ハイゲイト西墓地訪問
墓地への入り口のコロネード |
という事で、先日、あらかじめ、ガイドツアーを予約して、ハイゲイト西墓地を訪れて来ました。天気予報が良い日を選んだつもりであったのに、最近のころころ変わりやすい天気のため、調度ツアーの時間はぐずぐずの雨模様となってしまいました。雨傘を持ったガイドさんは、その雨傘はささずに、ステッキのごとく、物を指すためだけに使用していましたが。
ハイゲイト東墓地での記事に書いた通り、ハイゲイト墓地の歴史は、ロンドン市内の人口増加により、ロンドン中心部の教会の墓地が満杯になってしまうという状態に達する19世紀前半に遡ります。幾人かの実業家たちが、1804年に開園となったパリにあるペール・ラシェーズ墓地(Pere-Lachaise)をモデルとした埋葬場所を、ロンドン郊外に設置し始めるのです。こうした新しい郊外の墓地は、ぎゅうぎゅう詰めで、死者の威厳も何もない、ロンドン中心部での埋葬に比べ、広々と、よく手入れされた庭園のイメージを持ち、ガーデン・セミトリーと称され、富裕層に人気を博すこととなります。
ロンドン郊外のガーデン・セミトリーとして、ハイゲイト墓地(西地区)は、ケンサル・グリーン墓地(Kensal Green)、ウェスト・ノーウッド墓地(West Norwood)につぎ、3番目に作られたもので、1839年に完成。1845年には、すでに、訪問者・観光客用の最初のガイドブックが発行されるに至ります。ハイゲイト東地区がオープンするのは、1854年で、これは、1852年に、ロンドン中心地での埋葬が完全に禁止となったことによる、更なる需要拡大のため。
戦後、放置状態となり荒れ果てていたハイゲイト墓地は、1975年に設立された団体フレンズ・オブ・ハイゲート・セミトリーにより、保護、手入れ、運営をされ、現在に至っています。ガイドさんは、去年、はじめて、ツアーによる収益が、埋葬による収入を上回ったという話をしていました。
さて、前置きが長くなりましたが、ツアーは、一番上の写真の、墓地の入り口となるコロネード(Colonnade)から始まります。このコロネードの前に、葬式の一行、参列者の馬車などをとめるために作られた大きなスペースがあります。
ここからコロネードを抜ける階段を上って、墓地のある高台へと上がっていきます。
開園後、一番最初に作られたお墓というのは、この墓地内の目抜き通り(?)を登り切ったあたりにあります。入り口からずっと続く大きな目抜き通りが、見つけやすいという点で、一番の人気埋葬場であったそうです。
今、墓地は、多くの木々、茂み、つたが、うっそうと生い茂り、自然な林の中といった雰囲気が漂っていますが、開園当時は、ガーデン・セミトリーというコンセプト通り、綺麗に手を入れた花壇や植え込みに囲まれ、大きな木が少なく、見晴らしも良好であったそうです。この最初の墓のある場所は、目抜き通りにある上、特に、遠くロンドンを見渡せる眺めの良さもあり、真っ先に選ばれたようです。
造園段階では植えられていなかった木がにょきにょきと生えだし、シダが生え、ツタが絡まり、自然地と化すのは、墓地の手入れがとどこおるようになってからの話で、かつてのハイゲイト墓地の風景は、現在とはかなり違うものであったようです。今の墓地も、ある意味で、良い雰囲気を醸し出してはいますが。
西墓地は、東墓地に比べ、開園当時のアトラクションとなった、大きく目を引く建造物がいくつかあります。まずは、エジプト街(Egyptian Avenue)。当時のエジプトブームを反映した、トンネル街で、入り口は2本のオべリスクに挟まれています。内部の壁には、12の棺が納められる大きさの廟が、両側に8つずつあり、
ドアには、命が消えたことを意味する下向きのトーチが刻まれています。
こちらは、レバノン回廊(Circle of Lebanon)。ちょっと階段を降りた地面より低い場所に円形にしつらえられたいくつかの廟。それぞれの廟への入り口は、やはりエジプト風。この怪しげな雰囲気から、何度か映画のロケ先として使われ、大昔ではドラキュラ映画、最近では、「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」(Fantastic Beasts: The Crime of Grindelwald)に使われ、パリの墓地として登場するのだとか。
