ハイゲイト墓地の歴史と東墓地訪問
ロンドン北部の高級住宅地ハイゲイトにある、ハイゲイト墓地(Highgate Cemetery)は、ロンドン中心部の、教会に付随する墓地が、過去の度重なる埋葬によって、ぎちぎちになってしまった結果の産物です。
かつては、火葬というのがありませんでしたから、ロンドン内に限らず、教会の墓地というのは、何百何千という死体を次から次へと葬ってきたため、教会の建物の立つ地面よりも、盛り上がって高くなっているという事が多々あります。
そんなこんなで、19世紀初頭には、ロンドンでの死者の埋葬場の不足は、もう無視できない一大問題となり、私営企業が乗り込んで、1830年代から、1840年代にかけて、ロンドン郊外の緑地に、いくつかの墓地が新設されることとなります。こうした新墓地のインスピレーションとなったのは、パリのペール・ラシェーズ墓地(Pere Lachaise Cemetery)であったという事。
この新墓地のひとつであったハイゲイト墓地は、ロンドン・セミトリー・カンパニー(London Cemetery Company)により、1839年にオープン。この際に作られたのは、現在、西墓地(Highgate Cemetery West)と呼ばれる区画。墓地といえども、ビジネスですから、富裕な中流階級を引き付けるため、美しく造園され、エジプト街、レバノン回廊などの、目を引く、呼び物的建築物も建てられ。また、当初から、観光地として一般公開する事もすでに頭に置いて造園されたようです。墓地内には、一部、イギリス国教会以外のプロテスタント信者(Dissenters 非国教徒)のための埋葬場も設けられます。
1850年代になると、ロンドン中心部での埋葬が禁止となり、需要拡大に対処するため、ロンドン・セミトリー・カンパニーは、西墓地に隣接する更なる土地を獲得し、1860年に、現在の東墓地(Highgate Cemetery East)がオープンとなるのです。夫君アルバート公の死に嘆き悲しみ、長い喪に服すヴィクトリア女王の影響もあって、墓地というものにロマンを感じるヴィクトリア朝の人間は多かったのか、観光地としてのハイゲイト墓地は、すでにガイドブックなどにも紹介されていたと言います。
ビジネスとしての墓地の弱点は、埋葬場がつきてしまうと、収入は当然枯渇しまうこと。月日と共に、やがては収入も乏しくなり、会社は破産。よって墓地の管理は行われなくなり、朽ちるに任せ、お化け屋敷の庭の様になっていくのは必至。ハイゲイト墓地を含めた、ロンドン郊外の墓地は、こうして1960年代、70年代と、非常に物悲しい様相を呈していたようで、やがて、地方自治体などが責任を受け継ぎ、管理を行うようになっていきます。
ハイゲイト墓地に関しては、1975年に、フレンズ・オブ・ハイゲイト・セミトリー(Friends of Highgate Cemetery)なる慈善団体が設立されて、1981年までには、当団体が、東西両墓地を買い取り、整備を開始。私が、イギリスに来たばかりの頃のハイゲイト墓地は、まだ、くたびれ果てた状態で、一般市民には公開されていなかったと記憶します。現在は、料金を取って、観光客はウェルカム。ハイゲイト西墓地への入場は、ガイドに率いられてのツアーのみなので、前もって予約が必要となりますが、ハイゲイト東墓地は、今のところは4ポンドで、気軽に、その日に行って、入場可能。という事で、ひょろりと入れる東墓地へ足を延ばしました。
入り口で入場料を払うと、著名人の墓に印がついている、園内の簡単な地図をくれます。ハイゲイトの東墓地の一番有名な住人(?)は、やはり、カール・マルクス(Karl Marx)。ガイドさんに導かれた一団も、マルクス像の前でしばらく立っていました。
この妙に大きな頭が、なんだか、可笑しい・・・。巨人が指につけて遊ぶ指人形のようで。これは、絶対に見過ごす心配もありません。
カール・マルクスは、1883年、墓地内の、もっとこじんまりした場所に埋葬されたのですが、1954年に、掘り起こされ、家族メンバーと共に、この新しい場所に埋葬されなおされ、1956年に、この巨大記念碑も作られるのです。記念碑の費用を出したのは、英国共産党であったようです。
「サイラス・マーナー」「ミドルマーチ」「フロス湖畔の水車小屋」などの作家ジョージ・エリオット(George Eliot)のお墓もハイゲイト東墓地にあります。女性であることを隠すために使用したペンネーム、ジョージ・エリオットの他に、本名のメアリー・アン・エヴァンスも墓石に刻まれています。
ラジオシリーズが人気を呼んだ「銀河ヒッチハイクガイド」の著者で、比較的若く亡くなってしまったダグラス・アダムス(Douglas Adams)の墓の前には、ペンが何本かささっている鉛筆立てが据えられていました。
上の写真右手手前は、「長距離走者の孤独」の筆者、アラン・シリトー(Alan Sillitoe)。
ポップ・アーティストのパトリック・コールフィールド(Patrick Caulfield)の墓には、DEADという文字の穴があいていますが、最後に疑問符をつけて、DEAD?とした方が面白いんじゃないかな、などと考えていました。
誰のお墓かはわかりませんが、こんなツタの葉のかつらをかぶり、2つ隣り合わせで寄り添う墓石もあり。
そろそろ紅葉も始まって、赤が綺麗な場所もありました。
ツタの幹が石の表面に食い込んだ、古い墓石などを見ると、自然の強さを感じます。そういえば、園内で、鳥やリスの他に、キツネも目撃しました。
