ロンドンのチャールズ・ディケンズの家

ロンドン内で、小説家チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)が住んだ家で残っているのは、ただ一つ、 48 Doughty Street。チャールズ・ディケンズ博物館として一般公開されています。

チャールズ・ディケンズが、妻キャサリンと結婚したのが1836年4月。その後、しばらく別の住所で間借りし、第一子が産まれた後の、1837年3月から1839年12月までと、約2年間この住所に住んでいます。当時のロンドンと言うと、やはり購入より賃貸が一般的であったようで、ディケンズ夫婦も、一応は3年の契約でこの家を賃貸。

若夫婦の他に、チャールズの弟と、妻キャサリンの17歳の妹メアリーも、共に移り住み同居。この義理の妹メアリーを、ディケンズは大変気に入っていたようなのですが、彼女は、1837年に、いきなり病気になり、あっという間に死んでしまうのです。ディケンズの腕の中で息を引き取ったのだそうですが、この若い死に、大ショックを受け、しばらくは、筆も進まず、仕事が手につかなかったと言います。死もあれば、生もあるで、この家で、更に2人の子供が生まれ、家が手狭になったことと、小説家としての名声もどんどん上がり、経済状態もかなり良くなったことから、2年で、別の更に大きな家へと引っ越し。

奥さんのキャサリンとの間には、総計10人の子供を設けたのですが、1858年に、おそらく、ディケンズの浮気が原因で別居へ。レイフ・ファインズがディケンズを演じ、彼の愛人となった、うら若き女優ネリーとの関係、キャサリンとの結婚の破たんを描いた、2013年の映画「The Invisible Woman」というのがありました。日本では、公開されていないようです。題名を直訳すると、透明人間ならぬ、透明女ですが、名目上は結婚している著名人ディケンズの世間体を守るため、影の女としてしか存在できなかったネリーを指したもの。この映画の中、ちょっとおデブになってしまった妻キャサリンも、文学や芸術をわかってくれない女性としてディケンズとの間に溝ができており、この映画を見る限りにおいては、ディケンズの両方の女性に対しての取り扱いは、いただけないものがあります。不公平な社会を批判し、慈善を唱え続けた作家でも、個人生活の面では、完璧な人間ではないのです。自分の書いた小説内の良い人間のようでありたいと思いながら、悪役のキャラクターの部分を多く持っている、と自分で言っていたという話を聞いたことがあるので、本人も、自分の落ち度は、わかっていたのかもしれませんが。時に、「わかっちゃいるけど、やめられない」というのが人間かもしれません。

ここに住んでいる間に、ディケンズが執筆したのは、「ピクウィック・クラブ」(The Pickwick Papers)の完結部、「オリバー・ツイスト」(Oliver Twist)、「ニコラス・ニクルビー」(Nicholas Nickleby)などなど。

館内、一番、ディケンズの作家としての存在を感じるのは、やはり、この立派な書き机が置かれ、「オリバー・ツイスト」の原稿も展示されている書斎です。この部屋にいた係りの人の話によると、机は、この家にあったものではなく、後に彼が、ケント州の家で使用していたものを、ここに持ってきて展示してあるのだそうですが。

やはり書斎に飾られてあったのは、「Dickens' Deam」(ディケンズの夢)と題された絵。一部「ピクウィック・クラブ」のイラストを手掛けた事があり、生涯にわたり、ディケンズの崇拝者であったという、ロバート・ウィリアム・バス(Robert William Bass)によるもの。未完という事ですが、半分以上、色塗りされていないこの状態の方が、「夢」という感じにあっており、いいんじゃないかと思います。

こちらは、夫婦の寝室。この他、この家で死んでしまったメアリーの寝室もあり、彼女が着ていた寝間着などが、ベッドの上に延べられていました。

これは、通りに面した2階のラウンジ。色々な文化人を呼んで接待したダイニングルームは、通りに面した1階でしたが、舞台裏に当たる、台所や洗濯場は地階。当然、召使も雇っていたでしょうから、地階は、召使の働く場でもあり。

これは、地階の洗濯部屋。この片隅に、下に薪をくべるようになっているスープ釜の様な代物がありますが・・・

これは、下に火を焚いて、上の金属ボウルの部分に水と洗濯物を突っ込んで、熱しながら洗濯するものだという事です。そこにあった説明書きによると、洗濯以外にも、クリスマスプディングを作るのに使用された、とありました。

家に帰ってから、「クリスマス・キャロル」をめくってみると、確かに、貧しいボブ・クラッチット家で、クリスマス・プディングを食堂に持ってくるシーンにこんな描写がありました。

A great deal of steam! The pudding was out of the copper. A smell like a washing-day! That was the cloth. A smell like an eating-house and a pastrycook's next door to each other, with a laundress's next door to that!

それは沢山の湯気! クリスマス・プディングが銅のボウルから取り出されたのだ。洗濯の日の香り。プディングが包まれた布の香り。料理屋と菓子職人の家が両隣に並んでおり、その更に隣に洗濯屋があるような香り。

ここで言うthe copperが、上の代物だと思います。copperは、そのまま訳すと銅ですが、銅製品のもの、よって、ボウルの部分が銅でできた、昔のこうした洗濯道具もコッパ―と称されたようです。

台所の脇の小部屋では、子供たちを集めて、当時のお菓子の作り方のデモなどをやっていました。台所内で読んだ説明でおもしろかったのは、台所にいてほしくない虫などの自然退治方法として、昆虫を食べるハリネズミなどを地下に飼っている家もあったという記述。文豪の家という事の他に、当時の生活ぶりがわかるのが、こういう「家博物館」の良いところ。

見学後、出際に、土産物屋を通過した際、お腹を空かせたオリバー・ツイストが、身寄りのない子供たちを働かせるワークハウス内で、わずかに与えられたおかゆを瞬く間に食べてしまった後、係りの人間に、もう少し欲しいと頼む、有名なセリフ、「Please, sir. I want some more.」(すみません。もう少し、欲しいんですが。)が書かれたボウルを見かけ、ちょっと欲しいな、という気もしたのですが、この後、まだ行く場所があったため、割れないように気を付けるのが嫌だったのと、値段も少々高かったことから、今回は見合わせました。

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