小公子

「リトル・ロード・フォントルロイ」(Little Lord Fauntleroy)は、日本では「小公子」として知られている、「秘密の花園」の作家、フランシス・ホジソン・バーネット(バーネット夫人)による児童小説です。

あらすじをざっと書くと・・・

主人公のセドリック・エロルは、ニューヨークで、美しくやさしいアメリカ人の母と、イギリスの古い家系であるドリンコート伯爵の3男の間に、生まれる。身勝手で癇癪持ちの伯爵は、アメリカへ渡ったこの美男で心やさしい3男坊が、自分が嫌悪するアメリカ人と結婚した事に腹を立て、息子を勘当。こうして、セドリックの父は、ニューヨークで仕事を初め、ささやかな借家で、家族3人、裕福ではないものの、幸せな生活。けれども、父は、セドリックが幼い頃に若死にしてしまう。父が死んで以来、悲しそうな母を、セドリックは父が呼んでいたように「ディアレスト」(Dearest、最愛の人、お前)と呼び、母の唯一の心の慰めとなる。物語が始まる時、セドリックは7歳。

セドリックの一番の仲良し友達は、借家のある通りで雑貨店を営むホッブス氏。毎日の様に、雑貨屋を訪れては、ホッブスと、アメリカの政治や世間話。周りの大人との交流が多かったため、色々な大人びた会話や言葉使いを覚えて、それを大真面目な顔で語るセドリックが、大人たちには、愛らしく面白くうつる。また、両親の美貌をしっかり受け継ぎ、金色の巻き毛の美少年で、物怖じせず、心やさしく、社交的。物語の主人公が、人間の良い部分を全て持ち合わせているのは良くある話ですが、セドリックも、そうした理想の少年。セドリックのもうひとりの友人は、靴磨きの青年ディック。

そうこうするうち、イギリスでは、広大な邸宅と財産を有するドリンコート伯爵のろくでなし長男と次男が相次いで死んでしまい、世継ぎが消えてしまったため、ドリンコート家の弁護士、ハビシャム氏は、後継ぎとなったセドリックをイギリスへ連れ戻すため、ニューヨークへやって来る。セドリックは、ロード・フォントルロイの称号を与えられる。ニューヨークを出る前に、セドリックは祖父から与えられた金を、知り合いの貧しい者たちに与え、更にディックが靴磨きとして自立できる援助をし、ホッブスには、記念に金の懐中時計を渡し、母と共に大西洋を渡る。

いまだにセドリックの母を、金目当ての下卑たアメリカ女だとの偏見を捨てられない伯爵は、セドリックのみを、自分の館内に住ませ、母には、館の広大な敷地の外の家をあてがい、敷地内に足を踏み入る事を許さない。セドリックは、何故母と別れて住まねばならぬのか理解できぬながら、いとしの「ディアレスト」を、毎日のように訪れる。

ドリンコート伯爵は、人間嫌い、また回りの人間にも嫌われている痛風もちであったのが、会い際から、一切自分を恐れずに、慕ってくるセドリックが、徐々に可愛くなり、孫と一緒に過ごす時間が楽しみとなる。敷地内に住む貧しい者たちの苦境に気づき始めたセドリックは、伯爵に相談して、彼らの住むボロ屋の建て直しを行うなどの慈善行為も始める。以前は、自分の敷地に住む貧民などの生活状況に同情など一切なかった伯爵だけれども、セドリックが村人や敷地内の貧民の間で人気者となっていくのが、自慢で喜びとなる。

さて、そこに登場するのが、死んでしまった長男が伯爵に内緒で結婚したというアメリカ人女性とその息子。まさに、伯爵が想像する通りのアメリカ女性、金にがめつく、下卑たミナは、自分の息子が本当の世継ぎで、ロード・フォントルロイであると主張。伯爵とハビシャム弁護士は、子供の年齢に多少の疑いがあるため、ミナが財産と伯爵号を目当てに嘘を言っていると疑い、法廷に持ち込む覚悟。この伯爵家をめぐったニュースは、ニューヨークの新聞でも話題となり、雑貨屋ホッブスと靴磨きディックも、この件を語り合い、なんとか、セドリックの立場を守るため、この女が虚述していると暴けないものかと頭をひねる。そんなある日、ディックは、新聞に載ったミナの写真を見て、びっくり。ディックの兄のトムの癇癪もちの妻の写真だったのだ。そして、子供はトムの息子。ミナは、一攫千金を求め海を渡り伯爵の長男と結婚したものの、すぐにお払い箱とされ、トムとの間にできた子供を利用して、伯爵家をのっとろうと目論んだ次第。ミナの身元の証明のため、ディックとトム、そしてホッブスも渡英。

この事件を機に、伯爵は、初めてセドリックの母と会い、和解。セドリックと自分と共に館に住むように誘う。ディックとトムは、感謝した伯爵からの恩恵を受け、ホッブスはホッブスで、イギリスが気に入ってしまい、やがて、館のある村に移り住み、そこで雑貨屋を開く。全てはめでたしめでたし。

他のイギリスの児童文学と共に、初めてこれを読んだのは、子供の時、日本語で。先日、英語のオリジナルを読む前に、覚えていたのは、セドリックが、はじめて、館で伯爵と会う場面と、伯爵に野球の説明をする場面。燃える暖炉の前に座る伯爵、大きな犬がセドリックに近づくのをセドリックは恐れずに、犬の頭を撫でる・・・というシーンでした。また、当時は、イギリスではクリケットはやっても、野球をしない、というのを知らなかったので、セドリックが野球を説明するというのに、2国の文化的違いが背景にあるのは全くわかっていなかったです。伯爵は年寄りだから、スポーツに興味がないので野球のルールを知らない、くらいの解釈でした。

バーネット夫人自身がイギリスで生まれながら、アメリカへ渡って生活していた人物なので、登場人物の口からもれる、アメリカとイギリスの比較、お互いの国への偏見は、当時の一般的な意見だったのでしょうか。伯爵は、アメリカとアメリカ人は、下卑で粗野、金儲け主義と息巻き。また、伯爵は、セドリックのニューヨークでの友人が、イギリスで言う、いわゆる労働階級の人間達であるのにも、いささかびっくり。イギリスでは、貴族の子女と、下層の人間の子女は交流するべきではない・・・わけですから。一方、自称リパブリカンのホッブスは、イギリスからのアメリカ独立宣言、独立の日を誇りとし、セドリックが伯爵の後継ぎとなる前は、イギリスの貴族など社会に必要ない、そんなものがアメリカに無くて良かった、のような感想をセドリックにもらす。

最終的には、伯爵は、アメリカ人のエロル夫人を自分の義理の娘として正式に館に受け入れ、ホッブスは、ホッブスで、セドリックに案内された館と邸宅、それにイギリスの村を大層気に入ってしまい、貴族への敵対的な意見もやわらぎ、イギリスに移り住んでしまう。同じ言葉を喋りながら違う国、イギリスとアメリカが、その違いに気づきながらも、多少お互いを受け入れる比喩ともなっている気がします。実際、物語は、「アメリカに帰らないのか?」とディックに聞かれ、「セドリックを側で見守ってやりたい」という理由と共に、「(アメリカは)エネルギッシュな若者にはいいが、それなりの落ち度もある。古いご先祖様もいなければ、伯爵もいない!」と答えるホッブスの言葉で終わっています。気が利いたエンディングだと思います。

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