夏の日のウォルトン・オン・ザ・ネイズ
夏なので、一回ぐらいは、海岸へ出かけてみようかと、ウォルトン・オン・ザ・ネイズ(Walton on the Naze)に、電車で行ってきました。ウォルトン・オン・ザ・ネイズは、エセックス州北東部の北海に面した海岸線にある小さな町。この辺りの海は、イギリス南部の青い海の色に比べるといささか灰色っぽい感じですが、さらさらの砂のビーチは気持ち良いのです。また、ここへ行くのは、海を楽しむのと同時に、駅から少々北に歩いた場所にあるネイズ・タワー(Naze Tower)を訪れるのも目的でした。
駅から降りるとすぐ、海岸へと降りていく階段があり、カラフルな色に塗ったビーチハット(beach hut)の向こうに、792メートルと、イギリスで3番目に長いといわれる桟橋(ピア)、ウォルトン・ピア(Walton Pier)が伸びているのが目に入ります。最初のウォルトン・ピアは、1830年に、イギリスで、最初に建設されたもののひとつですが、これは1871年の嵐で崩壊。2回目に建てられたものも壊れ、現在のピアは、1895年に建てられたもの。ついでながら、イギリスで一番長いピアは、やはりエセックス州にあるサウスエンド・オン・シー(Southend-on-Sea)のもので、こちらは、なんと2158メートルと、ウォルトン・ピアの倍以上の長さです。
ビーチハットという代物は、内部にちょっとした台所設備や、テーブル椅子などが置けるほどのスペースで、所有者に、海を見ながらのんびり過ごす場所を提供しています。基本的に寝泊りはできないのですが、こんなビーチハットを買おうと思うと、結構高く、以前、売りに出されている値段を見てびっくりした覚えがあります。
まずは、ネイズ・タワーへ登ろうと、そんなビーチハットに縁どられた海岸線をずっと北へ向かって歩きました。風は強かったのですが、太陽は心地よく、子供たちはきゃっきゃと騒いで水に飛び込み、
または砂のお城を作り。
やがて、ちょっと危なげな崖の上にぽつねんと立つレンガの煙突のようなものがネイズ・タワー。高さ26メートル。ここから湾を越えた北側にある、重要な港町であったハリッジ(Harwich)を出入りする船の安全な運航を援助するため、1720年に、ナビゲーション・タワー(灯台の前身ようなもの)として建設。当時は、塔の上にかがり火を上げていたそうです。レンガが、徐々に一般的に使用されるようになってきた時代で、以前、この場所に立っていた木造の塔の代わりに建設されたもの。
このタワーのそそり立つ周辺がネイズと称される高台地。ネイズとは、もともとは、ノーズ(鼻)から派生した言葉で、鼻のように突き出しているからこう呼ばれるなどという話を聞いたことがありますが、本当か嘘かはわかりません。ついでに、ウォルトンという言葉は、Walled Townから来ているそうで、高台にある壁に囲まれた町、の意味。壁というのは、海からの被害を守る防波堤の事。
ネイズ・タワーは、戦時中も活躍。ナポレオン戦争時には見張りの塔として使用され、また第一次世界大戦中は、塔から掲げる旗によるシグナルで船との通信を図り、第2次世界大戦中は、塔のてっぺんに敵の船と飛行機を察知するレーダーが取り付けられています。また、冷戦中50年代には、米軍が、通信の場として使用。その後、徐々におんぼろとなって放置されていた塔は、やがて、現在のオーナーによって購入され、2004年に、観光地として一般人が中を登れるようになるのです。かなり前、冬季に一度訪れたときには、塔は閉まっており登れず、周辺を散策するに終わりました。ので、今回はぜひ登らないと。
カフェのカウンターにもなっている入り口で、3ポンドの入場料を払い、幅の狭いらせん階段をクルクル上へ。全部で8階。
2階と3階はカフェになっています。カフェのお姉さん、危なげに紅茶の載ったお盆を抱えて、らせん階段を上がっていました。それより上の階は、地元のアーティストの絵などを飾って、ちょっとしたギャラリーになっています。
てっぺんの見晴台から、歩いてきた南側を望むとこんな感じです。ちょっと高いところが怖い友人は、そそくさと一周して「これで十分」と先に降りてしまいましたが、私は、ゆっくり回って景色を楽しみました。
ハーウィッチに向けて北側を望む景色。ネイズの北端は、自然保護地域となっています。以前の訪問の際は、夕暮れに、この自然保護地の散歩をしました。冬季で人も少なく、もの寂しげな雰囲気も良かったです。
