ロンドンのミトラス教神殿遺跡

ロンドン博物館内のミトラス神の頭
ロンドンのシティー内、かつては、ウォルブルック(Walbrook)というテムズ川にそそぐ川が流れていた場所に南北に走る、歩行者専用の通りは、今もその名残からウォルブルックと呼ばれます。ちなみにウォルブルック川は、今も地下を、ささやかにちょろちょろと流れてはいるのですが、道行く人の大半は、その存在を知らずに大急ぎで歩いていきます。

このウォルブルックの西側は、かなり長い間、新しいブルームバーグ社ヨーロッパ本拠地の建物建設のため、一大工事現場と化し、封鎖されていました。かつてここにあった、バックラーズベリー・ハウス(Bucklersbury House)と呼ばれた、味気ない、おんぼろビルが取り壊された後、ノーマン・フォスター氏デザインによる、新しいブルームバーグ社建物建設前に、考古学団体による発掘が行われ、ローマ時代の遺品がいくつも発見されるに至り、一時は、「北のポンペイ」などと呼ばれ。この地は、ウォルブルック川のそばの比較的湿った地質であったため、木材や皮製品の保存状態が特に良いのだそうです。

もっとも、この地が考古学者達の一大興味の対象となったのは、今回のみならず。戦時中に、ここにあった建物がドイツ空軍の爆撃で崩壊し、戦後の土地開発で、1954年、この場所にローマ時代の紀元240年に遡る、ミトラス教の神殿(Temple of Mithras)遺跡が掘り上げられ、大騒ぎとなったのです。英語の発音は、「ミトラス」より、「ミスラス」に近いものがあります。

1950年代のミトラス神殿の発掘
発掘当初は、ローマ時代の屋敷か倉庫の跡地と思われていたのが、なぜ、ミトラス教の神殿跡と分かったかというと、ある日、若く神々しくハンサムなミトラス神の頭(一番上の写真)が泥の間から発見されたため。これが、新聞で大きく取り上げられたのも手伝い、当時、それは大勢の人間が、この遺跡を一目見ようと列を作り。この神殿跡をどうするべきか、というのは、国会でも取り上げられ論議の対象になったものの、戦後、金欠の内閣の事、政府は神殿保存のために金を払う事を拒否。保存のための資金は、土地開発者のおさいふから払わせることと相成りました。そういうことになると、どうしても、節約のため、手抜きになるのですよね。

ロンドン博物館内、ウォルブルックで発掘された彫刻類
関わった考古学者たちの嘆きをよそに、神殿を形作っていた石等は、サリー州のニューモルデンという場所に一時的にどーんと移され、ウォルブルックにバックラーズベリー・ハウスが建設された、1962年、発見された場所から、約90メートル離れた、建物の駐車場の上に再び移動されます。過去どんなであったかの考慮も一切なしに、ミトラス神殿は、形ばかりの再建をされ、セメントでがしっと固められ、ローマ時代には、洞窟の様な内部で、密教的雰囲気を持つ神殿であったのに、以来、雨風にさらされたまま、時と共に、世間からは忘れ去られた存在となるのです。ミトラス神の頭などの彫刻類は、ロンドン博物館に安全に保管されることとなりますが。また、この神殿の石が、一時的に、ニューモルデンに置かれている期間中に、いくつかの石や柱が盗まれて消えてしまったというエピソードも残っています。現在と比べ、過去の遺跡の保護保存に対しての規制は、いい加減で、まだまだ緩いものがあったのです。

ついでながら、このバックラーズベリー・ハウス内には、以前、英国郭という日本のレストランが一階に入っており、その隣には、同レストラン経営のお弁当屋さんもあったため、私は、お昼ご飯を買いに時折足を運んだ場所です。うちのだんなも、日系企業との会合の際に、このレストランでご馳走になる事が何度かあり、いつもそれを楽しみにしていましたっけ。まあ、そういった意味で、見栄えはぱっとしないビルでしたが、愛着は残っています。ミトラス神殿は、周辺に道しるべはあったものの、当時は特に注意も払わず、実際、そんな駐車場の上にひそかに存在していた事さえ知りませんでしたし、見に行ったという人の話も聞いた覚えがありません。

新しいブルームバーグ社の建物の一角
ともあれ、今回、再びこの場所がブルームバーグの建物建設のために掘り起こされると、1954年の開発の際に、そのままブルドーザーで平らにのされてしまったと思われていた、ミトラス神殿の跡地が再発見、神殿の石たちは、ブルームバーグ社建物の一角の地下の本来神殿が存在した場所へ移動され、できるだけ、神殿が建てられた紀元240年時の姿に近い形で再現されることとなり、めでたし、めでたし。

当然こうした新しいビルの建設などは、長期計画ですので、ブルームバーグ社がこれを建てるのを決めたのは、ブレグジット(イギリスのEU離脱)の話などはまだ一切なかった頃。ブルームバーグのCEOで、もとニューヨーク市長であったマイケル・ブルームバーグ氏が、ロンドンを訪問した際、インタヴューされているのを聞きましたが、ブレグジットに関して聞かれると、氏は、「ブレグジットは、かつて、この国が決めた過去一番ばかげた事。」とのたまっていました。シティー関連者の大半の意見でしょうが。

