去ってすぐ、1870年7月に、米政府は、オーセージ族インディアンのカンザスからの立ち退きを決定し、オーセージ族は、オクラホマ州北部(オーセージ郡)に以前より狭い土地を獲得し、移動となります。オーセージ族が空けた土地に、その後、白人開拓者たちは、どーっと流れ込むので、インガルス一家は、他の開拓者が大挙して押し寄せる前に、去ったという事になります。インガルス一家は、カンザスを去った後、親戚がまだいるウィスコンシンのぺピンに再び戻り、しばし、そこで過ごしているようです。お父さんの開拓者熱が、再びうずうずしてくるまで。

インディアンの実情以外は、第一作目と同じく、食べ物の描写や生活風景が面白かったです。この物語を読んで、久しぶりに、手でハンドルを回すコーヒーミルを思い出しました。子供のとき、こんなコーヒーミルを手にして、轢きたてのコーヒーを飲んでいる大人の自分を想像し、憧れましたね。また、イギリスで「コーン」というと、伝統的に小麦を指したのですが、アメリカでは、コーンは当然とうもろこし。北米では、小麦より安価であったコーンミールの使用法なども、もともとは、白人移住者たちは、インディアンから伝授されたのです。このコーンミールを使ったケーキやブレッドなどを、お父さんが撃ち落してきた鳥や鹿の肉の他にいつも食べていました。キャンプファイヤーの火の上で料理するのに便利な、フライパンに鉄の足がついたものを、スパイダーと呼ぶ、というのも面白かった。

女の子たちは、時に家の中で、パッチワークやキルトなどの針仕事をしていました。「nine-patch quilt block」(ナイン・パッチ・キルト・ブロック)を作っているという描写がありましたが、これは、1辺が3つの別の小布地でできた正方形(全部で9の小布地使用)を、パッチワークして作るもの。これを、後で、さらに接ぎ合わせて、大きなテーブルクロスやら、ベッドカバーなどを作るのでしょう。考えてみれば、パッチワークで作るキルトなども、装飾的な魅力度は副産物で、布の端切れを無駄にしないようにという、生活の知恵からできたもの。

テクノロジーの進歩で、電気、ガス、水道などはあって当たり前、洗濯機、掃除機、その他もろもろの便利なものができ、洋服や家具は、製造コストの安い世界のどこかに工場を建てることで、比較的安価に手に入る時代。先進国の子供は、当時のように家の周りの手伝いなどもする必要が無くなったわけですが、そうしてできた余暇を使って、部屋にこもりコンピューターゲームに興じるのであれば、それを進歩と呼べるのか。居間で家族と集って、たとえテレビを見ながらでも、お母さんに習ったナイン・パッチ・キルト・ブロックを作ったり、お父さんに習って、ロッキングチェアを作ってみたりした方が、目に魅力的で実用的な物を自分で生み出すという意味で、ずっと満足の行く時間の使い方なのではないかと感じるのは、私が時代遅れであるからでしょうか。大体、家族でみんな一緒にテレビを見るなどという光景すら、そのうち無くなるのかもしれません。

さて、カンザスの大草原を去り、一時ぺピンに戻った後、今度は、ミネソタの別の居住に移るインガルス一家の冒険は、「On the Banks of Plum Creek」(プラム・クリークの土手で)へと続きます。

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