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7月, 2015の投稿を表示しています

サーロインはお貴族さま

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先日、テレビの旅行番組を見ていて、ランカシャー州の貴族の館、ホートン・タワー(Hoghton Tower)が登場しました。 上の牛の図の、黄色で囲んだ部分は、いわゆるサーロイン(Sirloin)と呼ばれる部分の牛肉ですが、何でも、このホートン・タワーで、ビーフのロイン肉(Loin)が、ナイト(Sir、サー)の称号を受けて、サー・ロイン(Sir Loin)となり、ここから、サーロイン(Sirloin)呼ばれるようになったのだ、とやっており、今更、「へえ」なんて、感心しました。サーロイン・ステーキとか、サーロインなど、ただの名だと流していて、そんな由来があるなどと知らなかったので。一緒に見ていただんなに、「知ってた、これ?」と聞くと、「ロインが王様にナイトの称号を受けて、サー・ロインになったという話は聞いたことがあるけど、どの王様かは知らなかった。」ちなみに、「loin」という英語は、人間の体で言うと、下半身の太ももに近いあたりを指しますが、牛の場合は、肋骨の下辺りの、もちょっと中央胴体部ですね。日本語では、「loin」は、腰肉などと訳されていますが。 さて、この伝説によると、1617年に、3日間、この館に宿泊したジェームズ一世、至れり尽くせりの接待を受け、ご馳走も沢山。おいしそうな巨大なロイン肉(loin)のローストが運び込まれてきた時、ジェームズ一世は、召使に、ロインののった皿を自分の足元に持ってくるように告げ、短剣を取り上げると、それで、ちょんちょんと、ロインの両端をたたき、その後、王は、 「Arise, Sir Loin!」(立ちたまえ、サー・ロイン!) とのたまい、周りからやんやの喝采があがったのだと。 王様、女王様が、サーの称号を与える際、称号の受け手は、王の前にひざまずき、王がその人物の両肩を、剣でちょんちょんと叩いて、「Arise, Sir xxx !」(立ちたまえ、サー・xxx!)とやるのがしきたりですから。 うちのだんなが、どの王様だったか覚えていない、というように、ロインをナイトにしたのは、ジェームズ1世ではなく、他の王様であったという説もあるようです。ちなみに、王様、女王様を接待するのは、非常にお金がかかる事で、わざと、王様が泊まりにこれないように、自分の館の屋根を焼いてしまう貴族までいたのだとか。ホートン・タワーで、ジェ...

イギリスの木炭

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イギリスの森林での木炭作りの風景 学校も、そろそろ夏休みに入り、お天気の良い週末には、庭でバーベキューをする家庭も増えてくることでしょう。バーベキューと言えば、木炭(charcoal)。木材を、木炭窯(キルン、kiln)の中で加熱し、熱分解することで、水分、および、その他不純物を取り除き、炭素含有量の高い燃料となる木炭。ここで、ちょっと、イギリスでの木炭の歴史を振り返ってみることにします。 イギリスでは、木炭は、すでに青銅器時代の始まる紀元前2000年までには使用されていたという事です。普通の木の枝を燃やす事では、青銅を作るための、スズと銅を溶解できる高温度を得る事が難しく、木炭の使用が必要であったのです。最後の氷河期以降、イギリス全土は森林で覆われていたものの、農耕地を得るため、多くの森林が伐採されますが、そうして得た木材が、木炭作りに使用され、青銅器が一般的なものにも幅広く使われ始めると、木炭の需要もあがり、紀元前1000年までには、イギリスの森林の50%は、消えうせることとなります。 ローマ時代に入り、今度は鉄の製造に、益々、木炭は必要となります。ただ闇雲に、森林を伐採していくのみでなく、ローマ時代以前から、ちょこちょこと開始されていた、萌芽更新(Coppicing)が行われるようになり、根元まで木を切り込むことにより、新しい枝の育成を促す、管理された雑木林も増えて行き、製鉄の場所は、こうした萌芽更新が行われる森林の側に設置されることが多々あったようです。 時代飛んで、18世紀始めより、木ではなく、石炭を蒸し焼きにして、不純物を取り除く事で得られるコークス(coke)が鉄鋼業、やがては、蒸気機関車に使用されるようになり、コークスが産業革命の原動力となっていく傍ら、後の1世紀にかけて、木炭の使用は、徐々に減っていき、イギリス国内でも生産も、下降線をたどるのみ。 そして、現在、木炭というと、思い浮かぶのは、青銅でも、鉄でもなく、バーベキューとなるわけです。なんでも、今は、イギリスで使用される木炭の95%は、輸入品であり、しかも、その多くが、貴重な熱帯雨林や、マングローブの湿地帯などからの材木を使用しているという事で、その環境への悪影響が、時に、取りざたされています。 上の写真の木炭作りの様子は、イギリスのヨークシャー州内での、管理されて...

