バーミンガム大学

バーミンガム(Birmingham)は、ロンドンに次いで、イギリス第2の都市です。かなり前に、一度素通りしたきりで、実際に歩き回って観光をしたことはありません。ロンドンとバーミンガムを結ぶ、グランド・ユニオン運河を辿って、幾度か散歩したことがあり、「これをずーっと歩けば、やがてはバーミンガムに着くわけね」と漠然と思ったりはしましたが、「是非とも訪れないと!」と熱意に駆られることはありませんでした。産業革命の町であるため、「バーミンガムを走る運河の数はヴェニスより多い」などという事を人から聞かされたことはあります。ただし、その運河の見栄えと、絵になる度合いは、ヴェニスの方が何十倍も上でしょう。

だんなが、用事でバーミンガム大学に出かけることになり、それでは、私もと、ロンドンのユーストン駅からバーミンガム行きの電車に乗り込みました。ここからは、速い電車に乗れば1時間半。最初の方は、路線はグランド・ユニオン運河と並行に走り、数年前にハイキングに出かけたチルターン丘陵の、ひょっこりひょうたん島の様な姿が、電車の窓から望め。

バーミンガム大学自体は、バーミンガムの郊外、エジバストン(Edgbaston)にありますので、ぴかぴかのバーミンガム・ニュー・ストリート駅に降り立つと、すぐ乗り換え、2駅目。その名もユニバーシティー(University)駅。後は徒歩すぐ。

私は、以前、2年ほど、ヨーク大学のそばに住んでいたことがあります。最近、イギリスの大学は中国人学生が沢山で、特に、イギリスやヨーロッパの学生が実家に帰ってしまう夏休みの間、主に、故郷は帰るに遠すぎる中国人学生のみが、キャンパスに残され、夏のヨーク大学キャンパスは、チャイナタウンと化していたのです。バーミンガム大学も、同様に、夏休みであったため、やはり中国人学生が過半数の感じでした。まあ、この日は催しがあったので、大学関係者や学生以外も多く出入りしていましたが。

さて、バーミンガム大学は、イギリスの、いわゆる赤れんが大学群(Red Brick University)のうち、一番最初に大学としての地位を獲得。この赤れんが大学なるものは、全部で6つ。バーミンガム(1900年)、リヴァプール(1903年)、マンチェスター(1903年)、リーズ(1904年)、シェフィールド(1905年)そしてブリストル(1909年)。全て、当時のイギリスの産業都市に設立され、19世紀に設立された、科学技術系のカレッジが母体となっています。古のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学の由緒正しそうな石造りの建物と違い、赤れんがを大量に使用し、時代を反映した、役に立つ実践的学問の促進のための大学として始まったのでしょう。

バーミンガム大学の母体は、19世紀設立の、医学カレッジであったクィーンズ・カレッジ・バーミンガムと科学技術カレッジのメイソン・サイエンス・カレッジ。これが、1900年に、ヴィクトリア女王からの特許状(Royal Charter)を獲得して大学となり、この後すぐ、赤煉瓦をたっぷり使用した、一番最初のキャンパスの建設が開始されます。この当時に建てられたものは、かなり立派で、設立者たちの志が感じられるような建物。メインの建築家のアストン・ウェッブ(Aston Webb)は、ロンドンのバッキンガム宮殿の表側と、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)の建築家としても知られています。

当然、キャンパスは、過去100年でかなり拡大されており、新しい建物も沢山建設されています。

アストン・ウェッブ設計による建物群は、半円形の広場を囲むように建設されていますが、その中心にそそり立つのはやはり赤れんがの時計塔。この時計塔と半円広場を見た私の最初の印象は、「イタリアのシエナのカンポ広場みたい。」家に帰ってから調べてみると、大当たり~で、この時計塔は、シエナのカンポ広場の塔(Torre del Mangia)をモデルとしているのだそうです。バーミンガム大学の時計塔の名は、「ジョゼフ・チェンバレン記念時計塔」(Joseph Chamberlain Memorial Clock Tower)。ニックネームは、「オールド・ジョー」(Old Joe)。高さは約100メートルで、他の建物に付随していない独立した時計塔としては、世界で一番高いものであるという事。

ジョゼフ・チェンバレンは当時の政治家で、もともとはロンドンに生まれ、18歳にして、叔父が経営していたバーミンガムのネジ製造ビジネスに従事。その後、バーミンガム市長、更には、バーミンガム選挙区からの国会議員となります。第2次世界大戦が勃発した際のイギリス首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)は、彼の息子です。ジョゼフ・チェンバレンは、バーミンガム大学の設立を達成するのにも重要な役割を果たしたようで、主な創始者の一人と見られ、こうして、彼のための記念の時計塔も建設されるわけです。オールド・ジョーがシエナの塔をモデルとしたというのも、チェンバレンが、イタリアの町によくある、こうした塔を、こよなく愛していたというのが理由だとか。

さて、だんなが、古い赤煉瓦の建物の中で用を足している間に、私は、キャンパス内にある、評判のいい美術館、バーバー・インスティテュート・オブ・ファイン・アーツ(Barber Institute of Fine Arts)に足を運びました。当美術館については、次の記事へ

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