ローランド・ヒルと切手の誕生

キング・エドワード・ストリートのローランド・ヒル像
上の写真のお方は、ローランド・ヒル(Rowland Hill、1795-1879)。社会改革者として知られ、中流家庭の子供に、サイエンスを含んだ有用な教育を与える教育制度改革に貢献した他、何よりも、イギリス、ひいては世界の郵便制度の発展と改革に貢献した人物として有名です。

ローランド・ヒルの青銅の像が立つのは、セント・ポール大聖堂からやや北に行った、キング・エドワード・ストリート(King Edward Street)。キング・エドワード・ストリートの東側に並行して走る通り、セント・マーティンズ・レ・グランド(St Martin's le Grand)の東西両側には、かつて中央郵便局(General Post Office)として使用された建物があり、近くには、以前の記事にも書いた、郵便局職員がお昼休みに憩いの場所として使ったポストマンズ・パークもあります。ついでながら、セント・マーティンズ・レ・グランドの東側の旧中央郵便局建物は取り壊されたものの、西側の建物(1 St Martin's le Grand)は、1984年に中央郵便局が移動した後の、1987年ころ、野村インターナショナルが購入し、改築改造。その後、野村がヨーロッパの本拠地として使用しており、2014年に、これをシンガポールの企業に売って手放すまでは、ノムラ・ハウスとして知られていました。

さて、話を、ヒル氏に戻します。ウスターシャー州キダミンスター(Kidderminster)に、学校の校長先生の息子として生まれたローランド・ヒル。彼が8歳の時に、後の彼の人生に影響を与える、とある事件が起こります。誰かが自宅のドアをノック、母がドアを開けると、そこには手紙を手にした郵便配達員が立っていた。お母さんは、どきっ!さあ、困った!・・・というのも、当時は、手紙は受取人が払うことになっており、その支払い金額も、距離や手紙の枚数によって異なるものの、約1シリング(現在の40ポンドほど)とかなりの高額。よって、郵便配達人が戸口に立つ姿は、多くの家庭にとって、あまり有り難いものではなかったのです。お父さんは仕事で家におらず、自宅に現金がなかったため、母はローランドに、いくつかの所持品を渡し、大急ぎで町の質屋へ使いに出し、ローランドが質屋から得た金を手に戻ると、それで支払いを済ませ、やっと手紙を入手。この経験が、幼いローランドの心に焼き付くこととなります。

長い間、ロイヤル・メイルとして、国家が独占してきた郵便事業。手紙を受け取る金額は、貧しい労働階級の家庭には、一週間の賃金の5分の1ほどにも当たる場合があり、受け取りたくても、受け取る金のない人も多々。貧しい女性がフィアンセの男性からの手紙に、そっとキスだけして、そのまま配達人に返すなどの逸話も残っています。また、金を持っていても、そんな高額を払いたくない場合には、秘密の暗号のようなものを手紙の外側に書き(まだ封筒というものが一般化されていなかったので)、開くことなく、受け手が意味を読み取れるような工作をしたり、その他にも、遠くに住む息子が中は空白の手紙を故郷の母に送り、母は、郵便配達人が握る手紙の筆記が息子の手によるものだと確認するだけで、息子が元気であるとわかり、支払いを拒否して手紙は受け取らない・・・などという話も出てくる始末。

一方、国会議員や権力者たちは、1年に何通かの無料の郵便を送る権利があり、外側に彼らのサインが載っている空白の手紙は、まるで金券のように他の人物に売られたり、または、知人の手紙を、自分の手紙に隠して送ったりと、特権を利用してずるをする人物もかなり多くいて問題となっていました。更には、距離と手紙の枚数に従って換算の必要があるという、ややこしい料金体制も、効率があがらない理由。

世界屈指の郵便通信網を持ちながら、実際の郵便事情がこんなに時代遅れでは、貧しい家庭の手紙のやり取りもさることながら、ビジネスにも差しさわりが出てくる・・・なんとか、もっと効率良い体制に変えられないものか・・・。

すでに、教育改革に貢献した後の、1835年、ローランド・ヒルは、この混とん状態をすっきりさせ、更に、貧しい家庭にとっては不平等である郵便料金支払い方法の改善を考え始めるのです。そして、1837年(ヴィクトリア女王が王座に着いた年)、「Post Office Reform, its Importance and Practicability」(郵便改革、その重要性と実行可能性)というパンフレットを発表。このパンフレットで、ローランド・ヒルとコンピューターの父とも称されるイギリスの数学者チャールズ・バベッジ(Charles Babbage)は、郵便局の経営にかかる費用のほとんどが、実際の郵送にかかる金額ではなく、収集と、目的地に着いてからの個人宅への配送にかかっている事に着目し、何らかの形で、送り手がプリぺをすることにより、経費が大幅に削減されると意見。また、ヒルは、配送の距離に関わらず、手紙の重さによって、もっと低価な、共通の料金を取る(半オンスにつき1ペニー、オンスは約28.3グラム)方法(Universal Penny Postage、全国共通ペ二-郵便)を提案。

話し合いは国会に持ち込まれ、反対を叫ぶ政治家も数ある中、喧々囂々議論の末、実業家、ビジネスマンたちを味方につけた改革派は勝利し、ローランド・ヒルは、2年間の契約で、この改革を推進する役割を引き受けるのです。

さて、送り手が、この均一郵便料金を払ったという証拠はどうすればいいのか、上記の通り、まだ封筒が一般化していない時代であったので、郵便局既定の手紙のシートを均一料金で売り、その使用を義務付けるという案もあったようですが、ついに、ローランド・ヒルは、もっと簡単で、瞬く間に、必要料金を払ったとわかる方法を思いつく・・・それが、切手。1ペニーで購入した小さな切手の裏をぺろりと舐め、手紙の外側に張り付けてそれで終わり。さて、そのデザインは、どうしよう、イギリス的でアイコニック、偽造しにくいイメージ、そうだ、女王の横顔!

