007 スペクター

007の新作公開は、いつも一大イベントの感があります。今回の「007 スペクター」(Spectre)も、前作の「スカイフォール」同様、イギリスでの公開は、学校の秋の中休み(ハーフ・ターム)の開始に会わせ、10月の終わりでしたが、その1ヶ月くらい前から、少しずつ、「新作が出るぞ」と話題になり、それでいながら、出し惜しみするように、映画の内容やストーリー、映画からのビデオはほとんど見せずに、露出度を低めた上手な宣伝。日本やドイツなどとは違い、製造業がぱっとしないイギリスにとって、映画や音楽のメディア系は、非常に大切なマネースピナーなのです。特に007はね。外貨も沢山稼いでくれる事でしょう。

サム・スミスのテーマ曲「Writing's on the wall」も映画に先立ち発表され、イギリスでは、チャートの1位を達成していました。ついでながら、「Writing's on the wall」(壁に書かれた文字)というフレーズは、旧約聖書が出典で、「予言が壁に書かれる=変えられない運命、予告された通り絶対に起こる事」の意味でよく使用される慣用句です。

3年ぶりの新作、やっぱり、映画館で見なきゃ、と、私たちも、ちょいとほとぼりが冷めかけた11月中旬に入ってから見に行きました。ガッカリする事無く、途中、飽きる事無く、大迫力で、満足でした。

あらすじ(まだ見ておらず、知りたくない人は飛ばして下さい)

映画のオープニング・シーンは、メキシコ・シティーの「死者の日」(Day of the Dead)の祭り。「死者の日」は、かなり大昔から祝われていたようですが、現在はカソリックのキリスト教の祭りとして定着しているという事で、万聖節(諸聖人の日)の前夜(10月31日)から、11月1日,2日に祝われています。ハロウィーンと時期を同じくし、この映画の、イギリス公開時期にはぴったり。多くのどくろのマスクをつけた人々が行きかう通りと広場。ここに何故か、ボンドが潜入しており、マルコ・スキアーラなる人物を暗殺しようとし失敗、賑わう通りを追跡し、ついには、混みあった広場上空に舞うヘリコプター内での一大バトル。無事にスキアーラをヘリから叩き落とし、そのままヘリを操縦して脱出。ボンドが手にするのは、スキアーラが身につけていた、タコのようなデザインが刻まれている指輪。

ここで、サム・スミスが超高い声で歌うテーマ曲流れ、背景をタコがくねくね足をくねらせるタイトルへ。時にダニエル・クレイグの007の過去の作品に登場した人物たちの顔が浮かんでは消え。曲は、賛否両論あったようですが、私は、結構気に入って、アデルの「スカイフォール」よりもいいんじゃないかなどと思いますが。ちょっとボンドのメローな面を歌ったようなラブソング風な歌詞です。それにしても、サム・スミスという名前、歌手の名にしては、あまりにも普通すぎて、それが、逆に可笑しく、印象深かったりします。おっと、筋からはずれた・・・。

このボンドのメキシコ・シティーでの大暴れは、MI6も上司のMも、全く知らなかった、ボンドの単独行動であったため、ロンドンで論議をかもしだす。折りしも、スパイを使ってのインテリジェンス収集は、もう古い、これからはテクノロジーを生かしての諜報活動に集中すべきとの意見を、大幅に推し進めるC(アンドリュー・スコット)に、益々、00部門を閉鎖する理由を与える結果に。Cは、MI5とMI6を合体させ、ありとあらゆる場所で、市民の言動を隈なく監視する、国際サーベイランス機関を作成する計画を進めていた。

ボンドの単独行動の理由は、「スカイフォール」での事件で命を落としたジュディ・デンチ演ずる前Mが、ボンドに宛てて、後に残したビデオ・メッセージの指示「マルコ・スキアーラという人物を探し暗殺し、彼の葬儀へ出向くこと」によるもの。この後、ボンドは、しばらく、なりを潜めろという、現Mの命令に逆らい、Qとマネーペニーから、多少の手助けを受けながらも、単独で、ローマのスキアーラの葬儀へと出かけ、徐々に、過去の全ての事件の背後にある組織「スペクター」の存在とそれを動かす人物の真相に近づくわけです。ちなみに、スペクター(spectre)という言葉の意味ですが、英和辞典では、「亡霊」などと訳されています。かつては、一部キリスト教において、魔女などが、自分のいる場所と違う所で、色々な悪を引き起こす力を指した言葉としても用いられたようですので、「悪の超現象的力」「黒魔術」とでも言ったところでしょうか。