くねくねとした入り江のある西側、この辺りは、アーサー・ランサムによる児童小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの「秘密の海」(Secret Water)のインスピレーションとなったと言われています。ヨットが幾つか停泊していました。
1階に降りて、カウンターで、紅茶とケーキを注文してティータイム。内部でなく、外のテーブルで一休み。
塔のある崖は、着実に浸食が進んでおり、何でも1年に平均1、2メートルの割合で、地面が海にずり落ちているというのです。地崩れが起こるのは、冬に多いらしく、場合によっては、一日で数メートル、どーんと落ちてしまう可能性もあるのだとか。という事は、この塔も、あと10~20年の間にもっと内陸に移動させないとやばいのでは・・・。イーストボーンで見た灯台も、すでに一度、浸食の進む崖から内陸に移動させていますし。とりあえずは、安全に登れるうちに登ってよかった。確か、内部も改装したばかりのはずですし。実際、1798年には、ウォルトンの教会は、海に崩れ落ちており、今でも、引き潮の時に、海底から、この教会の鐘の音が聞こえてくる、などという噂もあります。
さて、再び、海岸線を辿って南へ戻りました。途中、アイスクリームを購入。一見、怖そうな、腕いっぱいに刺青の入ったお兄さんが、気前よく、コーンからこぼれ落ちそうなほど大量にストロベリーアイスクリームをすくい上げてくれました。海に飛び込んでいる人たちを見ると、水着を持っていかなかったのが少々悔やまれましたが、とりあえずは、靴をぬぎリックに詰めて、ふくらはぎまではざぶざぶと海水に入り、水を蹴り上げて歩き進み。私の実家は千葉なので、子供のころの夏休みはいつも外房での海水浴。そういえば、イギリスに来てから、海水浴なるものは、まったくしていないのです。
せっかく来たので、ウォルトン・ピアも端まで歩いてみることにしました。ピアの建物の内部は、懐かしの乗り物コーヒーカップやら、メリーゴランドやらのある、ちょっと安っぽい小遊園地のノリ。
プラスチックの容器にすでに詰められた蛍光色の綿菓子などもつる下げられて売られていました。色付けた羊毛みたいに。せっかく綿菓子買うのなら、作り立てのほやほやの割りばしに巻いたやつを食べたくないですか、やっぱり。
ピアの床は木製で、その隙間から下を見ると、壊れて落ちたらどうしようと、ちょっと怖くなります。私は、この木材の間から下を見る方が、ネイズ・タワーの上に立つより怖かったですね。ここまで、突き出ていると、海も深くなっているでしょうし。ので、下は一切見ないようにして、突き進みました。
ピアの先端から、ネイズ・タワーの方角を見た風景。
ピアから更に、海岸線を南下すると、1キロくらいで、今度はフリントン・オン・シーという町へ出ます。ウォルトン・オン・ザ・ネーズは、電車路線の終点ですが、フリントン・オン・シーは、そのひとつ前なので、そこまで歩いて、フリントン・オン・シーから電車に乗り帰ることにしました。車でなく、電車やバスで出かけることの利点のひとつは、帰りは、歩き始めたのと同じ場所にもどらなくてもいい、という事ですね。
再び靴を脱ぎ、海水の中を歩きました。気持ちいい。フリントンは、ウォルトン・オン・ザ・ネーズに比べ、ポッシュで、店の数も減ってくるので、ウォルトン・ピアから離れて南へと行くにつれ、人の数も少なくなっていきます。フリントン・オン・シーの駅は、海岸線よりいささか内陸に入るので、しぶしぶと砂浜を離れ、足から砂を振り落して、靴を履き、駅へ。楽しい夏の思い出となりました。
余談:Essex Sunshine Coast エセックス海岸線に見るふたつのイギリスの顔
ウォルトン・オン・ザ・ネイズのある海岸線は上述の通りさらさらの砂浜で、海水浴のできるリゾートとしては、南から、クラクトン・オン・シー(Clacton on Sea)、フリントン・オン・シー(Frinton on Sea)、そしてこのウォルトン・オン・ザ・ネイズがあり、一帯は、エセックス・サンシャイン・コーストなどと呼ばれています。
