ライフ・オブ・ブライアン

モンティ・パイソンの映画、ライフ・オブ・ブライアンは、うちのだんなによると、公開当時、「キリスト教をこけにした」と、一部の怒りを買い、イギリス内では全面公開禁止は無かったものの、場所によって、放映禁止を取った地方自治体もあったそうです。また、アイルランドを初め、幾つかの国では、しばらく公開禁止。

イエス・キリストと同じ日に、マリア様がキリストを生んだすぐ側の納屋で生まれたブライアン。星に導かれ、救いの御子を一目見ようとやって来た東方の三賢者達は、このブライアンをイエスと間違え、其々持ってきた贈り物を、マリア様とは程遠いがめつい母親に手渡すのですが、即、間違いに気づき、贈り物を取り返し、本物のイエスのいる納屋へ。こうして始まるフライアンの生涯。

青年になったブライアンは、ユダヤの地がローマに支配される事に反対するゲリラ・グループのひとつに参加。こういった反ローマのゲリラグループは多々あるものの、一致団結してローマを追い出すことよりも、グループ間で、くだらぬ事での小競り合いにエネルギーを費やすため、まったく、埒が明かない。また、それぞれのグループの活動も、子供のいたずらの様な事ばかり。やがて、ゲリラ活動参加中に、ローマ軍に追われ、民衆に演説をぶつふりをして追っ手を逃れるうち、今度は、聴衆たちに、「救いの御子」だと勘違いされ、多くの信棒者を集めてしまう。全くもって、意味の深い演説をぶったわけでも何でもないのに。やがて、ローマ軍に捕まったブライアンは、他の罪人達と共に十字架にかけられてしまうのです。こうして、イエスと間違えられて始まった人生が、イエスと間違えられて終わる・・・。

当然ストーリーはおとぼけ放題、ナンセンスなギャグで綴られていきます。メンバーは、一人何役も、違う役で登場。

キリスト教信者たちを一番怒らせたのは、ラストの十字架のシーンで、十字架にかけられた者たちが、皆で、「Always Look On The Bright Side of The Life」を口笛し、合唱するところだったようです。

いつも人生の明るい面を見ていこう・・・

と陽気に歌う様子が、キリストの苦しみを馬鹿にしていると映ったようです。歌自体は、メロディーも歌詞も、いつ聞いても、なかなか元気が出るものなのですが。すぐに怒ってしまうタイプのクリスチャンは、やはり見るのはやめた方がいい映画ではあります。ただ、こうしたジョークを、自分への個人攻撃と取って、怒らず、一緒に笑い飛ばせる、というのは、人格のできている証拠であり、逆の意味で、キリスト教的寛容な人間、という気はします。

ユダヤ属州総督のピラトゥスが、Rの発音が上手くできずに、W風になってしまう、という設定でした。こういう人、わりといるようで、イギリスの有名コメディアン、ジョナサン・ロスなども、RがWになってしまう人のひとりです。日本人の私は、RもWもひどい発音で、人の事は笑えない身ではありますが。ピラトゥスの友人の名が、ビガス・ディカス(英語のビッグ・ディックを、ふざけてラテン語風にしたもの。意味はご想像にお任せします。)というのも可笑しかった。ピラトゥスが、この友人の名を言及するたびに、周りに立っている兵士達は、まじめな顔をしておれず、噴出して笑い出してしまうのです。

また、ブライアンが、ゲリラ活動に加わって初めて行う任務は、塀に、ラテン語で「ローマよ、帰れ!」と落書をする・・・というものでした。これを書いている最中に、ブライアンは、ローマ兵に見つかり、どんな処分を受けるかとびくびくするところ、このローマ兵は、ブライアンのラテンの文法がなっていない、と怒り出す。そして、ラテン語の先生よろしく、「この動詞の活用をしてみろ」、「命令形だとどうなるんだ」、とブライアンに、正しいラテン語で落書をさせ、その正しい文章を、巨大な壁一面に何度も書くよう命令する。モンティ・パイソンのメンバーは、ほぼ全員、私立校(パブリックスクール)か公立の選別校のグラマースクールを出て、大学はオックスフォードかケンブリッジですので、学校時代、ラテン語をやらされ、このローマ兵の様な先生から、黒板一面にラテン語を書かされる経験など、実際にしたのかもしれません。

政治諧謔、宗教批判、云々と、この映画に深い意味があるような評も読んだりしますが、多くのジョークは、おふざけが好きなインテリが集まって、こうしたらもっと可笑しくなる、とくすくす笑いながら書かれた、という印象です。

原題:Monty Python's Life of Brian
監督:Terry Jones
言語:英語
1979年

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