ハイゲイト墓地は、現在でも、埋葬を受け入れているそうで、ダグラス・アダムスや、アラン・シリトーのお墓もそうですが、ところどころに2000年に入ってからの新しい墓石も並んでいます。やはり、比較的最近のものは、ほぼ皆火葬で、埋葬してあるのは灰でしょうから、小さめでシンプル。そういえば、中国語が刻まれた墓石もいくつか見かけました。
ひとしきり、地図を片手に、著名人の墓探しに興じた後は、木漏れ日を浴びながらの、そぞろ歩きにもいい感じです。外国人観光客も比較的多かったですが、園内にいくつか置かれているベンチで、それなりの静寂を楽しむことができます。
かつては、火葬というのがありませんでしたから、ロンドン内に限らず、教会の墓地というのは、何百何千という死体を次から次へと葬ってきたため、教会の建物の立つ地面よりも、盛り上がって高くなっているという事が多々あります。
そんなこんなで、19世紀初頭には、ロンドンでの死者の埋葬場の不足は、もう無視できない一大問題となり、私営企業が乗り込んで、1830年代から、1840年代にかけて、ロンドン郊外の緑地に、いくつかの墓地が新設されることとなります。こうした新墓地のインスピレーションとなったのは、パリのペール・ラシェーズ墓地(Pere Lachaise Cemetery)であったという事。
ハイゲイト西墓地への入り口 |
1850年代になると、ロンドン中心部での埋葬が禁止となり、需要拡大に対処するため、ロンドン・セミトリー・カンパニーは、西墓地に隣接する更なる土地を獲得し、1860年に、現在の東墓地(Highgate Cemetery East)がオープンとなるのです。夫君アルバート公の死に嘆き悲しみ、長い喪に服すヴィクトリア女王の影響もあって、墓地というものにロマンを感じるヴィクトリア朝の人間は多かったのか、観光地としてのハイゲイト墓地は、すでにガイドブックなどにも紹介されていたと言います。
ビジネスとしての墓地の弱点は、埋葬場がつきてしまうと、収入は当然枯渇しまうこと。月日と共に、やがては収入も乏しくなり、会社は破産。よって墓地の管理は行われなくなり、朽ちるに任せ、お化け屋敷の庭の様になっていくのは必至。ハイゲイト墓地を含めた、ロンドン郊外の墓地は、こうして1960年代、70年代と、非常に物悲しい様相を呈していたようで、やがて、地方自治体などが責任を受け継ぎ、管理を行うようになっていきます。
ハイゲイト墓地に関しては、1975年に、フレンズ・オブ・ハイゲイト・セミトリー(Friends of Highgate Cemetery)なる慈善団体が設立されて、1981年までには、当団体が、東西両墓地を買い取り、整備を開始。私が、イギリスに来たばかりの頃のハイゲイト墓地は、まだ、くたびれ果てた状態で、一般市民には公開されていなかったと記憶します。現在は、料金を取って、観光客はウェルカム。ハイゲイト西墓地への入場は、ガイドに率いられてのツアーのみなので、前もって予約が必要となりますが、ハイゲイト東墓地は、今のところは4ポンドで、気軽に、その日に行って、入場可能。という事で、ひょろりと入れる東墓地へ足を延ばしました。
入り口で入場料を払うと、著名人の墓に印がついている、園内の簡単な地図をくれます。ハイゲイトの東墓地の一番有名な住人(?)は、やはり、カール・マルクス(Karl Marx)。ガイドさんに導かれた一団も、マルクス像の前でしばらく立っていました。
この妙に大きな頭が、なんだか、可笑しい・・・。巨人が指につけて遊ぶ指人形のようで。これは、絶対に見過ごす心配もありません。
マルクスの最初の墓 |
「サイラス・マーナー」「ミドルマーチ」「フロス湖畔の水車小屋」などの作家ジョージ・エリオット(George Eliot)のお墓もハイゲイト東墓地にあります。女性であることを隠すために使用したペンネーム、ジョージ・エリオットの他に、本名のメアリー・アン・エヴァンスも墓石に刻まれています。
ラジオシリーズが人気を呼んだ「銀河ヒッチハイクガイド」の著者で、比較的若く亡くなってしまったダグラス・アダムス(Douglas Adams)の墓の前には、ペンが何本かささっている鉛筆立てが据えられていました。
上の写真右手手前は、「長距離走者の孤独」の筆者、アラン・シリトー(Alan Sillitoe)。
ポップ・アーティストのパトリック・コールフィールド(Patrick Caulfield)の墓には、DEADという文字の穴があいていますが、最後に疑問符をつけて、DEAD?とした方が面白いんじゃないかな、などと考えていました。
誰のお墓かはわかりませんが、こんなツタの葉のかつらをかぶり、2つ隣り合わせで寄り添う墓石もあり。
そろそろ紅葉も始まって、赤が綺麗な場所もありました。
ツタの幹が石の表面に食い込んだ、古い墓石などを見ると、自然の強さを感じます。そういえば、園内で、鳥やリスの他に、キツネも目撃しました。
ハイゲイト墓地は、現在でも、埋葬を受け入れているそうで、ダグラス・アダムスや、アラン・シリトーのお墓もそうですが、ところどころに2000年に入ってからの新しい墓石も並んでいます。やはり、比較的最近のものは、ほぼ皆火葬で、埋葬してあるのは灰でしょうから、小さめでシンプル。そういえば、中国語が刻まれた墓石もいくつか見かけました。
ひとしきり、地図を片手に、著名人の墓探しに興じた後は、木漏れ日を浴びながらの、そぞろ歩きにもいい感じです。外国人観光客も比較的多かったですが、園内にいくつか置かれているベンチで、それなりの静寂を楽しむことができます。
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