アラビアのロレンスの墓を訪ねて

イギリスの緑の田舎道をオートバイで走る男性。いきなり、その前方に現れた2人のサイクリスト。オートバイの男性はそれを避けようと、道をはずれ、転倒。彼が身につけていたゴーグルは、衝撃で飛ばされ、近くの藪の木の枝にひっかかり、空を背景に揺れる・・・映画「アラビアのロレンス」(Lawrence of Arabia)のオープニング・シーンです。

トーマス・エドワード・ロレンス(T E Lawrence、1888-1935年)・・・第一次世界大戦中、中東戦略の一環として、オスマン帝国を相手取っての、アラブ反乱に一役買った、アラビアのロレンスの異名で知られる彼が、オートバイ事故で命を落としたのは、まだ、46歳の時。イギリス空軍を去って2週間、ドーセット州の小さなコテージ、クラウズ・ヒル(Clounds Hill)に落ち着いて、引退生活を始めたばかり。この日も、愛するオートバイにまたがり、クラウズ・ヒル近郊の道を滑走中、この事故に合うのです。オートバイのハンドルを越えて転倒し、頭部を打撃。6日後、1935年5月19日、帰らぬ人となるのです。彼の死は、イギリス国内のみでなく、海外でも報道され。

この際に、ロレンスを診た医師の1人、死後の解剖を行った脳外科医、ヒュー・ケアレン医師は、脳へのダメージの大きさから、仮に、ロレンスが一命を取りとめていても、視覚と喋る能力を失って一生過ごす事になっただろうという結果を出したそうです。ロレンスの事故死がきっかけとなったか、この後、ケアレン医師は、ヘルメットを被る事により、オートバイ事故での頭部への障害、死亡率を下げることができるのでは、と統計を集め、その結果を発表し、ヘルメット着用を推進するキャンペーンを行います。実際に、ヘルメット着用が法で義務づけられるのは、1973年と、医師が亡くなってから20年近く経っていますが、それまでの間に徐々に、自発的にヘルメット着用をするモータリストも増えて行き、現在、オートバイ事故での死亡率は、ロレンスの時代に比べて、車の数が急増しているにもかかわらず、ずっと低くなっています。

T E ロレンスの記念碑は、ロンドンのセント・ポール寺院内にもありますが、彼の墓があるのは、ドーセット州の小さな村モートン(Moreton)。ここにたどり着いた時、ツアー風のバスが、道端に2台止まっているのが目に入りました。これは、混んでいるのかな、と思いながら、まず、彼の葬儀が行われたモートンのセント・ニコラス教会に足を運びました。ところが、内部に人は1人もおらず。

外見は、なんだかズドーンとしている教会ですが、中が、すばらしい。ステンドグラスが有名なのだそうで、普通の教会より、オープンで明るい感じがするのです。T E ロレンスの葬儀には、友人であったという、ウィンストン・チャーチルも、はるばる足を運んだようです。まだ、第2次世界大戦前の話で、チャーチルは、世界状況が緊張していく中、ロレンスには、引退から足を洗い、重要な役割を果たして欲しかったのに、貴重な人物を亡くしてしまった・・・のような事を語ったそうです。

墓地は、教会から道を隔てて少し歩いたところにあります。墓地にも人っ子一人いない・・・。ツアーバスの人たちはどこへ行ったのか・・・。

再び、道路へ出ると、ツアーバスは姿を消していました。ガイドブックによると、近くにロレンスの写真やメモラビリアを飾ったティールームがある、と書いてあったので、今度は、この内部をちらっと覗きました。おそらく、ツアー御一行は、教会、墓を見た後、ここでお茶して帰ったのでしょう。時計の針は3時半。私たちは、ここから更に、作家トーマス・ハーディーの生家へ向かい、閉館の5時前に、たどり着き、内部見学をしたかったので、このティールームでお茶はせず、アイスクリームだけ買い、中を一周見て歩き、車へ戻りました。

ロレンスのお墓の前に少々雑草が生えていたのが気になって、これも時間があれば、腕まくりして、周辺の草をすべてむしっていってあげたのですが・・・。ちょっと心残りになっています。

そういえば、数年前に、久しぶりに、映画の「アラビアのロレンス」を見直し、「やっぱり、いいな~。名作だな。」と感動した後、映画の土台になったという、T E ロレンス著の「Seven Pillars of Wisdom」(知恵の七柱)を読もうと思い立ち、キンドルにダウンロードしたはいいが、そのままになっているを思い出しました。そのうちに、読破!・・・できるといいですが。

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