この「スペクター」を操る人物は、実は、幼いボンドが、孤児となった後、引き取ってくれた男性の実の息子フランツ・オーペルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)という設定。ですから、短期間、血がつながらない兄弟として過ごしたわけで、彼は、自分よりも、もらい子のジェームスを可愛がる父親に怒りを覚え、雪崩で死んだと見せかけ、父親を殺し、自分もそれで命を失ったと死を偽る。その後、ジェームスとは反対に悪の大御所となったオーペルハウザーは、ジェームスへも復讐を誓い、過去、ボンドが大切とする人物を次々と殺害していったというもの。ですから、昔々に、すでに「壁に書かれた文字」のように、決められた運命であったのじゃ、という事になるのでしょう。

スペクターは、アフリカの砂漠の真ん中に、巨大情報収集基地を設けて、世界各国いたるところから、ありとあらゆる情報を収集し、世界制覇を狙っている。そして、ロンドンの新しいCも、実は、オーペルハウザーのお友達で、イギリスもスペクターの支配下に置こうとするもの。国際サーベイランス機関を設立するのに反対の国々の意見を、徐々に賛成意見に曲げるため、スペクターは、世界各国でテロ事件を起こし、怯えた各国は、テロを抑える手段として、徐々に国際サーベイランスに賛成していく。Cを演じるのが、テレビの「シャーロック」で、モリアーティ教授役をやっているアンドリュー・スコットとあって、最初からうさんくさい感じはしたのですけど、やっぱり、悪役でした。

スペクターの基地にいるボンドを、Qとマネーペニーは、Mを説得して助けようとするものの、自分たちの行動すら隈なく監視されていると気づいたMは、何の行動も無意味であると、行動を起こせない。にもかかわらず、ボンドは、元のスペクターのメンバーであったミスター・ホワイトの娘、マドレーヌ・スワンと共に、窮地を脱出しロンドンへ戻る。そして、Mとビル・タナー、Q、マネーペニーと共に、Cによる新しいシステムが試行になるのを阻止しようという、夜のテムズ川沿いのクライマックスに至るのです。

最初から分かっている事ではありますが、ボンドとMI6の常連は、無事、悪を阻止して、イギリスの民主主義は無事存在を続ける、めでたし、めでたし。そして、かなり年違いそうですけど、マドレーヌと相思相愛となったボンドは、彼女と共に、アストンマーチンに乗って、どこかへ旅立っていく。

テーマ曲のヤマの部分の歌詞を書いて訳してみると、

How do I live? How do I breathe?
When you are not here, I'm suffocating.
I want to feel love, running through my blood
Tell me is this where I give it all up?
For you I have to risk it all
'Cause the writing's on the wall.

どうやって生きればいいのか?どうやって息をすればいいのか?
お前がここにいないと、窒息しそうだというのに。
愛が、体の中を血と共に流れるのを感じていたい。
教えてくれ、これが、走るのを止める時なのか。
お前のために、すべてをかけるしかない。
運命は壁に書かれているのだから。

かっこいいですね~。ハードボイルドな男性に、こんな事言われたら、氷の美女でも、溶けて、よろめきますわな。ダニエル・クレイグも、そろそろ007引退でしょうか。愛する女性との幸せな未来を予想させるエンディングで。大体ボンド映画作成には、2,3年かかるようですので、次作にも出るとなると、彼も、50歳過ぎてしまいますから、今の翳りある渋いかっこよさも、ボロボロの疲れたおじさん風になる危険性はあります。本当に危ないスタントは、当然プロのスタントマンを使うのでしょうが、それでも、撮影中、打ち身、切り傷擦り傷の類の小さな怪我はするようですし。

うちのだんなは、今回の筋は、ダニエル・クレイグがボンドになってからの過去の作品や登場人物への言及や関係が多すぎると、ちょっと文句を言っていましたが。確かに、前の作品見ていない人は、見てから行った方がわかりやすいです。

いつも、悪役は、007を捕まえた後、即効で処分してしまわず、「よく、わざわざこんなもん、考え付くよな」と感心するような、色々なガジェットが付いている椅子などに縛り付けたりして、じわじわ殺そうとするのですよね。この間、ボンドは、何とか逃げる手段を考え出して、危機一発で脱出するわけですが。今回もそう。オーペルハウザーは、ボンドを、頭に小さな穴を開けるドリルがじりじりと回りながら出てくる椅子に縛り付けるのです。「ああ、また、このパターンか」などと思いながらも、どうやって逃げるか、と結構はらはらしながら見てしまうものです。

