東方の三賢者

本日、5日は、十二夜(クリスマスから12日目)なので、クリスマスの飾りやカードを片付ける事とします。クリスマスの飾りは、この後も出して置くと縁起が悪いという話なので、大体、毎年この日を目安に。

クリスマスシーズン(降誕節)の終わりを告げる十二夜も、かつてはこの国で祝われており、飲んだり食べたり、歌ったり踊ったり。シェークスピアの劇「十二夜」は、十二夜の祝いのためにかかれたものと言う話ですが、今は、ただ普通の日の感覚です。

明日6日は、Epiphany。日本語では、公現節、主顕節などと訳されるようですが、キリストがその神性を表した日。また、東方の三賢者が、星を追って、ベツレヘムの幼子イエスを訪れた日とされます。この三人は、英語では、

Three kings(三人の王)
Three magi(発音はメイジャイ、magusの複数形、魔法使いの意もありますが、三賢者としておきます)
Three wise men(三賢者)

などと、呼ばれています。ちなみに、オー・ヘンリーの短編小説、「賢者の贈り物」の原題は、「The Gift of the Magi」で、この東方の三賢者にちなんだもの。聖書内では、この3人は、マタイによる福音書の2:1-13に言及されるのみ。

空に新星を見た3人は、尊い人物が生まれたと気づき、星を目当てに東方から、ユダヤの地へやって来る。当時ユダヤの地を統治していたヘロデ王が、救世主の誕生の噂を聞きつけ、自分の地位が心配になり、「その御子を見つけ、どこにいるか、知らせて欲しい。私も一目見たいから。」と3人に頼む。三賢者は、やがて、イエスを見つけ、それぞれ、3つの贈り物をする。

以下、マタイによる福音書、2:11-12より

11 And when they were come into the house, they saw the young child with Mary his mother, and fell down, and worshipped him: and when they had opened their treasures, they presented unto him gifts; gold, and frankincense and myrrh.
そして、彼らがその屋に入ると、母メアリーと幼子を見つけ、ひざまずき、崇拝した。大切に持ってきたものを開き、イエスに、黄金と、フランキンセンス(乳香)、そしてマー(没薬 ミルラ)を捧げた。

12 And being warned of God in a dream that they should not return to Herod, they departed into their own country another way.
神からのお告げに従い、3人は、ヘロデの元へは戻らずに、別の道を通り、自分達の国へ戻っていった。

この賢者による贈り物の、黄金は王者の印、乳香は聖なるものの印、没薬は後に訪れる死の象徴、などといいますが、その意味するところは他にもいくつかの説があるようです。

福音書には記述がないものの、後に、それぞれの賢者は、Melchior(メルキオール) Balthasar(バルタザール) Caspar(カスパール)と名がつく。

We three kings という綺麗なキャロルもあります。

イギリスでは、この日も特に一般の祝いは無く、東方の三賢者は、クリスマスに組み込まれていますが、カソリックの国、特にスペイン語圏の国々では、この日(Dia de los Reyes Magos)を、クリスマスとは別に祝っているという事。賢者が町を練り歩くパレードなどもあるようです。ちなみに、スペインでの三賢者の呼び名はそれぞれ、Melchor、Baltasar、Gaspar。

マドリッドでの、三賢者のパレードの様子を載せたビデオを見つけましたので、こちらまで。

パレードを眺める子供達に、お菓子を投げている模様。サンタさんだけでなく、この三賢者達も、子供達に贈り物を持ってくる人物で、スペインの子供達は、三賢者達にあて、カードに、欲しい贈り物を書くのだそうです。この日にroscón de reyesと呼ばれる、0型(楕円形)のお菓子が食されます。

さて、上の絵は、ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵の、ピーテル・ブリューゲル作、「王達の崇拝」(The Adoration of the Kings)。例によって、ブリューゲルのものは、他の同テーマの絵と少々違って、諧謔的。賢者達の差し出す贈り物の、黄金や、乳香や投薬を入れた豪華な器を、周りの人間は、精神性などどこ吹く風で、欲を丸出しにして、ぎろぎろと見ている。

こちらは、やはりナショナル・ギャラリーの、17世紀フローレンスの画家、カルロ・ドルチによる、もっと伝統的な「王達の崇拝」画です。大変、信心深い画家だったというせいか、理想化された夢のようなシーンに仕上がっています。

ともあれ、これでまた、クリスマス・シーズンが終わりと、小さいツリーを、ブリキ缶に納め、ロフトに戻しましょうかね。ツリーも、リースも、キャロルも、天使達も、幼子イエスも、羊飼いも、賢者達も、また来年までさようなら。

コメント

  1. おはようございます
    今日は寒い朝です。娘の保育園ではクリスマスには降誕祭の劇が行われます。三博士は年長さんのお利口そうな男の子が演じます。いかにも利発そうでしっかりしていてお兄ちゃんです。でも意外と人気は羊飼いでした。マリアは保育園一番の美人さん、あこがれのマドンナ?が演じます。もちろん母としては娘にマリアをやらせたいのですが、これは熾烈な競争です。娘は「ただお人形をだいて、怖がってる役なんてつまんないよ。天使がいいいな。歌って踊って、かっこいいよ」ですって。そういえば彼女と受胎告知ごっこというのをやりました。もちろん私がマリアで彼女が天使ガブリエルです。

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  2. 私の幼稚園も降誕劇やりましたが、どこの幼稚園でも一般的にやるようですね。キリスト教信者もさほどいない国で、幼稚園で降誕劇をやる国って、日本以外にもあるのかな、などと考えていました。韓国などは、キリスト教信者が比較的多い国なので、やっていても不思議ではないのですが。
    幼稚園で、他に、「ありときりぎりす」の劇などもやった覚えがありますが、要は、日本では、降誕劇も、宗教の話と言うより、イソップやおとぎ話の一環なのでしょうね。

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