クィーン
ヘレン・ミレンがエリザベス2世を演じるこの映画は、トニー・ブレアが首相となった、1997年5月に始まり、同年夏のダイアナ妃のパリでの事故死、その葬式と、王室の対応を描いたものです。
総選挙で、ジョン・メージャー率いる保守党をやぶり、大勝利をおさめた、労働党党首トニー・ブレア(マイケル・シーン)。正式に首相と名乗るのは、形式上、国家の長である女王を、バッキンガム宮殿に訪問する「kissing hands」という儀式の後となります。宮殿に着いて女王に合う前は、ミスター・ブレア、女王と会見後、女王陛下の首相として認められ、宮殿を去る際には、ブレア首相と変身するわけです。映画内でも似たようなセリフが出てきますが、トニー・ブレアの自伝によると、この際、女王いわく、「あなたは私の10番目の首相よ。私の最初の首相はウィンストン(チャーチル)。あなたがまだ生まれる前の話だけれど。」
その夏のダイアナ妃の事故死に、国民は、半ヒステリーとしか思えないような嘆きぶりを示し、スコットランドにある、王室の屋敷バルモラルに引きこもったままで、特別な対処をするわけでもない女王に、その怒りが向けられる。何事にも動じず、感情を赤裸々に表す事を良しとせず、黙々と任務を果たす、昔のイギリス人気質に慣れていた女王は、この変わっていく国民性に当惑を見せ。
事態への、国民と王室との反応のギャップを埋めるべく、調停に奔走するブレアの助言を、徐々に、聞き入れ始め、女王は、今までの姿勢を曲げ、バルモラルから、予定よりはやく、ロンドンへ戻り、バッキンガム宮殿の旗をハーフマスト(半旗)にし、国民のためのダイアナに関する特別のメッセージを録画しと、柔軟姿勢を見せて、危機を乗り越える。
大体、ダイアナ事故死の後、やれ女王の態度が冷たいだのと大騒ぎしたのは、タブロイド(芸能週刊誌に毛が生えたような新聞)の読者がほとんどで、ダイアナ妃生存時代は、そのスクープを毎日の様に読んでは喜んでいた人たち。タブロイド紙と、その読者達が、女王は、バッキンガム宮殿の旗を、ダイアナへの弔意を示すため、半旗にするべきだ、とのキャンペーンを始めたときに、トニー・ブレアが、映画でもらすセリフは、
Will someone please save these people from themselves!
*要は、こんなくだらない事に時間とエネルギーを燃やすような馬鹿なやつら、どうにかしてくれよ、俺は他にやる事沢山あるんだよ~、と言った感じでしょうか。人口の大半がタブロイド紙を愛読する国の首相は、こういう時、うんざりする気持ちはわかります。
At the end of the day, all Labour Prime Ministers go gaga for the Queen.
総選挙で、ジョン・メージャー率いる保守党をやぶり、大勝利をおさめた、労働党党首トニー・ブレア(マイケル・シーン)。正式に首相と名乗るのは、形式上、国家の長である女王を、バッキンガム宮殿に訪問する「kissing hands」という儀式の後となります。宮殿に着いて女王に合う前は、ミスター・ブレア、女王と会見後、女王陛下の首相として認められ、宮殿を去る際には、ブレア首相と変身するわけです。映画内でも似たようなセリフが出てきますが、トニー・ブレアの自伝によると、この際、女王いわく、「あなたは私の10番目の首相よ。私の最初の首相はウィンストン(チャーチル)。あなたがまだ生まれる前の話だけれど。」
その夏のダイアナ妃の事故死に、国民は、半ヒステリーとしか思えないような嘆きぶりを示し、スコットランドにある、王室の屋敷バルモラルに引きこもったままで、特別な対処をするわけでもない女王に、その怒りが向けられる。何事にも動じず、感情を赤裸々に表す事を良しとせず、黙々と任務を果たす、昔のイギリス人気質に慣れていた女王は、この変わっていく国民性に当惑を見せ。
事態への、国民と王室との反応のギャップを埋めるべく、調停に奔走するブレアの助言を、徐々に、聞き入れ始め、女王は、今までの姿勢を曲げ、バルモラルから、予定よりはやく、ロンドンへ戻り、バッキンガム宮殿の旗をハーフマスト(半旗)にし、国民のためのダイアナに関する特別のメッセージを録画しと、柔軟姿勢を見せて、危機を乗り越える。
大体、ダイアナ事故死の後、やれ女王の態度が冷たいだのと大騒ぎしたのは、タブロイド(芸能週刊誌に毛が生えたような新聞)の読者がほとんどで、ダイアナ妃生存時代は、そのスクープを毎日の様に読んでは喜んでいた人たち。タブロイド紙と、その読者達が、女王は、バッキンガム宮殿の旗を、ダイアナへの弔意を示すため、半旗にするべきだ、とのキャンペーンを始めたときに、トニー・ブレアが、映画でもらすセリフは、
Will someone please save these people from themselves!