この海岸線の一番南にあるクラクトン・オン・シーは、イメージ的には、ちょいと安っぽく、柄が悪く、言っちゃ悪いが、びっくりするほど太っているイギリス人が大挙して訪れるリゾートのイメージがあります。クラクトンは、イギリスのEU離脱選挙では、70%以上の住民がブレグジットに投票し、ブレグジットン・オン・シーなどと茶化されて呼ばれるようになり、また、イギリス内で唯一、EU離脱を目的と掲げ、人種差別的傾向のある政党ユーキップの国会議員を選出している場所でもあります。そんなこんなで、私はクラクトンという町には、かなりの偏見と反感を持っています。実際に訪れたことはないのですが、わざわざ行く気もありません。家族連れで気軽に行けて、楽しい、などという人もいますが。行ったことのある、うちのだんなは、「クラクトンみたいな下卑た所に行かなくたっていいよ。ウォルトンやフリントンの方が静かでいい。」そうそう、それに、ユーキップ支持者だらけの町のために、たとえ一銭でも、金を使いたくないですしね。クラクトンのすぐ南に隣接して、ジェイウィック(Jaywick)という町がありますが、ここはここで、住民の大半が無職で、平均寿命も周辺で一番短いという寂しい名声を持っています。
一方、フリントン・オン・シーは、ころりと変わって、中流や少々金のある人たちが隠居生活を送る場所として知られています。町は、お上品で、最近までは、パブが一つもなかったのだそうです。この国では、裕福なほど、食べ物や、健康に気を付け、適度な運動などもするためか、フリントンの住民の平均寿命は、この周辺では、クラクトン、ジェイウィックと相反して、一番長いのです。常々思うのです、イギリスの階級を隔てるものは、金銭よりも生活態度と興味ではないかと。大体、この国では、ハイキング、ウォーキング、ジョギングなどの、体一つでできる、ほとんど金のかからないアクティビティーも、アンダークラスや労働階級よりも、中流階級の趣味と言えますし。また、これは別の話となりますが、子供の教育に重きを置いて熱心なのも中流家庭。まあ、いずれにせよ、フリントンも、住人に老人が多い分、別の意味でのブレグジット派は多数だとは思います。そして、今回訪れたウォルトン・オン・ザ・ネイズは、町のガラとしては、この対照的な2つの町の中間のような感じを受けました。
フリントンで海岸線を離れた後、老婦人に駅までの道を聞くと丁寧に答えてくれました。おかげさまで、無事、電車の時刻に間に合うようにフリントン・オン・シーの駅へたどり着いたものの、1時間に1本のみの、ウォルトン・オン・ザ・ネイズから来る電車は、15分ほど遅れました。アナウンスで聞かされた理由は、電車の出発を妨害するような乗客がいたため、とか。お日様の中、ビールでも飲んで、迷惑行為に走った輩がいたのでしょう。やれやれ。
駅から降りるとすぐ、海岸へと降りていく階段があり、カラフルな色に塗ったビーチハット(beach hut)の向こうに、792メートルと、イギリスで3番目に長いといわれる桟橋(ピア)、ウォルトン・ピア(Walton Pier)が伸びているのが目に入ります。最初のウォルトン・ピアは、1830年に、イギリスで、最初に建設されたもののひとつですが、これは1871年の嵐で崩壊。2回目に建てられたものも壊れ、現在のピアは、1895年に建てられたもの。ついでながら、イギリスで一番長いピアは、やはりエセックス州にあるサウスエンド・オン・シー(Southend-on-Sea)のもので、こちらは、なんと2158メートルと、ウォルトン・ピアの倍以上の長さです。
ビーチハットという代物は、内部にちょっとした台所設備や、テーブル椅子などが置けるほどのスペースで、所有者に、海を見ながらのんびり過ごす場所を提供しています。基本的に寝泊りはできないのですが、こんなビーチハットを買おうと思うと、結構高く、以前、売りに出されている値段を見てびっくりした覚えがあります。
まずは、ネイズ・タワーへ登ろうと、そんなビーチハットに縁どられた海岸線をずっと北へ向かって歩きました。風は強かったのですが、太陽は心地よく、子供たちはきゃっきゃと騒いで水に飛び込み、
または砂のお城を作り。
やがて、ちょっと危なげな崖の上にぽつねんと立つレンガの煙突のようなものがネイズ・タワー。高さ26メートル。ここから湾を越えた北側にある、重要な港町であったハリッジ(Harwich)を出入りする船の安全な運航を援助するため、1720年に、ナビゲーション・タワー(灯台の前身ようなもの)として建設。当時は、塔の上にかがり火を上げていたそうです。レンガが、徐々に一般的に使用されるようになってきた時代で、以前、この場所に立っていた木造の塔の代わりに建設されたもの。
