王妃マルゴ
今まで見た、いわゆる歴史物映画の中で一番記憶に残っている映画です。
王妃マルゴこと、マルグリット・ド・ヴァロワ。フランス王のアンリ2世を父、カトリーヌ・ド・メディチを母として生まれ、教養に富む絶世の美女だったというこの女性を演じるのは、この世のものとは思えぬイザベル・アジャーニ。ため息のでる美しさは、まさに傾国の美女。
映画の始まりでは、ちょっと情けない感じのマルゴの兄、シャルル9世がフランス王ですが、実際に影で糸を引くのが、イタリアから毒薬の使い方を持ち込んだなどと言われるメディチ家出身のカトリックの母のカトリーヌ。イングランドでは、エリザベス1世が君臨していた時代です。
1572年、社会は、宗教的にカトリックとプロテスタントが対峙する不安定な中、打開策として、カトリックのマルゴは、プロテスタントのナバラ王国(現スペイン北部・フランス南部の領域)の王アンリと政略結婚させられます。好きでもない夫ですから、男好きのマルゴは、結婚初夜から、だんなをほったらかし、好みのタイプの男性を探して、パリの街を徘徊。プロテスタントの美しい青年、ラ・モールとめぐり合い、さっそく浮気。
そして、結婚の数日後に起こるのが、カトリーヌによって計画されたという噂の、聖バーソロミューの虐殺(St Bartholomew’s Day Massacre)。マルゴとアンリの結婚式にパリに集まっていたプロテスタントの大虐殺です。(実際のところ、この虐殺、誰の命令によるものかは、はっきりわかっていないようです。)ラ・モールも、この虐殺の最中、深手を負いながら、偶然にマルゴによって命を助けられる。
その後、マルゴとラ・モールの関係と、暗殺を恐れたアンリのナバラへの脱走、王家の兄弟間の権力をめぐるライバル意識、カトリーヌの更なる暗躍、シャルル9世の壮絶な死を、時におどろおどろしく、それでもはっとさせられる豪華な映像で、描いていきます。
原作はアレクサンドル・デュマの小説。歴史のコスチューム物は、演技派の役者を使って、これくらい豪華に、しっかり作ってくれるとかなり見ごたえあります。かなりお金かかったという話ですが。
聖バーソロミューの虐殺及び、フランスのユグノー(プロテスタント)については、過去の記事「ユグノーさん、いらっしゃい」まで。
原題:La Reine Margot
監督:Patrice Chereau
製作:1994年
言語:フランス語
映画は、マルゴがナバラのアンリの元へと、パリを去るところで終わりますが、この後の史実としては、アンリは後に、フランス国民から愛される良王アンリ4世として、フランスを統治。ブルボン王朝の初代の王となります。2人とも、結婚当初から次々と愛人のはしごをし、やがて、マルゴとアンリは離婚。それでも、その後も、良好な友好関係を保ったというモダンな感じのカップルです。アンリ4世は、離婚後、再びメディチ家から嫁さんを取り、マリー・ド・メディチと結婚。この2人の間には、めでたく、世継ぎのルイ13世が誕生します。
子供がいないマルゴは、かなりの年になってからも、若い愛人を持ち、愛人たちが、マルゴの愛情を競って争ったというもてもてぶりだったそうで、やってくれます。
さて、映画からは少し話題がずれますが、フランスのシャルル9世の前の王は、15歳にして、フランス王となった、彼の兄のフランソワ2世でしたが、彼は、王となって、すぐに病死(在位1559-1560)。このフランソワ2世の王妃は、後、イングランドで斬首刑となる運命の、スコットランドのメアリー・スチュワートです。彼女は、結婚前の1548年からすでに、フランスに送られ、フランスの宮廷で、可愛がって育てられる。
フランソワ2世の在位中、圧制を受けていたフランス内のプロテスタントの一味が、フランソワ2世の誘拐の企てをする(Amboise conspiracy)が、失敗し、逮捕、処刑。その時、王家が滞在していたアンボワーズ城(Château d'Amboise)のバルコニーや城壁からは、見せしめのために、処刑されたプロテスタントの死骸が吊るされ、腐るまま放置され、風に揺れて異臭を放っていたと言います。この頃生まれると、残虐なシーンも、子供の頃からもう、慣れっこになるのかもしれません。
メアリー・スチュワートは、だんなのフランソワ2世の死後、スコットランドへと戻ります。その後、首を切られるまでの、エリザベス1世との対峙は、有名なところですが。
カトリック、そしてプロテスタント・・・ヨーロッパの歴史を辿る際に、理解必須のキーワード。1517年、一人のドイツの坊さん、マルティン・ルターが引き金となり巻き起こった宗教改革(Reformation)が、後のヨーロッパ諸国の形成に与えた影響というのは、それは大きなものだな、と改めて思ったりします。
王妃マルゴこと、マルグリット・ド・ヴァロワ。フランス王のアンリ2世を父、カトリーヌ・ド・メディチを母として生まれ、教養に富む絶世の美女だったというこの女性を演じるのは、この世のものとは思えぬイザベル・アジャーニ。ため息のでる美しさは、まさに傾国の美女。
映画の始まりでは、ちょっと情けない感じのマルゴの兄、シャルル9世がフランス王ですが、実際に影で糸を引くのが、イタリアから毒薬の使い方を持ち込んだなどと言われるメディチ家出身のカトリックの母のカトリーヌ。イングランドでは、エリザベス1世が君臨していた時代です。
