南アフリカの国歌
ラグビーW杯などの世界スポーツ大会では、各国の国歌を聞けるのも楽しみの一つです。国歌流れる間、絶唱する選手もいれば、口をなんとなくもごもご動かすだけの選手もいる、感無量で泣き出す選手もいる、その様子もまた興味深いです。
私は、南アの国歌の前半部が好きです。オルゴールから流れて来るような優しいメロディーに、「コシシケレーリー、アーフリーカー」と、外人にとっては、おまじないのような、魔法の呪文の様な不思議な響きの、コサ語の歌詞で始まるのもいい。
南ア国歌の前半と後半がかなり違うメロディーであるのは、2つの違う歌が合体されているため。前半はコサ語、ズールー語、ソト語で歌われる「Lord, Bless Africa」(神よ、アフリカに祝福を)、後半はアフリカーンス語と英語で歌われる「The Call of South Africa」(南アフリカの呼び声)。南ア内の公式言語は11語。そのうち最も良く喋られる5語が使われているというユニークなもの。前者は、もともと讃美歌であったアフリカ国民会議(ANC)の歌で、アパルトヘイト時代には、当時の白人政権への抵抗として歌われたもの。後者は、アパルトヘイト時代の南ア政権の国歌。これが合体して、ひとつの国歌となっています。
私の日本の学校時代、歴史か社会科の本に、南アのアパルトヘイトの記載があり、「ただし、日本人は名誉白人として扱われる・・・」とありました。それを読みながら、「なんだ、名誉白人って・・・黄色人種でわるかったね!」と内心おもしろくないものがありました。アパルトヘイトが終わり、初の全人種参加選挙で、ネルソン・マンデラが大統領となったのが、1994年。
ネルソン・マンデラのリーダーシップのもと、過去の恨みつらみを一切捨て去り、新しいスタートを切るため、さっそく、全ての人種を統合し、結束した国家を象徴する国旗と国歌が作られます。レインボー・ネーションの誕生。そして、1995年、南アがホストとして開かれた第3回ラグビーW杯でこの新しい国歌が歌われる事となるのです。
ホスト国として、南アが、見事初優勝を果たしたこの大会も、もうはや、24年も前の事。当時の南ア・ラグビー・チームが、ネルソン・マンデラからトロフィーを渡された様子も、遠ざかる記憶として、なんとなく覚えています。それまでは、ラグビーは白人のスポーツとして見られ、母国のラグビー代表(スプリングボクス)を応援しようなどと言う黒人はいなかったのを、スポーツは人々に一体感を与える、とマンデラ氏は、自ら、積極的に大会をプロモートして、大成功へ導いていました。ただし、アパルトヘイト終了から、まだ日の浅い当時の南アチーム内、黒人選手はただひとり。
初めての黒人主将という、笑顔が可愛いシヤ・コリシ(Siya Kolisi)に率いられた南アの優勝で幕を閉じた、今回の日本のラグビーW杯。アパルトヘイトから、ついにここまで来たか、という感じです。彼も、決勝前、国歌を大熱唱していました。また、コリシの背番号6番は、1995年の大会に、マンデラ氏が着ていたシャツの背番号と同じ。
「こういう日が来ると想像したことがありますか?」という試合後のインタビューに、コリシ主将、「子供の時は、毎日、ご飯を食べられるかどうかと、それだけだったから、こんな事は思いもしなかった。」という返事。イングランドはものの見事に負けてしまったものの、南アが優勝して、良かったなと思いました。
同じ区域に住んでいながら、他民族、他人種が、共存ができぬために、政情不安、戦争を繰り返す場所というのは、いまだに世界各地に後を絶えません。こうした領域や国は、一体、いくつのトラウマを乗り越えれば、いつまでも、こんなバカな事はしておられない、と、一つの目的にまとまって、平和的共存の道を選ぶようになっていくのか。
一般にお行儀のよいラグビーファンの間ではない事でしょうが、ヨーロッパですら、サッカーの試合ではいまだ、場所によって、観客が黒人選手にむかって人種差別的言葉で罵ったり、ナチスドイツの敬礼をしたり、サルの声をまねて叫んだり、バナナを投げつけたりなどの事件は起こっています。先日も、ブルガリアで試合をしていたイングランドの黒人選手が、ブルガリア・ファンから、こうした人種差別の被害にあっていました。
シヤ・コリシが、主将に選ばれた時は、反論を飛ばす白人などもいたようですし、まだまだ貧困、犯罪、そして人種間の緊張も消え去っておらず、しばらくは、政治汚職にも悩まされた南アですが、少なくとも、小さい人大きい人、色々な肌の人を、ごちゃっと集めながら、一致団結で優勝までこぎつけた、このラグビー代表は、希望を与えてくれるものがありました。
南アのアパルトヘイトの時代を知らないという世代の人たちは、これを機に、1987年の映画「遠い夜明け、Cry Freedom」、2013年の「マンデラ、自由への長い道、Mandela, Long Walk to Freedom」でも見てみましょう。
*余談、イングランドは英国国歌を歌うべきか
英国からは、イングランド、ウェールズ、スコットランドが参加しましたが、ウェールズとスコットランドはそれぞれ、自分たちの別の歌を歌っているのに、イングランドとなると、英国全体の国歌を使用しています。これが流れる度、うちのだんなは、「イングランドだけが、英国国歌じゃよくないんじゃないか、ウェールズとスコットランドだっているのに。別なの歌えばいいのに。」といつも文句を言います。確かに。イングランドは、「エルサレム」あたりを歌うっていう手もありますかね。メロディーも、こっちの方がずっといいですし。
