聖スティーブンとセント・スティーブン・ウォルブルック教会

聖ステファノ(英語は、聖スティーブン、St Stephen)は、キリスト教の最初の殉教者とされます。上の絵は、ドイツの画家、アダム・エルスハイマー(Adam Elsheimer、1578-1610)による、聖スティーブンの殉教の絵。

前回の記事の「ペンテコステ」の後、徐々に、エルサレムでの、キリストの教えの信者の数は増えていき、組織内での、色々な統制も必要となっていきます。ギリシャ系ユダヤ人であったというスティーブンは、その清廉潔白な性格を買われて、12使徒により、7人のディーコン(助祭、deacon)の一人に選ばれます。当時はまだ、ユダヤ教の新興の一派に過ぎなかったキリスト教。機知に富み、非常に熱心にキリストの教えを説き、議論でも他者に負けることがなかったため、ユダヤ教信者の中には彼を面白くなく思う人物も多く、最終的には、ユダヤ教への冒涜の言葉を放ったとして罪に問われ、大勢により、石を投げられるという処刑法で死亡。よって、聖スティーブンのシンボルは石。上の絵のように、石投げの処刑の絵、また、お手玉の様な石ころがいくつか、頭の周りに描かれている聖人がいたら、それは聖スティーブンです。

このいきさつも、ペンテコステと同じく、新約聖書内の、「使徒言動録(Acts of the Apostles)」に記されています。これによると、彼は、死の直前、

7-58 And they stoned Stephen, calling upon God, and saying, Lord Jesus, receive my spirit.
民は、神に呼びかけ、「主なるイエスよ、私の魂を受け入れたまえ」と言うスティーブンに石を浴びせかけた。

7-60 And he kneeled down, and cried with a loud voice, Lord, lay not this sin to their charge, And when he had said this, he fell asleep.
スティーブンは膝まずき、大声で叫んだ「主よ、この罪は、彼らのせいではありません。」こう言った後、スティーブンは眠りについた。

St Stephen Wallbrook外観
ロンドンのシティー内には、この聖人に捧げた、セント・スティーブン・ウォルブルック(St Stephen Walbrook)という教会があります。ウォルブルックというのは、当教会のある、南北に走る通りの名ですが、かつては、ここを流れていた川の名前。ウォルブルック川は、現在は、通りの下の、人には見えないところをちょろちょろ流れてテムズ川に注ぎ込んでいます。

ウォルブック川沿いに、聖スティーブンに捧げた教会は、8~10世紀ころから存在したと言われ、15世紀に建て直されたものが、1660年のロンドン大火で焼失。他の多くのシティー内の教会同様、クリストファー・レンが、再建。以前、書いた新しいブルームバーグ本社内部にあるミトラス教神殿遺跡から、ウォルブルックの通りを渡った斜向かい、ロード・メイヤーの住むマンション・ハウスの隣にあります。

なんでも、レンは、ウォルブルックの15番に住んでおり、これは彼の教区教会でもあったため、この教会建設には、特に力を入れたようで、当教会は、セント・ポール大聖堂に次ぐ、彼の傑作という意見もあります。

実際、教会にこの手のドームを取り込むというのは、この国では、セント・スティーブン教会が初めてだそうで、レンは、これを、セント・ポール寺院のドーム建設前の実験台に使用したという話もあります。もっとも、セント・ポール寺院のドームが、戸外から見える外側ドーム、内部の天井画が描かれている内側ドーム、そして、実際に、重さを支えるその中間に挟まれたドームと、三重構造なのに対し、セント・スティーブンのものは、一重のみ。この傑作教会が建設されていく最中、隣人は、この新しい教会のせいで、自分の家の日当たりがわるくなると文句を言ったという話があります。どんなにすばらしい建築物でも、隣人にとっては、ただのはた迷惑というのが、可笑しい。当教会は、両側に建物があったため、側面の外壁は装飾もなくシンプル、緑色のドームも、外部からは、あまり良く見えないのです。


ただ、内部は、たしかに素晴らしく、広々と明るい感じがします。

第2次世界大戦中に被害を受け、戦後修理。さらに、1978~87年代に一大修復され、その際に、ドームの真下に、ドーンと、イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーア(Henry Moore)による円形の祭壇が置かれることとなります。これは、ミケランジェロが作品を作る石を切り出したローマ近郊の同じ場所から採掘されたトラヴァティン・ストーン(Travertine)を使用。重さ10トンだそうで、巨大カマンベールチーズなどというあだ名がついていますが・・・

たしかに!円形祭壇をこうしてど真ん中に置くというのは、めずらしいものです。

ドームを仰ぐとこんな感じ。中央から光が入ってくるようになっています。

この教会は、また、慈善団体「サマリタンズ、Samaritans」が誕生した場所。サマリタンズとは、自殺防止のため、鬱になっている人たちが、電話をかけて、誰かと自分の悩みについて喋ることができる、というヘルプラインを提供する団体です。1953年に、当教会の教区司祭(rector)であったチャド・ヴァラー氏(Chad Varah)が、教会内に創立。

教会内には、氏が、司祭の書斎に設置して、初めて、この目的に使われた電話が展示されています。当初の番号はMA9000(MAは、マンション・ハウスの略)。

もともと、チャド・ヴァラー氏が、この団体を立ち上げるきっかけとなったのは、若かりし頃、アシスタントとして、自殺した14歳の少女の葬儀に立ち会ったこと。彼女の自殺の理由というのが、生理が始まり、なぜいきなり出血したのか理由がわからず、性病にかかったのかと恐れたため、というもの。これを機に、自殺をしようという考えに襲われ、他に相談者がいない人たちが、悩みをうちらけられる場所を設け、自殺防止をするという使命に燃えることとなったそうです。

サマリタンズという団体名は、新約聖書に記される「善きサマリア人( The Good Samaritan)」からきたものです。追剥に合い、負傷した人物を、通りがかったサマリア人が、助けて介護した、という話で、見ず知らずの他人に助けの手を差し伸べる人の事を、今でも「Good Samaritan」と呼びます。最初のうちは、チャド・ヴァラー氏は、秘書と二人で電話を受けていたものの、そのうち、幾人かのボランティアの助けをかりるようになり、数か月後には、彼らの力で十分やっていけるとわかった氏は、「Over to you Samaritans. サマリア人諸君、君たちに任せる。」と、実際の電話でのカウンセリングはボランティアに任せ、自らは、彼らの管理と助言の役割を果たすようになり、サマリタンズと言う名前も、ここから定着したようです。

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さて、再び、教会の話から、聖スティーブンの話に戻りますが、彼が、最初のキリスト教殉教者として、石投げの刑にかけられていたのを、満足そうに眺めていた、保守的ユダヤ教の熱狂的信者が一人いました。彼の名は、ソウル。後に、キリスト教に改宗し、名前をポールと変え、キリスト教布教のために、各地を歩き回り、キリスト教が世界宗教へとなる第一歩を固めた、セント・ポール(聖パウロ)の昔の姿です。という事で、次回はセント・ポールについて少しまとめてみる事とします。こちら

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