1572年、社会は、宗教的にカトリックとプロテスタントが対峙する不安定な中、打開策として、カトリックのマルゴは、プロテスタントのナバラ王国(現スペイン北部・フランス南部の領域)の王アンリと政略結婚させられます。好きでもない夫ですから、男好きのマルゴは、結婚初夜から、だんなをほったらかし、好みのタイプの男性を探して、パリの街を徘徊。プロテスタントの美しい青年、ラ・モールとめぐり合い、さっそく浮気。
そして、結婚の数日後に起こるのが、カトリーヌによって計画されたという噂の、聖バーソロミューの虐殺(St Bartholomew’s Day Massacre)。マルゴとアンリの結婚式にパリに集まっていたプロテスタントの大虐殺です。(実際のところ、この虐殺、誰の命令によるものかは、はっきりわかっていないようです。)ラ・モールも、この虐殺の最中、深手を負いながら、偶然にマルゴによって命を助けられる。
その後、マルゴとラ・モールの関係と、暗殺を恐れたアンリのナバラへの脱走、王家の兄弟間の権力をめぐるライバル意識、カトリーヌの更なる暗躍、シャルル9世の壮絶な死を、時におどろおどろしく、それでもはっとさせられる豪華な映像で、描いていきます。
原作はアレクサンドル・デュマの小説。歴史のコスチューム物は、演技派の役者を使って、これくらい豪華に、しっかり作ってくれるとかなり見ごたえあります。かなりお金かかったという話ですが。
聖バーソロミューの虐殺及び、フランスのユグノー(プロテスタント)については、過去の記事「ユグノーさん、いらっしゃい」まで。
原題:La Reine Margot
監督:Patrice Chereau
製作:1994年
言語:フランス語
映画は、マルゴがナバラのアンリの元へと、パリを去るところで終わりますが、この後の史実としては、アンリは後に、フランス国民から愛される良王アンリ4世として、フランスを統治。ブルボン王朝の初代の王となります。2人とも、結婚当初から次々と愛人のはしごをし、やがて、マルゴとアンリは離婚。それでも、その後も、良好な友好関係を保ったというモダンな感じのカップルです。アンリ4世は、離婚後、再びメディチ家から嫁さんを取り、マリー・ド・メディチと結婚。この2人の間には、めでたく、世継ぎのルイ13世が誕生します。
子供がいないマルゴは、かなりの年になってからも、若い愛人を持ち、愛人たちが、マルゴの愛情を競って争ったというもてもてぶりだったそうで、やってくれます。
さて、映画からは少し話題がずれますが、フランスのシャルル9世の前の王は、15歳にして、フランス王となった、彼の兄のフランソワ2世でしたが、彼は、王となって、すぐに病死(在位1559-1560)。このフランソワ2世の王妃は、後、イングランドで斬首刑となる運命の、スコットランドのメアリー・スチュワートです。彼女は、結婚前の1548年からすでに、フランスに送られ、フランスの宮廷で、可愛がって育てられる。
フランソワ2世の在位中、圧制を受けていたフランス内のプロテスタントの一味が、フランソワ2世の誘拐の企てをする(Amboise conspiracy)が、失敗し、逮捕、処刑。その時、王家が滞在していたアンボワーズ城(Château d'Amboise)のバルコニーや城壁からは、見せしめのために、処刑されたプロテスタントの死骸が吊るされ、腐るまま放置され、風に揺れて異臭を放っていたと言います。この頃生まれると、残虐なシーンも、子供の頃からもう、慣れっこになるのかもしれません。
メアリー・スチュワートは、だんなのフランソワ2世の死後、スコットランドへと戻ります。その後、首を切られるまでの、エリザベス1世との対峙は、有名なところですが。
カトリック、そしてプロテスタント・・・ヨーロッパの歴史を辿る際に、理解必須のキーワード。1517年、一人のドイツの坊さん、マルティン・ルターが引き金となり巻き起こった宗教改革(Reformation)が、後のヨーロッパ諸国の形成に与えた影響というのは、それは大きなものだな、と改めて思ったりします。
こんいちは
返信削除今日は大寒波が日本列島をすっぽりおおい、寒い土曜日です。バードウォッチングも取りやめました。
ヨーロッパの国々は密接につながっていてイタリア、フランス、スペイン、イギリスと外交駆け引きはいつの時代もそうとうに複雑かつ熟練したものだったのでしょうね。王妃といえばマルゴ、原作がデュマといのが意外でした。でも三銃士と通じるところがありますね。
日本では佐藤賢一という作家がヨーロッパの歴史小説を数多く書いていて、面白いのですが、いまいち女性の描き方には不満があります。イギリスにも歴史小説というジャンルはあるのですか?
アメリカの東海岸も大雪にみまわれているようです。お気をつけ下さい。でも家の中でじっとしている他ありませんね。
ヨーロッパの王族などは、政略結婚が多く、皆、親戚なんじゃないか、なんて感じもします。
返信削除以前書いた、ウォルター・スコットはいわゆる歴史小説家の部類だと思いますが、現代の小説家には疎いので、現存の歴史小説家の事はあまり知りません。歴史の本は、好きで良く読むのですが。
こちらは、陽射しも暖かな良い天気でした。