このタワーのそそり立つ周辺がネイズと称される高台地。ネイズとは、もともとは、ノーズ(鼻)から派生した言葉で、鼻のように突き出しているからこう呼ばれるなどという話を聞いたことがありますが、本当か嘘かはわかりません。ついでに、ウォルトンという言葉は、Walled Townから来ているそうで、高台にある壁に囲まれた町、の意味。壁というのは、海からの被害を守る防波堤の事。
ネイズ・タワーは、戦時中も活躍。ナポレオン戦争時には見張りの塔として使用され、また第一次世界大戦中は、塔から掲げる旗によるシグナルで船との通信を図り、第2次世界大戦中は、塔のてっぺんに敵の船と飛行機を察知するレーダーが取り付けられています。また、冷戦中50年代には、米軍が、通信の場として使用。その後、徐々におんぼろとなって放置されていた塔は、やがて、現在のオーナーによって購入され、2004年に、観光地として一般人が中を登れるようになるのです。かなり前、冬季に一度訪れたときには、塔は閉まっており登れず、周辺を散策するに終わりました。ので、今回はぜひ登らないと。
カフェのカウンターにもなっている入り口で、3ポンドの入場料を払い、幅の狭いらせん階段をクルクル上へ。全部で8階。
2階と3階はカフェになっています。カフェのお姉さん、危なげに紅茶の載ったお盆を抱えて、らせん階段を上がっていました。それより上の階は、地元のアーティストの絵などを飾って、ちょっとしたギャラリーになっています。
てっぺんの見晴台から、歩いてきた南側を望むとこんな感じです。ちょっと高いところが怖い友人は、そそくさと一周して「これで十分」と先に降りてしまいましたが、私は、ゆっくり回って景色を楽しみました。
ハーウィッチに向けて北側を望む景色。ネイズの北端は、自然保護地域となっています。以前の訪問の際は、夕暮れに、この自然保護地の散歩をしました。冬季で人も少なく、もの寂しげな雰囲気も良かったです。
くねくねとした入り江のある西側、この辺りは、アーサー・ランサムによる児童小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの「秘密の海」(Secret Water)のインスピレーションとなったと言われています。ヨットが幾つか停泊していました。
1階に降りて、カウンターで、紅茶とケーキを注文してティータイム。内部でなく、外のテーブルで一休み。
塔のある崖は、着実に浸食が進んでおり、何でも1年に平均1、2メートルの割合で、地面が海にずり落ちているというのです。地崩れが起こるのは、冬に多いらしく、場合によっては、一日で数メートル、どーんと落ちてしまう可能性もあるのだとか。という事は、この塔も、あと10~20年の間にもっと内陸に移動させないとやばいのでは・・・。イーストボーンで見た灯台も、すでに一度、浸食の進む崖から内陸に移動させていますし。とりあえずは、安全に登れるうちに登ってよかった。確か、内部も改装したばかりのはずですし。実際、1798年には、ウォルトンの教会は、海に崩れ落ちており、今でも、引き潮の時に、海底から、この教会の鐘の音が聞こえてくる、などという噂もあります。
さて、再び、海岸線を辿って南へ戻りました。途中、アイスクリームを購入。一見、怖そうな、腕いっぱいに刺青の入ったお兄さんが、気前よく、コーンからこぼれ落ちそうなほど大量にストロベリーアイスクリームをすくい上げてくれました。海に飛び込んでいる人たちを見ると、水着を持っていかなかったのが少々悔やまれましたが、とりあえずは、靴をぬぎリックに詰めて、ふくらはぎまではざぶざぶと海水に入り、水を蹴り上げて歩き進み。私の実家は千葉なので、子供のころの夏休みはいつも外房での海水浴。そういえば、イギリスに来てから、海水浴なるものは、まったくしていないのです。
せっかく来たので、ウォルトン・ピアも端まで歩いてみることにしました。ピアの建物の内部は、懐かしの乗り物コーヒーカップやら、メリーゴランドやらのある、ちょっと安っぽい小遊園地のノリ。
プラスチックの容器にすでに詰められた蛍光色の綿菓子などもつる下げられて売られていました。色付けた羊毛みたいに。せっかく綿菓子買うのなら、作り立てのほやほやの割りばしに巻いたやつを食べたくないですか、やっぱり。
ピアの床は木製で、その隙間から下を見ると、壊れて落ちたらどうしようと、ちょっと怖くなります。私は、この木材の間から下を見る方が、ネイズ・タワーの上に立つより怖かったですね。ここまで、突き出ていると、海も深くなっているでしょうし。ので、下は一切見ないようにして、突き進みました。