メキシコ・シティーのヘリでのアクションも迫力ありましたが、テヴェレ川沿いも走る、ローマでのカーチェースもなかなかでした。その後、オーストリアのアルプスの雪景色、さらには、アフリカのの砂漠の中を走る電車の風景など、映画代だけで、世界観光を楽しめます。クライマックスは、MI6の建物が全壊し、オーぺルハウザーの乗るヘリが、国会議事堂に激突しそうになる、ロンドンテムズ川沿いのシーン。前作で、一部爆破して、ぼろっとしていたMI6の建物が、今回、完璧に吹き飛ばされてしまったのを見た後、家に帰ってから、夜のニュースで、MI6の建物を背景にした報道が入り、だんなと、「まだ、ちゃんと立ってる!あの映画、嘘つき!」と大笑いになりました。また、Mが食事をしていたレストランに、だんなが、今まで行った中で一番美味かったと、気に入っている、ロンドンで一番古いレストラン、ルールズ(Rules)が使われており、その場が出てくると、「あ、ルールズじゃん、ここ!」と、喜んで私にむかって小声で話しかけてきました。

私、ベン・ウィッショー演じる、お宅ぼくちゃん風のQ、気に入っています。ボンドに秘密で頼まれ事をしながら、それが上部にばれて、首になるのを恐れて曰く、「僕には、家のローンもあるし、養わなければならない2匹の猫がいる。」これには、微笑んでしまいました。駆け出しの国家公務員の給料は、それほど高くないんでしょう。それに、現在のロンドン不動産の高値を考えると、Qの給料で(特にだじゃれを意図していません)、ロンドン内でまともな家やアパートが買えるかには、疑問がありますが。マネーペニーなども、結構良さそうなロンドンのアパートに住んでるんですが、現実では、彼女くらいの年なら、もっと家賃安そうなところに住んでると思います。まあ、作り話なので、こんな事で文句言っても仕方ないですが。

「スカイフォール」では、ボンドがビールを飲むのがイメージと違う、と一部不満の声があがっていましたが、今回は、ちゃんとバーで、マティーニを注文します。「Shaken, not stirred. シェイクして、かき混ぜないでくれ。」とお定まりの台詞で。アルコールをほとんど飲まない私には、マティーニをかき混ぜちゃいけない理由と言うのはわかりません。もっとも、これを注文したバーは、アルプスの山の中のヘルス・スパであったため、「アルコールは出しません」てな、オチがあり、代わりにQが、妙などす黒い色をした健康ドリンクのような代物を注文するのですが。

サーベイランス・ソサエティー(監視社会)という言葉がありますが、ロンドンは、すでに監視カメラが非常に多い町です。テロの危険性が高まるにつれ、その防止策の一環として、昨今では、全国民のメール、携帯のテキスト内容、そして、個人がインターネットでどのサイトを訪れたかなどを、政府が監視できるようにする、という方針も、喧々囂々で討論されています。ですから、この映画、とてもタイムリーではあるのです。

個人の言論の自由を尊重する民主主義社会を守るというタテマエで、政府が市民の一挙一動を監視する、という個人の自由とプライバシーに踏み込む行動をしてもいいものか、というジレンマ。国民は、どこまで、政府を信用できるのか、下手をすると、ずっと政権に着いていたい独裁者が現れ、政権に多少の反対を示す人物の言動を監視し、少しでも疑いがあると、身柄拘束・・・などという事につながる危険性はないのか。不安と懐疑を基盤として、意見を言う事ができなくなる社会になりはしないのか・・・と。それこそ、ジョージ・オーウェルの「1984年」のビッグ・ブラザーの世界。思考の統制を受け、ちょっとはずれた事を夢見たり、考えたりしただけで、ルーム101送りとなりますから。シュタージが存在した東ドイツの事なども頭に浮かびます。これをテーマにした、「善き人のためのソナタ」というドイツ映画もありましたね、そういえば。先週起こったばかりのパリでのテロ事件。いつどこで何が起こるかわからない、不穏なヨーロッパで、サーベイランスの是非をめぐっての議論は、益々、頻繁に戦わされています。

こんな時勢にわざわざ、こういった映画見に行くか・・・というのもありますが、不穏な世の中だから余計、人はヒーローを求めるのかもしれません。自分の身を張って、世界を守ってくれていている昔気質の、こんなヒーローがいたらな・・・と。勇敢な人間というものに対する憧れもありますし。そして、どんな爆発や襲撃を受けても、はらはらどきどきさせられながらも、007は絶対死なないで、最後は必ず丸く収まる。最終的には、そういう安心感が底辺にはあるので、楽しめるアクション映画なのでしょう。

原題:Spectre
監督:Sam Mendes
2015年

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