エンピツが一本

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ラジオを聞くでもなく、聞かぬでもなく、つけっぱなしにしたまま、何気なく、テーブルに置いてあった紙の切れ端にいたずら書きをしていました。そして、するする動く、鉛筆の描く線を眺め、ふと、「エンピツが一本、エンピツが一本、ぼくのポケットに~」と口ずさんでいる自分に気がついたのです。 「エンピツが一本」なんて、しばらく歌ったこともなかった古い歌、いきなり出てくるものです。坂本九が、この歌をうたったのは、1967年のこと。どひゃ!子供時代の記憶と言うのは、脳みその奥底に刻みつけられているのでしょう。とても良い歌詞なので、これを期に、全部載せてみます。作詞作曲は、浜口庫之助氏。「バラが咲いた」や、にしきのあきらが、指差して「きみーとぼくは、きみーとぼくは」と歌った「空に太陽がある限り」もこの人の作品なのだそうです。 エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくのポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくの心に 青い空を書くときも 真っ赤な夕やけ書くときも 黒いあたまの とんがったがエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 君のポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 君の心に あしたの夢を書くときも きのうの思い出書くときも 黒いあたまの まるまったエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくのポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 ぼくの心に 小川の水の行く末も 風と木の葉のささやきも 黒いあたまの ちびたエンピツが一本だけ エンピツが一本 エンピツが一本 君のポケットに エンピツが一本 エンピツが一本 君のこころに 夏の海辺の約束も もいちど会えないさびしさも 黒いあたまの かなしいエンピツが一本だけ 贅沢を言わせてもらえれば、真っ赤な夕やけ書くときは、赤鉛筆も加えて、「エンピツが2本」にしたい気もします。 道を行くときに、過ぎ行く景色をどれだけ組み入れられるかは、周囲に注意を払っているかどうかは元より、スピードも当然かかわってくるわけで、車よりは、ちゃり、ちゃりよりは、歩きの方が、一般的に気付くことも多いはず。また、デジカメを向けて、景色を取りまくるのは良いが、実際に、見るという事がおろそかになってやしないか、と時に思うこともあります。ボタンを押すだけよりも、え...

失われた中世の村

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Wharram Percy 中世の時代に、村人が皆いなくなり、建物は朽ちるにまかせ、失われてしまった村、「a deserted medieval village (DMV)」というものの跡地が、イギリス内には3000ほど残っていると言います。 なぜに、人っ子一人いなくなり、村がいきなり消えうせてしまったのか・・・SFが好きな人は、村人が皆、UFOにさらわれたとか、別世界へワープしてしまったとか、色々想像を膨らませそうです。が、一番の理由は、「羊」のようです。 ペスト (黒死病)という恐ろしい病気は、イギリスを含む、ヨーロッパを、過去、何度も脅かしていましたが、特に、1348年から1350年にかけての黒死病の蔓延で、イギリス各地の村でも多くの人間が命を失い、その結果、いくつかの中世の村は人がいなくなった、という説もあります。が、たとえ、人数が減っても、村人一人残らず黒死病で死ぬ、という事は、比較的まれであったでしょう。この14世紀の黒死病の影響で、人口が減り、労働力も少なくなったため、社会底辺の、小作人たちは、地主から、以前よりも高級や好条件を要求する事ができるようになり、労働者パワーが強くなったと良く言われます。その反面で、労働費が高くつくなら、いっその事、畑を耕すなど、面倒な事はやめ、小作人を土地から蹴り出し、その代わりに羊を放牧した方がわりが良いと、いわゆる「囲い込み」「荘園閉鎖」を行う地主も増えていくのです。 ヨークシャー州の田舎では、すでに、遡ること12世紀から、修道院の坊さんたちが、羊を飼い、羊毛を販売するという事を行っていました。ヨークシャー内でも大規模であったファウンテンズ修道院(Fountain's Abbey)も、魂の救済を求めた地主から、土地を与えられ、そこで羊の放牧を行っています。この際にも、地主たちは、以前、その土地に住んでいた小作人たちを、問答無用で立ち退かせています。(ファウンテンズ修道院等その他、ヨークシャーの修道院跡の写真は、以前の記事まで。 こちら 。) 中世の失われた村々の中でも、最も有名なものが、ヨークシャー東部に位置するウォラム・パーシー(Wharram Percy)。ウォラム・パーシーは、15世紀後半から16世紀にかけての、地主による囲い込みにより消えうせた村とされています。追い出された村人た...

