マダムと泥棒

アレック・ギネスと言えば、「アラビアのロレンス」?「スターウォーズ」?「戦場にかける橋」?私にはやっぱり、イーリング・コメディー!特に「マダムと泥棒」(The Ladykillers)の中のアレック・ギネスは、ねちっとした薄気味悪さが、逸品です。

戦後間もない1947年から約10年間、ロンドンのイーリング・スタジオで作製された数々のイギリスのコメディーはイーリング・コメディーとして知られています。イギリスへやってきて、まだ間もない頃、ロンドンのバービカン・センターの映画館で、イーリング・コメディー・シーズンがあり、この期間中、いくつかイーリング・コメディーを見ました。日本のテレビで放映されているのを見た記憶がないので、これが、私には、初めての遭遇で、すっかり気に入ったのです。

特にロンドンが舞台の映画では、当時まだ戦争の傷跡が残り、崩れかかった建物や瓦礫がが沢山ある風景も映り、その時代背景も、ドキュメンタリーとしての価値がある気がします。貧しいながら、ロンドンの通りで、市民が親しげに挨拶を交わす、古き良き時代の面影もあり。

さて、この「マダムと泥棒」のあらすじは・・・

キングスクロス駅のそばの、裏に鉄道が走る家に数羽のオウムと住む老未亡人のウィルバフォース婦人。部屋を貸そうと広告を出したところ、妙な薄笑いを浮かべたマーカス教授(アレック・ギネス)なる人物が現れて、彼女の間借り人となる。実は、彼は、キングスクロス駅での強盗を企む泥棒。古くて少々傾いた感じの家を見て回りながら、彼が言うに、
Such, um, pretty windows. I always think the windows are the eyes of a house, and didn't someone say the eyes are the windows of the soul?
(なんて綺麗な窓だ。私は常々、窓は、家の目だと思っていたのですよ。そして、誰かが言いませんでしたかな、目は心の窓だと?)
この、教授の台詞回しが、ねっとりとして、なんとも言えず愉快です。

こうして教授が間借りした部屋に、他の4人の泥棒仲間、コートニー少佐(メージャー)、ハリー、ワン・ラウンド、ルイが、部屋に集まって計画を練るのですが、老婦人には、アマチュアの音楽仲間で、管弦楽の練習をする、という言い訳を使います。そこで、それぞれ、楽器のケースを抱えてやってくる泥棒連中。そのうち一人、コックニー(ロンドン東部の出身の人間)のハリー役は、若きピーター・セラーズです。

泥棒たち、部屋に入ると、婦人をばかす為レコードをかけるのですが、その選曲は、ルイジ・ボッケリーニ(Luigi Boccherini)のメヌエット。この優雅なメロディーが映画のイメージ曲でもあり、こそ泥連中の住むアンダーワールドとクラッシック音楽という妙なアンバランスが、また可笑しいのです。こんな高尚な趣味の人物に部屋を貸したと喜ぶ婦人は、何かにつけ、お茶を入れて持って行き、彼らの部屋へ現れ、その度に、連中は、レコードをとめ、楽器を抱えてポーズをとり、大慌て。ポットからお茶を皆についで、ミルクやお砂糖を入れて各人に渡してあげる事を、「Be mother」(母親になる)とふざけて表現したりしますが、婦人はポットを持ち上げ、
Shall I be mother? (私が、皆に、お茶をついであげましょうか?)

彼女いわく、「ボッケリーニのメヌエットを聴くと、私の21歳の誕生日を思い出す・・・家に管弦楽奏者を呼んで、この曲が流れている時に、女王が死んだというニュースが入り、誕生日パーティーはそれでおしまいとなったのだ・・・」と。彼女が去った後、ボクサーあがりで、少々うすのろのワン・ラウンドは、「あのばあさん、何言ってるんだ?どこの女王の話だ?」もちろん、これはヴィクトリア女王の話。

無事、強盗が成功に終わり、大金をせしめた一味。教授は、老婦人に、突然の引っ越しを告げ、仲間達と共に去ろうとするのだが、ワン・ラウンドが抱えていたチェロのケースが戸口で開いてしまい、中から隠してあった大金がこぼれ落ちる。婦人は、キングスクロスであった強盗事件と一味のつながりに気づく。清く正しく美しく、といった感じの彼女は、彼らに自首するようにもちかける。

一味は、自分達だけで話し合いたいと部屋に引き込み、老婦人を殺す事に決めたのはいいが、この人の良い婦人を、誰も、自分の手では殺したくない。ぎらぎらした短気なルイまで、嫌だと言う。そこで、くじをひいて誰が婦人を始末するか決める事になるのだけれども・・・。まず、あたってしまったメージャーは、婦人を殺せず、金を持って、窓から脱出して逃げようとするのを、他の連中に殺される。死体は、家の裏の線路を通る貨物列車の中に上から落として始末。また一味はくじを引きなおす・・・そうこうするうちに、仲間内で殺し合い、夫人が居間でうたた寝をする間に、全員死んでしまい、死体は全て、貨物列車の中に落ちて、どこかへ運ばれてしまう。

婦人が目を覚ますと、泥棒の盗んだ金だけが家に残り、人っ子ひとりいなくなっている。彼女は、警察署に赴き、事の次第を説明するものの、普段から何かにつけて小さなことで警察署に通報していた彼女の言う事、警官たちは本気にせずに、丁重に外にエスコートされる。そして、警官は彼女に、「お金はご自分で取っておかれてよいですよ。」いきなり思いもかけず金持ちとなった彼女、警察署の外の乞食にお札を渡して、帰途に着くのです。

この映画も、コーエン兄弟監督、トム・ハンクスの主演で、アメリカを舞台に焼きなおされています。こちらは、日本では、原題をそのまま使った「レディ・キラーズ」のタイトルで劇場公開されたようです。最初の、15分だけ見たのですが、やはり、かなり落ちると感じて、最後まで見る気も失せ、途中でやめました。コーエン兄弟のファンでもないし、オリジナルが大好きだと偏見も強くなるのはあるかもしれませんが。

さりげないニュアンス、くすっと笑わせてくれる諧謔・・・ストーリラインだけをまねしても、出せないものです。特に、この「さりげない」という感覚は、アメリカに舞台を持っていくと同時に、蒸発しやすいものだと思うのです。

原題:The Ladykillers
監督:Alexander Mackendrick
言語:英語
1955年

コメント

  1. この映画、夫がとても好きな映画でしかも彼が生まれた年に撮られたのだと言って二人で一緒に見たことがあります。私の英語力では「さりげなさ」をなかなか理解できなかったのですが、面白かったです。リメイクされていたのは知らなかったです。彼はオリジナルの「ウィッカーマン」も好きなんですよ。Miniさんと映画の好みが合うみたいです。

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  2. クラッシックですよね。イーリングもウィッカーマンも。イーリングものでは、The Lavender Hill Mob(まだ名も無いころの愛らしいオードリーがちょい役で出てました)、 Passport to Pimlico、 Kind Hearts and Coronetsなど、ほとんど皆好きです。最近は、古い映画はかなりUチューブで見れるようになって、この映画も先日なつかしく見直しました。リメイクはたいてい、見てがっくりのようなもの多い感じです。

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