北斎、大波の彼方へ

ロンドン大英博物館で、5月から開かれていた展覧会、「Hokusai, Beyond the Great Wave、北斎、大波の彼方へ」が先週で終了しました。全日、チケット売り切れの満員御礼。入場人数制限のため、時間制になっているチケットを、前もってインターネット予約をしておいたので、無事、終了前の最終週に見に行くことができました。富岳36景の中で、日本内では、「凱風快晴(赤富士)」が一番持ち上げられることが多い作品のようですが、海外での一番人気は、なんといっても、「神奈川沖浪裏 The Great Wave off Kanagawa」。単にThe Great Waveと称される事が多いです。ですから、今回の展覧会のタイトルも、イメージも、この作品。優れた画家は、独自のものの見方、捕らえ方を、人に伝達できるものですが、大海原の波を見る時、北斎の目を通して見るという人は、かなりいるのではないでしょうか。

当展覧会と同時期に、BBCでは、日本シーズンの特集を行い、色々日本関係の番組がかかっていた上、そのシーズンの一環に、当展覧会がらみの北斎の人生と画風に触れた番組も流れたのも良い宣伝となったのかもしれません。思うに、日本人で、海外のhousehold name(一般家庭でも知られる名前、有名人)となっている人物はそうそういない・・・死後170年近く経ちながら、その知名度は海外でも消えることなく、いまだ一人で、日本のイメージを背負って歩いているような画家です。

3時半から入れるチケットで入場して、内部に列ができていたのには、びっくり。混んでいる展覧会というのも、何回か経験していますが、こんなに内部でも列ができているものは初めて。列についてのろのろと進みました。じっくりは見れましたが。すぐ前のおじさんにいたっては、虫眼鏡を取り出して、上から下まで、それはよく眺めており、「あ、ここにも人がいる」なんて発見を繰り返して見入っていました。もっとも、列は、途中で崩壊し、そのうちに、皆、開いているところにささっと入って、見ることを始めましたが。車いすに座って、滝の絵の版画を模写をしている二人組も見かけました。そのうち一人が、自分の模写をまじまじ見入って、「なんか、ちょっと変だわ。どこがおかしいと思う?」ともう一人に話しかけている姿も微笑ましかったです。4時半で新しい入場は終わるので、その後は、だんだん空いてきて、閉館30分ほど前には、出だしに戻って、列に並んだのがウソのような静かな空間で、もう一度、ゆっくり一周。

最初の展示室には、「初期の作品、30~60歳まで」のような説明書きがあり、60歳までが初期の作品というのに、思わずにやり。大体、「北斎漫画」の出版が始まるのが、55歳になってから、「富岳36景」は、北斎70歳を超えてからのものなのだそうで。実際、彼自身、自分が70歳前の作品なぞ、なっちょらん、と思ったそうですし。

北斎については、私より知っている人がたくさんいると思いますので、展示作品については、2,3のみ触れるのみにしておきます。

赤富士と並ぶようにして、ピンク富士が展示されていました。なんでも、もともとの北斎の意図は、赤ではなく、夜明け直前のほのかさを表現する、この淡い色だったのだそうです。綺麗ですね。版を繰り返すうちに、初期の微妙な淡い色から、赤になってしまったというのです。うちの実家のトイレ内のドアには、いつもカレンダーがかかっており、かつて、赤富士のカレンダーも、かけてあった覚えがあるのです。以前、おさななじみから、「なぜ、みにの家では、トイレにカレンダーかけるの?」などと素朴な質問をされたことがあります。なぜ、母がそうしていたのかはわかりません。来し方行く末に、じっくり思いをはせるため?ともあれ、このために、赤富士というと、情けないことに、昔のうちのトイレに座ってカレンダーを眺めている自分を思い出してしまうのです。が、このピンク富士は、いいですよ。

最後の部屋には、死の前に力を注いだという肉筆画が数枚かかっていて、

辰年生まれだそうで、長い人生の間、それは何度も描いた龍もあり、


一番最後にかかっていた絵は、ハッピーな顔をして、雪の中を浮遊する虎の絵。ネコバスに似ている・・・?死の3か月ほど前のものではないかと言われているようですが、最後の最後まで、こんな立派なものを描いて、たいしたもんですね。

