ジョー・コックスMP

ジョー・コックス(Jo Cox )が、自分の故郷でもあり選挙区(constituency)でもあった西ヨークシャーにある、バーストール(Birstall)で、銃で撃たれ、刺された後、命を落としたという、一昨日(2016年6月16日)の殺人事件は、さすがに衝撃でした。

EUから離脱するかどうかの国民投票が、あと1週間と迫り、労働党のジョー・コックスMP(メンバー・オブ・パーラメント、国会議員)は、精力的なリメイン(Remain、EU留まり)派でした。また、彼女は、シリアの難民援助に尽力していたという人であり、犯人が孤独なタイプの52歳の白人イギリス人というニュースを聞いた瞬間から、移民を嫌う熱狂的なEUリーブ(Leave、EU離脱)派の仕業ではないかと思ったのです。コックスMPが襲われた時、果敢に介入しようとした77歳の老人も、刺されて怪我をしたようですが、こちらは、命に関わりはないようです。

犯人トマス・メア―は、本日、法廷に立ち、名を聞かれた際に「俺の名は、謀反人に死を。英国に自由を、だ。」と返答。こんな参事をまきおこし、自分をスーパーヒーローか何かだと勘違いしている・・・。自宅の捜索などから、白人至上主義、ネオ・ナチ的極右のイデオロギーを持っていた証拠が見つかっているようで、リベラルな政治思想を持つMPを敵視していたのではないか、という事がわかってきている感じです。目撃者の証言によると、ジョー・コックスに襲い掛かったメアーは、「Britain first!」(英国優先!)または、「Put Britain first!」(英国を優先しろ!)と何回か叫んだという話です。彼が政治的意見を述べているのを聞いたことがないし、孤独な大人しいタイプでびっくり、というのが、近所の人たちの反応。孤独なタイプは、極端な世界観に影響されやすいのだと、テレビで言っていました。皮肉なことに、ジョー・コックスMPは、最近問題視されている、こうした孤独で、寂しい人たちの生活向上のためのキャンペーンなども行っていたというのです。

イギリスのMPたちは、国会議事堂での討論に出席する他、自分の選挙区の代表、その地区の住民と国会の橋渡しとして、地元の人たちの抱える問題などを聞いて援助をするという役割も果たし、選挙区において、定期的にサージャリ―(Surgery)というものを開き、MPに相談したい問題を抱えた人たちは、誰でも、このサージャリ―に出かけ、MPと話をできるというシステム。サージェリーとは、もともと外科手術などを意味する英語ですが、イギリスでは、医者の診察室の事もサージャリ―と称することから、ある人物と一対一の面談をする場所の事も、サージャリ―と称します。ジョー・コックスが殺害されたのも、彼女がいつもサージャリ―を開いていたバーストールの図書館の前。

友人同士ですら、意見の違いで仲たがいなどという事がありますから、感情が激するような物事に対して、自分と反対意見を持つMPを敵視する、というのは多々ある事でしょう。特に、イギリスのMPはこうしたサージャリ―などで、一般人と直接交わるので、反感から、こうした危害を加えたいという衝動にかられる人間には、機会は沢山あるのです。実際のところ、殺したい、という衝動にまでエスカレートする事は少ないでしょうが。ある意味、イギリスの政治家は、非常に、勇気と毛が生えた心臓を必要とする職業であると、今更ながら思うのです。

この事件を機に、MPのサージャリ―のあり方と、MPの護衛にもスポットライトが当たっています。2010年に、東ロンドンのサージャリ―で、22歳の女学生にナイフで腹部をさされ、重傷を負ったスティーブン・ティムズ(Stephen Timms)氏が、ジョー・コックス殺害事件後、護衛の強化についてインタヴューされていましたが、「自分が刺されたのち、警察から、サージャリ―の入り口に、金属製のものを感知するゲイトを設置しようか、などと言われたが、そんな事をしたら、一般の人が入ってきにくい気分になる。一般人とMPとの距離が遠くなるような事、イギリス民主主義の妨げになる様な事はしたくない。」というような意見で、たいしたものだなと感銘を受けました。最近、なにかと、目の敵にされる政治家ですが、毎日、目に見えないところで、果敢に、社会向上のためにがんばっているMPも数多くいるのです。ソーシャルメディアなども盛んな昨今、インターネット上での脅迫を受けるMPも多いとかで、実際、ジョー・コックスも、インターネット上で嫌がらせをしていた人物に関して、事件前に、警察に通報していたそうなのです。もっとも、犯人は、それとは別人であったのですが。