私は、南アの国歌の前半部が好きです。オルゴールから流れて来るような優しいメロディーに、「コシシケレーリー、アーフリーカー」と、外人にとっては、おまじないのような、魔法の呪文の様な不思議な響きの、コサ語の歌詞で始まるのもいい。
南ア国歌の前半と後半がかなり違うメロディーであるのは、2つの違う歌が合体されているため。前半はコサ語、ズールー語、ソト語で歌われる「Lord, Bless Africa」(神よ、アフリカに祝福を)、後半はアフリカーンス語と英語で歌われる「The Call of South Africa」(南アフリカの呼び声)。南ア内の公式言語は11語。そのうち最も良く喋られる5語が使われているというユニークなもの。前者は、もともと讃美歌であったアフリカ国民会議(ANC)の歌で、アパルトヘイト時代には、当時の白人政権への抵抗として歌われたもの。後者は、アパルトヘイト時代の南ア政権の国歌。これが合体して、ひとつの国歌となっています。
私の日本の学校時代、歴史か社会科の本に、南アのアパルトヘイトの記載があり、「ただし、日本人は名誉白人として扱われる・・・」とありました。それを読みながら、「なんだ、名誉白人って・・・黄色人種でわるかったね!」と内心おもしろくないものがありました。アパルトヘイトが終わり、初の全人種参加選挙で、ネルソン・マンデラが大統領となったのが、1994年。
ネルソン・マンデラのリーダーシップのもと、過去の恨みつらみを一切捨て去り、新しいスタートを切るため、さっそく、全ての人種を統合し、結束した国家を象徴する国旗と国歌が作られます。レインボー・ネーションの誕生。そして、1995年、南アがホストとして開かれた第3回ラグビーW杯でこの新しい国歌が歌われる事となるのです。
ホスト国として、南アが、見事初優勝を果たしたこの大会も、もうはや、24年も前の事。当時の南ア・ラグビー・チームが、ネルソン・マンデラからトロフィーを渡された様子も、遠ざかる記憶として、なんとなく覚えています。それまでは、ラグビーは白人のスポーツとして見られ、母国のラグビー代表(スプリングボクス)を応援しようなどと言う黒人はいなかったのを、スポーツは人々に一体感を与える、とマンデラ氏は、自ら、積極的に大会をプロモートして、大成功へ導いていました。ただし、アパルトヘイト終了から、まだ日の浅い当時の南アチーム内、黒人選手はただひとり。
初めての黒人主将という、笑顔が可愛いシヤ・コリシ(Siya Kolisi)に率いられた南アの優勝で幕を閉じた、今回の日本のラグビーW杯。アパルトヘイトから、ついにここまで来たか、という感じです。彼も、決勝前、国歌を大熱唱していました。また、コリシの背番号6番は、1995年の大会に、マンデラ氏が着ていたシャツの背番号と同じ。
「こういう日が来ると想像したことがありますか?」という試合後のインタビューに、コリシ主将、「子供の時は、毎日、ご飯を食べられるかどうかと、それだけだったから、こんな事は思いもしなかった。」という返事。イングランドはものの見事に負けてしまったものの、南アが優勝して、良かったなと思いました。
同じ区域に住んでいながら、他民族、他人種が、共存ができぬために、政情不安、戦争を繰り返す場所というのは、いまだに世界各地に後を絶えません。こうした領域や国は、一体、いくつのトラウマを乗り越えれば、いつまでも、こんなバカな事はしておられない、と、一つの目的にまとまって、平和的共存の道を選ぶようになっていくのか。
一般にお行儀のよいラグビーファンの間ではない事でしょうが、ヨーロッパですら、サッカーの試合ではいまだ、場所によって、観客が黒人選手にむかって人種差別的言葉で罵ったり、ナチスドイツの敬礼をしたり、サルの声をまねて叫んだり、バナナを投げつけたりなどの事件は起こっています。先日も、ブルガリアで試合をしていたイングランドの黒人選手が、ブルガリア・ファンから、こうした人種差別の被害にあっていました。
シヤ・コリシが、主将に選ばれた時は、反論を飛ばす白人などもいたようですし、まだまだ貧困、犯罪、そして人種間の緊張も消え去っておらず、しばらくは、政治汚職にも悩まされた南アですが、少なくとも、小さい人大きい人、色々な肌の人を、ごちゃっと集めながら、一致団結で優勝までこぎつけた、このラグビー代表は、希望を与えてくれるものがありました。
南アのアパルトヘイトの時代を知らないという世代の人たちは、これを機に、1987年の映画「遠い夜明け、Cry Freedom」、2013年の「マンデラ、自由への長い道、Mandela, Long Walk to Freedom」でも見てみましょう。
*余談、イングランドは英国国歌を歌うべきか
英国からは、イングランド、ウェールズ、スコットランドが参加しましたが、ウェールズとスコットランドはそれぞれ、自分たちの別の歌を歌っているのに、イングランドとなると、英国全体の国歌を使用しています。これが流れる度、うちのだんなは、「イングランドだけが、英国国歌じゃよくないんじゃないか、ウェールズとスコットランドだっているのに。別なの歌えばいいのに。」といつも文句を言います。確かに。イングランドは、「エルサレム」あたりを歌うっていう手もありますかね。メロディーも、こっちの方がずっといいですし。
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