レバノン回廊の名の由来となる、回廊の地上部の中心に植えられていたレバノンスギは、残念ながら、私の訪問の1週間前に、「死んでしまって、回生の余地なし。」と決定されてしまったという事で、訪問時は、ブルドーザーで根を引き抜く作業が行われていました。あーあ、この木、見れずに終わってしまいました。
昔のレバノン回廊はこんな感じ。レバノンスギは、造園の段階ですでに、樹齢100年はあったという木です。
ロンドンにある個人のマウソレウム(mausoleum、霊廟)としては一番立派なものではないかと言われるビア・マウソレウム(Beer Mausoleum)。ドイツ出身の、銀行家で、一時はオブザーバー紙のオーナーでもあった、ジュリアス・ビア(Julius Beer)が建てたもの。手が込んでいるという内部には入れませんでした。
テラス・カタコムの入り口 |
マイケル・ファラデイの墓 |
ツアーでは回りませんでしたが、チャールズ・ディケンズの家族・・・妻、両親、兄弟姉妹、子供なども、西墓地に埋葬されているそうです。当のご本人のディケンズは、ウェストミンスター寺院の詩人コーナーで永眠です。また、ラファエル前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティの妹で詩人のクリスティーナ・ロセッティ、更に、ラファエル前派のモデルでもあり、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの妻ともなったエリザベス・シダルも、西墓地のロセッティ家の墓に眠っています。妻の死を嘆き、ロセッティは、エリザベス・シダルの棺の中に、自分の未発表の詩をしたためたノートを共に収めて埋めておきながら、数年後に後悔し、人に頼んで掘り起こす、という悪名高き事態が起こるのは、この墓地です。ただし、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの埋葬場は、ここではなく、亡くなった場所である、ケント州の海岸線の村バーチントンの教会墓地です。
歌手ジョージ・マイケルもハイゲイト西墓地に埋葬されている様なのですが、ガイドツアーをインターネットで予約する際に、「ジョージ・マイケルの墓はツアーで回りません」との但し書きがありました。ジョージ・マイケルの墓を目当てに西墓地ツアーに参加してみようというファンが多いのかもしれません。
当時は有名であったものの、今はさほど知られていない人物の墓として、ツアーで巡ったもののひとつは、まず移動動物園経営で財をなしたという、ジョージ・ウムウェル(George Wombwell)のもの。もともとは、ロンドンで靴屋をしていた氏は、ある日、南米からやって来た船から、ニシキヘビを2匹購入。これを、ロンドン内の酒場に持って歩いて、見物人から料金を取るというサイドビジネスを開始。そのうち、更に、その他のエキゾチックな動物を次々と購入し、やがては、それらの動物を連れて、イギリス各地を回り、フェアなどで入場料を取っての公開。像やキリンもいたというので、かなり大掛かりなものであったのでしょう。墓の上に寝そべるのは、ウムウェルのライオンのネロ君。温和な性格のライオンだったとやら。
そして、現在のボクシングの原型と言われる、グローブをせず、素手で行う格闘技、ベアナックル・ボクシングの有名選手であったトマス・セイヤーズ(Thomas Sayers)の墓も訪れました。一般庶民に大人気であったという彼の葬儀は、ハイゲイト墓地の歴史でも最大規模のものであったそうで、墓には、誰でもそれとわかるように、彼の横顔が彫られてあります。墓を護衛するように横たわるのは、葬儀に、喪主(!)として参列したセイヤーズの愛犬、ライオン君で、実際にライオン君、葬式の日に、この場所に、このポーズで横たわったのだそうです。
通りに面した西墓地のチャペル |
ツアーは、15分ほど前に門が開き、西墓地のチャペル内で開始を待つことになります。トイレは、通りを隔てて、すぐむかいの、東墓地のチケット売り場の裏にありますので、寒い日は、早めについて、先に行っておきましょう。
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