ブルームバーグ社内の新しい場所へ移動のための神殿解体作業
移動を行うため、バックラーズベリー・ハウスの駐車場の上のセメントから、神殿の石を切り離す作業が大変だったという話です。

こうして、ぴかぴかのブルームバーグ社の建物も完了し、ミトラス神殿も、今年の11月から一般公開が始まりました。チケットは時間制で、今のところ前予約が必要ですが、入場無料です。さっそく行ってきました。

牡牛を殺すミトラス神
まず、ミトラス教とは、何ぞや、という事に少々触れておきます。これは、ローマ帝国内で、紀元1世紀の終わりから始まり、帝国内のいたるところに広がったものの、5世紀までには無くなっていた宗教です。ローマ時代は、それこそ、宗教は何でもござれ、という部分があり、ありとあらゆる色々な神殿が、各地に存在。ミトラス教は特に、男性のみ参加で、中級、下級兵士の間で人気の宗教であったということ。信仰した者たちによる文献が残っておらず、具体的にどういう内容のものであったか、詳しく知ることは難しいようです。組織内には、下から、カラス、花嫁、兵士、ライオン、ペルシャ人、太陽の使者、父という7つの階級があり、希望する者は、肉体的に大変な試練を受けて、ひとつひとつ階級をあがっていったという事。

ミトラス神殿は、地下の洞窟風の場所に作られ、内部は薄暗く、大きなテーブルと2つの長いベンチがしつらえられ、メンバーが共に、その場で食事をしたとされています。

各地で発掘されたミトラス神の彫刻は、必ずと言っていいほど、ペルシャ風衣装を着て、ナイフで牡牛を殺す様子を模したもの。カラス、サソリ、犬、蛇が、その周りを取り囲み、犬と蛇は、牡牛から流れ出る血を舐めとり、さそりは、なぜか、牡牛のたまたまを攻撃。死から生命が湧き出る・・・といったような意味で解釈される事が多いようです。そして、それらをくるりと取り囲むように十二宮のイメージ。

インド・イラン由来の名前が似たミトラ教から派生したとか、ミトラス神がペルシャ風衣装を身に着けているところから、ゾロアスター教から派生したとか、色々説があるようですが、定かな証拠は無し。ローマ帝国は広く、色々な人種を含んでいましたらから、あちらこちらから、色々いただいて出来上がった宗教なのでしょう。所詮、キリスト教も、色々な異教の要素を取り入れているところがありますし。最後の晩餐よろしく、食事を共にする習慣と、一説によれば、12月25日は、ミトラス神が生まれたとされる日でもあるとかで、ミトラス教とキリスト教の関わりを唱える人がいるようですが、こちらも、その根拠は皆無ということ。

5世紀までに、無くなったというのは、どうやら、キリスト教信者たちにより神殿などが破壊されていったのが原因のようです。ミトラス教に限らず、それまで帝国内に存在した多々の宗教が、公認されたキリスト教によって目の敵にされ消えていった、というのも皮肉なものです。かなり前に、「コンスタンティヌス帝とキリスト教」という記事で書きましたが、以前は糾弾されていた団体が、権力を持つことによって、今度は、自分が他者を糾弾し滅ぼしていき、以後、西洋諸国は、それまでの、なんでもござれ、からキリスト教一色に塗られていくわけです。

さて、この公開され始めたばかりのミトラス神殿。入り口付近のショーケースの中には、神殿に関わらない、他のローマ時代の発掘物も展示されています。(このうち、ブルームバーグ・タブレットに関しては、また次回書くことにします。)

実際の神殿は、階段を降りて、地下の暗がりにあり、照明や音響効果を利かせ、なかなかムードあります。

ロンドンという場所は、過去の瓦礫の上にたっている町であるため、ローマ時代の地表は、現代の地表よりずっと下にあるのです。階段を降りながら、壁を眺めると、この高さの地表は、17世紀の時、12世紀の時と、印が付いており、階段を降りるに従い、昔の地表に近づき、ついにはローマ時代の地表に到着。7メートルくらいの深さでしょうか。ですから、ローマ時代の遺跡を掘り当てるには、かなり深く掘る必要が出てくるのです。

内部は、ミトラス教に関する説明は、あまりないので、事前にミトラス神殿がどのようなものであったかを知ってから入らないと、何が何だか、わからない、という可能性もあります。(このブログを読んだ人は大丈夫です!)が、めんどくさい事はともかく、かつてのローマ人が経験した、神秘的な世界に踏み込めればそれでいいと思えば、それは、それで、楽しめるのでしょう。

上記の通り入場は無料で、下のLondon Mithraeumの公式サイトから時間制のチケット予約ができるようになっています。
https://www.londonmithraeum.com/

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