ピアの先端から、ネイズ・タワーの方角を見た風景。
ピアから更に、海岸線を南下すると、1キロくらいで、今度はフリントン・オン・シーという町へ出ます。ウォルトン・オン・ザ・ネーズは、電車路線の終点ですが、フリントン・オン・シーは、そのひとつ前なので、そこまで歩いて、フリントン・オン・シーから電車に乗り帰ることにしました。車でなく、電車やバスで出かけることの利点のひとつは、帰りは、歩き始めたのと同じ場所にもどらなくてもいい、という事ですね。
再び靴を脱ぎ、海水の中を歩きました。気持ちいい。フリントンは、ウォルトン・オン・ザ・ネーズに比べ、ポッシュで、店の数も減ってくるので、ウォルトン・ピアから離れて南へと行くにつれ、人の数も少なくなっていきます。フリントン・オン・シーの駅は、海岸線よりいささか内陸に入るので、しぶしぶと砂浜を離れ、足から砂を振り落して、靴を履き、駅へ。楽しい夏の思い出となりました。
余談:Essex Sunshine Coast エセックス海岸線に見るふたつのイギリスの顔
ウォルトン・オン・ザ・ネイズのある海岸線は上述の通りさらさらの砂浜で、海水浴のできるリゾートとしては、南から、クラクトン・オン・シー(Clacton on Sea)、フリントン・オン・シー(Frinton on Sea)、そしてこのウォルトン・オン・ザ・ネイズがあり、一帯は、エセックス・サンシャイン・コーストなどと呼ばれています。
この海岸線の一番南にあるクラクトン・オン・シーは、イメージ的には、ちょいと安っぽく、柄が悪く、言っちゃ悪いが、びっくりするほど太っているイギリス人が大挙して訪れるリゾートのイメージがあります。クラクトンは、イギリスのEU離脱選挙では、70%以上の住民がブレグジットに投票し、ブレグジットン・オン・シーなどと茶化されて呼ばれるようになり、また、イギリス内で唯一、EU離脱を目的と掲げ、人種差別的傾向のある政党ユーキップの国会議員を選出している場所でもあります。そんなこんなで、私はクラクトンという町には、かなりの偏見と反感を持っています。実際に訪れたことはないのですが、わざわざ行く気もありません。家族連れで気軽に行けて、楽しい、などという人もいますが。行ったことのある、うちのだんなは、「クラクトンみたいな下卑た所に行かなくたっていいよ。ウォルトンやフリントンの方が静かでいい。」そうそう、それに、ユーキップ支持者だらけの町のために、たとえ一銭でも、金を使いたくないですしね。クラクトンのすぐ南に隣接して、ジェイウィック(Jaywick)という町がありますが、ここはここで、住民の大半が無職で、平均寿命も周辺で一番短いという寂しい名声を持っています。
一方、フリントン・オン・シーは、ころりと変わって、中流や少々金のある人たちが隠居生活を送る場所として知られています。町は、お上品で、最近までは、パブが一つもなかったのだそうです。この国では、裕福なほど、食べ物や、健康に気を付け、適度な運動などもするためか、フリントンの住民の平均寿命は、この周辺では、クラクトン、ジェイウィックと相反して、一番長いのです。常々思うのです、イギリスの階級を隔てるものは、金銭よりも生活態度と興味ではないかと。大体、この国では、ハイキング、ウォーキング、ジョギングなどの、体一つでできる、ほとんど金のかからないアクティビティーも、アンダークラスや労働階級よりも、中流階級の趣味と言えますし。また、これは別の話となりますが、子供の教育に重きを置いて熱心なのも中流家庭。まあ、いずれにせよ、フリントンも、住人に老人が多い分、別の意味でのブレグジット派は多数だとは思います。そして、今回訪れたウォルトン・オン・ザ・ネイズは、町のガラとしては、この対照的な2つの町の中間のような感じを受けました。
フリントンで海岸線を離れた後、老婦人に駅までの道を聞くと丁寧に答えてくれました。おかげさまで、無事、電車の時刻に間に合うようにフリントン・オン・シーの駅へたどり着いたものの、1時間に1本のみの、ウォルトン・オン・ザ・ネイズから来る電車は、15分ほど遅れました。アナウンスで聞かされた理由は、電車の出発を妨害するような乗客がいたため、とか。お日様の中、ビールでも飲んで、迷惑行為に走った輩がいたのでしょう。やれやれ。
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