映画「ブルックリン」

人生は、選択です。少なくとも自由社会では。どの学校に行くか、何を勉強するか、どのクラブに所属するか、どんな友人を選ぶか、何の仕事をするか、誰と結婚するか・・・。それ以外でも、些細なことで、毎日の様に、数限りない選択を繰り返して現在の自分に至っている。当然、両親、生まれた場所と環境、健康体かどうかは、自分の意志では変えられないわけですが、半分以上は、自分が意識的か無意識的に行ってきた選択の積み重ね。若いころ、小さな店でアルバイトをしていた時、正社員の女性が「うちのだんなみたいな、あんな男に会って結婚してなければ、こんなところでしがない店員をしている以外に、もっといい人生もあったかもしれない。」などと、お茶の時間にため息をついているのを聞いて、若いながら、心に隙間風が吹いたのを覚えています。自分の人生がもしかしたら失敗だったと感じたとき、過去の選択を悔やんで、もう今では、間に合わない、抜けられない、と思うことほど、惨めなことはないような気がして。それと同時に選んだのは自分だし、ここで働いているのは、だんなのせいだけじゃないんじゃないか、などともちらっと思ったりもしたのですが。また、たとえ、勝者組の人生を送ってみても、あの時、ああしていれば、もっと別の人生を歩んでいたかもしれない、それはそれで、面白かったかもしれない、と思いにふけることもあるかもしれません。昔、サトウキビ畑で働かされた黒人奴隷などを思えば、選択があるというのは、かなり贅沢な話ですが、選択肢の全てが、それなりに良さそうに見えるとき、選ぶのは本当に難しいのです。 という事で、主人公が、二つの、それぞれ違った意味で魅力のある選択を余儀なくされる映画「ブルックリン」(Brooklyn)を見ました。 あらすじ 1951年、とあるアイルランドの小さな町。主人公の若い娘、エイリッシュは、母と姉のローズと3人暮らし。いじわるおばさんが経営する町の雑貨屋でアルバイトをするくらいしか職がなく、満たされない毎日。そんな妹のため、姉のローズは、ニューヨークのブルックリンに住むアイルランド人の牧師に手紙を書き、エイリッシュのために、ニューヨークでの職と下宿を探し出す。 期待と不安でアメリカに渡ったエイリッシュ。他の若い女性たちと、気のいい女将さんの営むブルックリンの下宿先から、マンハッタンのデパートで売り子とし...