誰か、この連中を、(自分達の愚かさから)救ってやってくれ!
*要は、こんなくだらない事に時間とエネルギーを燃やすような馬鹿なやつら、どうにかしてくれよ、俺は他にやる事沢山あるんだよ~、と言った感じでしょうか。人口の大半がタブロイド紙を愛読する国の首相は、こういう時、うんざりする気持ちはわかります。
トニー・ブレアよりも、思考的に、更に左寄りだと言われていた、奥さんのシェリー・ブレアのセリフには、彼女がいささか、共和主義的傾向があるような内容のものが含まれていました。必死になって、女王を助けようとするブレアを、ふざけて、「王室の救い主」と呼んだり、また、保守党よりは、王室に対して懐疑的であるはずの労働党であるのに、段々、女王の威厳ある態度に尊敬の念を示し始めた夫にむかい、
At the end of the day, all Labour Prime Ministers go gaga for the Queen.
最終的には、労働党の首相も(あなたみたいに)、必ず、女王に夢中になっちゃうのよね。
ダイアナの死の当時、私は、ノッティングヒルの小さなボロアパートに住んでおり、この日は、何故か、朝、ラジオもつけず、テレビもつけず、のんびりした朝食の後に、さてケンジントン・ガーデンズにでも散歩を、と外へ出たのです。店主がダイアナのファンで、店内には彼女の写真がいっぱい飾ってあるカフェ・ダイアナの前を通りかかると、店の窓に、大きなダイアナの写真がはられていました。その写真の下に、「ダイアナ妃のご冥福をお祈りします」のような事がかかれているのが目に入り、突然の事に、思わず背中の毛が逆立ったのを覚えています。そういえば、途中、花束を抱えて、ケンジントン・ガーデンズ方向へ歩く女性を2,3見かけたのです。そこで、私も、その足で、ケンジントン宮殿へ。周辺にはすでに、花束の山と人ごみができ始めていました。「これは、本当だ」と、家へ戻ってからテレビのニュースで詳細を見た次第です。その後、しばらくケンジントン宮殿周辺は、置かれた花束で、むせかえるような花の香りがしたのを覚えています。
JFK暗殺の時と同じで、ダイアナ死亡のニュースを聞いたときも、人は、どこで何をしていたか覚えているなどと言われますが、以上が、私の、ダイアナ・モーメントです。前夜、飲んで遊んで、早朝のタクシーをつかまえた時に、タクシーの運ちゃんから、入りたてほやほやニュースを聞いて知った、という人もいました。
原題:The Queen
監督:Stephen Frears
言語:英語
2006年
さて、今から、60年前の今日、2月6日は、エリザベス2世が女王となった日です。今年は、ダイヤモンドジュビリーと呼ばれる、女王在位60年の記念の年。ダイアナ事故死直後、かなり傾いたた感のあった王室人気も、いまは、すっかり元へもどっているようです。イギリス王室と女王のサバイバル能力、たいしたものです。
原題:The Queen
監督:Stephen Frears
言語:英語
2006年
コメント
コメントを投稿