お日様の様なセント・ジョーンズ・ワート

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庭のセント・ジョーンズ・ワート(St John's Wort)の茂みの花が満開になりました。 洗礼者ヨハネ(John the Baptist ジョン・ザ・バプティスト、St John セント・ジョン)の誕生日で、聖人の日である6月24日あたりに咲きはじめ、秋まで咲き続けてくれます。これが咲くと、庭の奥のほうが、ぱあーっと明るくなるのです。ワートとは食用、薬用に使用された植物を指して使用された言葉なので、セント・ジョーンズ・ワートとは、「洗礼者ヨハネの薬草」の意味。学名の「Hypericum ヒペリカム」は、ギリシャ語源で、「聖画像(イコン)の上」を意味し、聖画像の上に飾って魔よけとした習慣に端を発するそうです。日本語名は、セイヨウオトギリソウ。 うつ病やその他もろもろに効くとされ、昔から薬用に使用されてきた種は、Hypericum perforatumと呼ばれる野生植物。「perforatum」は「穴の開いた」の意味で、葉に、まるで穴が開いたように見える点々があることから付いた名前ですが、この点々の内部でエッセンシャルオイルが作られているのだそうです。黄色の星の様な花は、聖人の頭を囲む後光のようにも見え、花を摘むと、茎から赤い汁がしたたるそうなのですが、これも、サロメでお馴染みのように、頭をはねられて殺された洗礼者ヨハネを思わせる。この不思議な赤い汁と、花が咲き始める6月後半は、夏至の日にも近いため、初期のキリスト教信者たちにより、セント・ジョーンズ・ワートと呼ばれ始める以前から、ミスティックなパワーを持つ植物として、薬用にも、魔よけにも使われ、人々に知られていたようです。(Hypericum perforatumの花の写真は、ワイルドライフトラストの英語ページまで。 こちら。 ) キューガーデンのサイト によると、ヒペリカムに属し、一般的にセント・ジョーンズ・ワートと呼ばれる植物は、Hypericum perforatumの他にも、1年草のものから多年草のものまで、全部で350種近くあるのだそうです。花はどの種も黄色ですが、サイズは色々。私が持っているセント・ジョーンズ・ワートは、園芸種の、Hypericum "Hidcote" (ヒペリカム ヒドコート)。うちの庭では、長年ずーっと同じ場所に構えているご老公様の貫禄で、...

かがり火の丘

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Beacon(ビーコン)とは、日本語で「篝火(かがり火)」と訳されています。この「篝火」という言葉の、篝というのは鉄製の籠を指すそうで、この中で、夜の照明に燃やした火が篝火なのだそうです。ビーコンの和訳を、辞書で調べる前は、日本語訳は、篝火でも、松明でも良いのかな、と思っていたのですが、日本語の「松明」という言葉は、篝火のように、籠の中で燃やすものではなく、手に持って運ぶ火を指すそうなので、英語では、torch(トーチ)の訳語に当たる言葉となります。今の今まで、私は、篝火と松明の違いを知らなかった!人生一生勉強です、はい。 さて、過去、島国イギリスの海岸線近くの高台には、ビーコンを掲げる場所が多くありました。これは、海峡を渡って、敵船が近づいて来るのが目撃されると、それを知らせるために、このビーコンに火をともし、「敵が来るぞ~!」を伝達する手段などに使用されていたため。よって、いまだ、Beacon Hill(ビーコン・ヒル、かがり火の丘)という名のついた土地は、いくつか残っており、ほとんどの場合はレプリカでしょうが、実際に、鉄製の篝が、まだ立っている場所もあります。 我が家から一番近くにあるビーコンは、河口を見下ろす小さな丘の上。1588年8月の、エリザベス1世による、スペイン無敵艦隊撃退の400周年を記念して、1988年に、実際にビーコンが古くから存在した場所に、新しく立て直されたものです。セレモニー用に、ほんの時たま、灯されるのみで、普段は、こうして、玉いれ競争の籠よろしく、何気なく立っているだけです。 イギリスのビーコンというと、どうしても、無敵艦隊や、その他、大陸ヨーロッパからの襲撃に対しての海岸線の土地での、伝達のイメージが強いのですが、同じ島国なのに、日本では、海岸線の高台に、篝が立っている光景は、あまり見たことが無いな、とふと思いました。日本語の「篝火」という言葉のかもし出すイメージは、鵜飼だとか、能だとか、武家屋敷の門の前に立って燃える炎の様子。 日本の海岸線が、他国から襲撃を受けたというのも、第2次世界大戦前は、蒙古襲来くらいしか、頭に浮かびません。鎖国が可能だったのも、近年にいたるまで、軍船に乗ってやってくる招かれざる客が、比較的少なかったせいではないか、などとも思い。一方、イギリスは、昔から、ローマ人、バイキング、アング...