その結果誕生した、世界初の郵便切手が、黒地に若きヴィクトリア女王の横顔を載せた、かの有名なペニー・ブラック。1840年5月にデヴューします。以前、初のクリスマスカードの誕生について書いた「クリスマスカード今昔」という記事にも言及した切手です。イギリスの切手は、こうして誕生時から現在に至るまで、君主の横顔を載せるものの、国名は一切書かれていない世界唯一の切手です。これが、初めて出回った時、女王陛下のバックサイド(backside:裏側という意味と共に、おしりという意味もあり)を舐めるというのが、可笑しいとか、エロっぽい、とかの意見も徘徊したようですが、このおかげで、手紙の量はうなぎのぼり。そして、一夜にして、不人気であったポストマン(郵便配達人)は、家族や友人からの便りを運んでくれる人気者となるのです。

それまでは、新聞広告で商品の宣伝をしていた会社なども、ダイレクトメールで、客に直接手紙で広告を送ったりするようになり、また、通信販売で購入を行った客は、切手で支払いをできるようになったりと、貧しい家庭より、本当に得したのはビジネスだったのではないかという話もありますが。非常に簡単でいながら、人々の生活を大きく変えた画期的なアイデアであったのです。

ペニー・ブラック導入後は、ポストマンが、ドアをたたいて、返事を待つ必要が無いようにと、各家庭のドアに、ごりごりと穴をあけるという作業も各地で進みます。重厚で立派なドアの屋敷の主には、なんで吾輩のドアにそんな穴をあけねばいかんのか、と憤る人もいたそうです。そして、投函と回収が楽になるようにと、あちらこちらの道端に、ピラー・ボックス(ポスト・ボックス)の建設も始まるわけです。

ローランド・ヒルは、1854年に郵便局の長となり、後の10年間郵便局に関わる役割を続けます。1860年には、郵便改革の功績を認められナイトの称号を受け、サー・ローランド・ヒルとなり。1879年に亡くなると、ウェストミンスター寺院へ埋葬。

エリザベス女王の横顔のファースト・クラス切手
さて、クリスマス・イブを明日に控え、投函が必要なクリスマスカードは、数日前に切手を貼ってピラー・ボックスに落とし、近所へのクリスマスカードも昨日、歩いて配り終わり、ほっと一息。イギリスの切手は、国内用のものは、名目上は翌日配送のファースト・クラスと3~5日かかるセカンド・クラスとで値段が違い、どれくらい急いでいるかで、ファーストかセカンドの切手を貼って出します。当然、重いもの、規定より大幅に大きいものを送る場合は、郵便局へ持っていって、基本の値段以上の切手を買って貼る事となりますが。

記念切手やクリスマス用のイラスト入り切手でない限り、切手には、大きな現エリザベス女王の横顔と、ファースト(1st)かセカンド(2nd)かが書かれています。数年前に、切手の値段が大幅に上がると聞いて、我が家は、ファースト・クラスの切手を大量購入し、今もこの同じものをちょこちょこ使っています。ファーストとだけ書かれ、値段が書かれてないので、何年間でも使い続けることができるのです。このファースト・クラス切手の大量購入は、今までうちのだんなが行った投資の中で、一番成功したんじゃないの、と時々冷やかしで言ったりしています。残るはあと50枚。さすがに、来年終わりには買い足すことになるでしょうか。

今日の昼前、裏庭のパティオをほうきではいている時、ポストマンが庭をのぞき込んで、クリスマス前最後の郵便物を手渡してくれました。小包ひとつとクリスマスカード2枚。うちの地域のポストマンは、記憶に残る限り、もうずーっと同じ人で、顔見知り。私の好きなコメディアンのヒュー・デニスに似ているので、私とだんなは、陰で彼の事をヒューと呼んでいます。時に、町の中心に歩いて買い物に行く途中に、彼を見かけると、遠くからでも手を振ったりしてくれます。本日も、ヒューは、郵便物を手渡してくれた後、「ハッピー・クリスマス!」を言って、手を振って去って行きました。ヒューが、「この郵便物、渡して欲しかったら、郵送料払え。」などと私に支払いを請求することもなく、お互いにハッピーな気持ちで手を振って別れられるのも、ローランド・ヒル氏のおかげですね。

イギリスのロイヤル・メールは、数年前に民営化され、その際、うちも、わずかながらも株を買ったので、がんばって事業を続けてほしいところです。インターネットでの伝達は便利でありながら、実際に、手紙やカードを郵便で受け取るというのは、うれしいものがありますし。ロンドンを訪れた際は、最近買う人が減っているという絵葉書を購入して、カフェでのんびり、便りをしたため、切手を貼って、日本の友達に投函するというレトロな事もしてみてください。ローランド・ヒル像のすぐわきにも、ポスト・ボックスがありますので。

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