ジョー・コックスMPは、ニュースを聞けば聞くほど、無くして非常に残念な政治家だと感じています。さほど裕福でない家庭の出身で、公立の選別公であるグラマースクールを経て、ケンブリッジ大学に入学。MPとなったのは、2015年5月と、まだ約1年。それ以前は、慈善団体オックスファムで働いた経歴もあり、当時から、戦争に巻き込まれた難民救済と援助は、彼女の大きな目的であったようです。キャリア政治家と称され、良いおうちに生まれ、他に一切別の仕事をした事が無く、ただ単に、名誉のために政治家という職業を選ぶ人物が増えていると言われる中、実際に社会経験があり、社会と世界を良くしたい、という気持ちから、政治を選んだ人のようです。わずか1年の間に、シリア内戦の解決とシリア難民の救済援助を目的とする国会内での政党を超えたグループも設立。選挙区のMPとしても、サージャリ―にやってくる住民の援助にも余念なく、彼女に助けられたばかりという住民も、良い人だった、とインタヴューで声をつまらせていました。国会の初のスピーチでも、自分はヨークシャー出身であることを誇りにしている、故郷を代表する議員となれて光栄だ、のような事を述べていましたし。

41歳と、まだ若く、小さな子供が2人。気の毒です。ご主人も慈善関係で働いている人のようで、ロンドン内では、テムズ川に停泊したボートハウスに住み、ちゃりで国会へ通っていたそうです。こんな精力的で、善意にあふれた女性の人生が、自分の人生の失敗の原因を、他人や他の物事のせいにし、挙句の果てには、こういう破壊的行為に出て達成感にひたるタイプの人間に短くされてしまって。なんともはや。

一時的に、EU国民投票の、リメイン派、リーブ派、双方のキャンペーン活動は停止されていますが、事件に至る以前、リーブ派は、多くの国民、特に労働階級層の心に潜む、移民の数の急騰に対する恐怖を煽り、人種間の緊張と嫌悪を悪化させるような言葉を使用した、米のドナルド・トランプ的キャンペーンを行っており、これが引き金になったとしてもおかしくない気がします。政治生命と将来の首相の座を見込んで、博打をかけるかのように、リーブ派のキャンペーンを進める、元ロンドン市長ボリス・ジョンソンは、見た目もちょっとドナルド・トランプ風ですし。EU移民への敵対心は、どんなにリメイン派が、EU離脱による経済的打撃をうたっても、効き目が無いほどに、リーブ派を優位に推し進めている感がありました。

たしかに、制限のない移民の数の上昇というのは、それはそれで問題ではありますので、リメイン派のデイヴィッド・キャメロン首相も、東欧からの移民の数の制限に関して、積極的対策に乗り出すか、もっとEU側に強く迫るかすれば良かったものの、そういった一般人の懸念を全く無視して、移民問題にはほとんど言及せず、離脱したら経済がいかに危ういこととなるかのみに焦点を絞ったキャンペーンぶりでしたから。また、リメインを指示する人間たちが、ロンドン中心の社会のエリートで、移民によって賃金が下がったり、家賃が上がったりしている社会の下部の人間の大変さがわかっていない、と見られているのもリメイン派には痛いところでしょう。今後、来週の投票当日まで、どういった展開になるのか。

ジョー・コックスが殺されたバーストール(Birstall)のマーケット広場に立つのは、近郊出身のサイエンティストで、酸素の発見炭酸水の発明に貢献したジョセフ・プリーストリー(Joseph Priestley)の像。上の写真は、geograph.org.ukから拝借。像の周りは、現在、ジョー・コックスMPに捧げる花束で埋められています。

参考までに、過去、イギリスで殺傷されたMPに関するガーディアン紙の記事がありましたので、リンクをつけておきます
https://www.theguardian.com/uk-news/2016/jun/16/jo-cox-attack-latest-serious-assault-mps

それほど数は多くはないのですが、イギリスの開放的な民主主義制の下では、こうしてMPが襲われる可能性は高いのは事実。過去、殺害されたのは、すべてアイルランド、北アイルランド問題に関わる、IRAによるものです。マーガレット・サッチャーが保守党党首となった後に、彼女の野党内閣のノーザン・アイルランド大臣を務めたエアリー・ニーブの乗った車に仕掛けられた爆弾が爆破する場面、また、ブライトンでの保守党総会で、マーガレット・サッチャー及び、保守党MPが宿泊していたホテルが爆破される場面は、映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」にも出てきたと記憶しています。

上述の通り、2010年にナイフで刺され重傷を負ったスティーブン・ティムズMPを襲ったのは、彼がかつて、イラク戦争を支持したことに怒りを覚えた熱狂的女学生ということです。

コメント