新しいバードバス

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鳥が水を飲み、更に水浴びできるようなバードバスは、ずっと、色も愛想もない茶色の金属製のものを使っていました。大昔、うちのだんながこの家を買った時に、売り手がそのまま置いていったものです。鳥たちは、暑い日などは、入れ替わり立ち代りの感じで、ここへ行水にやってきていました。お得意さんの大半は、クロウタドリ、そして、時にスターリン、あとは、ハト、すずめ。 先日、前庭用の植物をいくつかインターネットで注文した際、セラミック製のちょいと洒落た感じのバードバスが目に入り、一緒に注文。すでにある金属製のものより、少々、浅めなので、小さめの鳥にもよいかな・・・と。最終的には、見栄えがするので、鳥のためというより自分のためなんですけどね。 このバードバス、日本のサイトでも、全く同じものを見たことがあるので、どこかの中国の工場から、いろんな国に出荷されているのでしょう。セラミックはたしかに、金属製のものより、汚れが落としやすく、これが割れてしまったら、模様がきれいな、普通の大型の皿を使ってもいいな、と思っています。新しいバードバスの縁にとまった形になっている小鳥は、金属の棒の先についていて、縁に開いている穴に差し込むようになっていますが、この穴の周辺が、ちょいともろい感じで、ここから壊れそうな気がしますので。セラミック部分の模様は気に入ってますが。 古い金属製のものも、続けて使っていますが、鳥たちは、特にどっちがいいというより、気分しだいで・・・という感じで両方使っています。鳥には、見かけなどどーでもいい?実用性だけでなく、見た目もちょっといいものを使いたい、家を綺麗に飾りたい、などという欲求は、人間独特のものかな、などと考えながら、ふと、以前、自然番組で見た、オーストラリアのBowerbird(ニワシドリ、コヤツクリ)という鳥の事を思い出しました。 この鳥、メスを誘惑するために、オスは、巣を作る際に、いろいろな物で巣の周辺をデコレーションをするのです。特に、彼らにとって、自然界にあまり存在しない「青色」をしたものが非常に魅力的であるらしく、青色の装飾が多い巣ほど、メスは心引かれる事が多いらしいのです。これ以外にも、他の鳥でも、左右対称で、綺麗な形をした巣を作るオスに、メスは惚れる、とかもあるかもしれないし。孔雀の羽の美しさも、メスを感心させるためですし。だから、視...

夏の日暮れとレイリー散乱

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夏至はもう過ぎたものの、いまだに、夜の9時半でも、イギリスの空はまだほのかに明るいのです。庭の植物に水をやる時は、この時期大体、暑さがおさまったこの時間。今週から気温がぐっと上がり、昨日は、35度を越したため、ウィンブルドンでも記録的な暑さが取りざたされていました。庭の植物も、いくつか、いささかぐったりと、夜を待っていた感じ。 鳥のさえずりが、遠くの木々や茂みの中から聞こえるものの、もう姿は見えず、時にはこうもりが飛ぶのがうかがえ。日中、無数に花の間を飛び回っていた蜂は、夜行性の蛾などの虫に取って代わられ。まだ水色を残す空ににぼんやりみえる月と、ほのかにピンク色をした雲。それが徐々に、暗闇に飲み込まれ、鳥の声もだんだん、薄れていく。水まきをこのくらいの時間にするのは、気温が下がるのを待つと同時に、こんな風景を楽しみたいからでもあります。 だんなに、「ねえねえ、庭に出てきたら?背景の空はまだ水色なのに、雲がところどころピンクで綺麗よ。」というと、「Rayleigh scattering(レイリー散乱)のせいだよ。」という現実的な返事が戻りました。 レイリー散乱(Rayleigh scattering) レイリー卿、ジョン・ウィリアム・ストラット(Lord Rayleigh, John William Strutt)が19世紀後半に発見した理論で、大気中に存在する、光の波長より小さい粒子が、太陽光を散乱させる、というもの。太陽光は、色によって波長が違い、一番波長が短く散乱を受けやすいのが青。波長が長く散乱を受けにくいのが赤。日中に、空の色が青いのは、散乱された青が目に入るため。一方、太陽が日の出と日没で地平線に近い位置にあると、光が、見るものの目に届くまで、日中よりも幅広い大気層を超えてくるため、散乱を受けにくい赤が目に入ることとなる。 なるほどね。雲は、地表にずっと近いので、背景の空がまだ青く見えても、日没の太陽光の散乱された赤を受けて、ピンクに染まって見えるわけです。 「夕焼けが赤いのはなぜ?」と アルプスの少女ハイジ が聞いた時、アルムじいさんは、「山が、夜の間、太陽の事を覚えていてくれるよう、太陽が、最高のショーをかけるんだ。」と答えていました。ハイジが出版された1880年には、もうレイリー散乱は発見されていたはずなので、アルムじいさん...