お土産を買うのが結構好きなうちのだんなは、閉店直前の土産コーナーで、北斎のグレート・ウェーブTシャツと、グレート・ウェーブ雨傘、花鳥図の買い物バッグなどをお買い上げ。グレート・ウェーブの絵葉書は、売り切れてしまっていたようで、「お父さんに、グレート・ウェーブの絵はがき買ってくれと頼まれたのに・・・ないの~?」などと売り子さんに聞いているお姉さんがいました。また日本の職人が掘って刷ったという版画のうち、やはりグレート・ウェーブは売り切れていました。200ポンドと、比較的高いものでしたが。

さて、北斎の人生の間、イギリスおよび西洋諸国で何が起こっていたかというと・・・

北斎が生まれたとされる1760年は、イギリスではジョージ3世が王座に着いた年。その後、ジョージ4世、ウィリアム4世を経て、北斎が死んだ1849年は、ヴィクトリア女王(在位1837-1901)初期の時代。彼の人生の90年の間に、アメリカの独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争、産業革命と、鎖国の日本をよそに、何かと大騒ぎの時代だったのです。そんな激動の時代を記録した、イギリスの風刺画家、ジェイムズ・ギルレイが、北斎とはほぼ同時代人で1756年生まれ。ただし、彼は50歳後半で亡くなっています。マシュー・ペリーを乗せた米の黒船が日本の浦賀沖に現れるのは、北斎の死の4年後の1853年。

北斎がいかにフランスの印象画家たちに影響を与えたかは有名な話ですが、すでに1896年から1914年の間に、フランスでは、最低3冊の北斎の伝記が書かれ、イギリスでは、更にその前の、1880年に、北斎の富岳100景が出版されているそうです。海外旅行が自由の時代だったら、海外からも盛んに呼ばれて、パリやロンドンの広場で、巨大な紙を広げ、大筆振り回し、えいやーと一筆で龍を描いたりするパフォーマンス・アートなどでも行って、見物人をあっと言わせていたかも。

今回の展覧会の人気ぶりに思ったのが、彼、丈夫で長生きできたのが、幸いであったものの、最後の最後まで、色々なスタイルに挑戦し、腕を上げ、がんがん描き続けたエネルギーが、平均寿命が延びている昨今の先進国の市民にはアピールが強いのではないでしょうか。年とっても元気である限り、打ち込める事、やれる事はたくさんある・・・と。

そして、当時の日本の版画は、偉ぶらず、芸術を玉座に乗せるような崇高なものとして扱わず、安く買える庶民のための物であったことも、親近感への一因。

また、絵の事以外は、金銭、着るもの、家事などには、ほとんど構わなかった、北斎の、豪快な、ほったらかしの生活ぶりも魅力があるのです。これは、離縁した後、北斎と居を共にした、やはり画家の娘のお栄も、似たような、家事そっちのけタイプであったようですが。特に、老人になってから体験した火災で、過去の絵を含む所持品をほとんど焼きだされてからは、所有欲、物への執着も皆無となったようで、北斎グッズを土産コーナーで買いまくる、私たちとは大違い。あるのは、自分の描こうという意力と、腕と、筆だけ。まさに画狂老人。物欲に振り回されずに、好きなことに集中して生きられる・・・というのも、現代社会人の視点からは、よくできたな、と思うとともに、憧れもあり、豊かさというものの見直しをする機会にもなり。今回の展覧会で、北斎に元気をもらった気がします。

コメント

  1. この時代は豪快な方が多いですね。同時代の戯作者の十返舎一九も、死んだら大切な物が入った箱と共に火葬にしてくれと伝えてあったので、その通りにしたら、箱の中には花火が仕掛けてあり、棺桶から爆音と共に火花が飛び出してビックリ…という伝説を聞いています。人生を楽しんで拘らずに生きる、偉大なるパフォーマーだったんでしょうね。

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    1. やじきたは、子供の時に大幅に簡略化したものを図書館で借りて読んだ記憶がありますが、面白かったです。2人とも、遊び心と、性格に子供的要素があったのか・・・。当時の日本の一般人の教育水準が、比較的高かったから、庶民に支えられたこうした文化が繁栄したのもあるのでしょう。

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