ポストマンズ・パーク

ロンドンのシティー内、セント・ポール寺院の北側を南北に走る通り、セント・マーティンズ・レグランドとキング・エドワード・ストリートに挟まれた小さな公園がポストマンズ・パーク(Postman's Park)。かつては、公園の片側に位置する教会セント・ボトルフ、オールダースゲイト(St Botolph's, Aldersgate)の墓地にあたり、1888年に公園となります。

ポストマンズ・パークと言う公園の名は、このすぐそばに、1829年から存在した中央郵便局(General Post Office)から来ています。昼休みに、中央郵便局の職員たちが、ここのベンチでサンドイッチにぱくついたりしていたためでしょう。

実際、現在「セント・ポールズ」と呼ばれる、ここから最寄りの地下鉄駅も、1900年にオープンした際は、この中央郵便局にちなんで、「ポスト・オフィス」という名がついており、現在「ブラックフライアーズ」として知られる、セント・ポールズ寺院から、やや南側に位置する駅が、「セント・ポールズ」駅でした。1937年になってから、旧セント・ポールズ駅が、ブラックフライアーズ駅と改名になると、旧ポスト・オフィス駅が、セント・ポールズ駅と改名され、現在に至っている次第。

さて、今でも、お天気の良い日のお昼は、周辺のオフィスワーカーが、くつろぎのランチタイムを過ごすこの公園は、他人を助けるために命を落とした人たちの記念碑、Memorial to Heroic Self Sacrifice(英雄的自己犠牲の記念碑)のある事で知られています。宮沢賢治の書いた「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのごとき人たちをを称えた記念碑。上の写真の、木造の瓦屋根のものがそれで、この内部の壁には、そうした自己犠牲をした人たちの名前と、いつどうやって亡くなったかが記載されたタイルが並べられています。

これを発案したのは、ヴィクトリア朝の画家、彫刻家であったジョージ・フレデリック・ワッツ(George Frederick Watts)。彼はまず、1887年の、ヴィクトリア女王のゴールデン・ジュビリー(即位50周年)の年に、こうした記念碑を作ってはどうかと、提案したものの、その年は、そのまま提案は受け入れられずに流れ。1898年になってから、ワッツは、セント・ボトルフ教会の牧師であった人物から、教会わきのポストマンズ・パークに、その記念碑を作ってはどうか、ともちかけられるに至ります。

こうしてめでたく記念碑はしつらえられ、1900年にお披露目式。120の記念タイルを収めるスペースがあるそうです。ワッツは、この4年後の1904年に亡くなっています。

ざーっと見たところは、一番古い日付は、1869年のもの。記念碑のほとんどは、ポストマンズ・パークの記念碑創設以前に命を落とした人たちもので、あとは、1900年代のものがいくつか。どこからどうやって、こうした人たちの記録を探してきたのでしょうね。

最新の記念タイルは2007年の7月に、運河に落ちた少年を助けて自分は死んでしまったという人物のものです。これこそ、まさに、カムパネルラの様。この人の前の年月日の記念碑タイルを探してみたところ、1927年とあったので、80年ほど間が開いてしまっています。しばらく忘れられてそのままになっていたのを、最近になってから再び始めたのでしょう。

当公園は、4人の男女の恋愛のからみあいを描いた、2004年の映画「クローサー」(Closer)に使われています。ナタリー・ポートマン扮する、単身ロンドンへやって来たストリッパーあがりのアメリカ人女性は、ジュード・ロウ扮するジャーナリストのダンと出会った日に、この公園へやってきて、2人で、記念碑を眺めるシーンがあります。この記念碑のタイルにつづられていた、アリス・エアーズ(Alice Ayres)という名前を見て、彼女は、自分の名はアリス・エアーズだとダンに偽りの名前を告げる。その後二人は恋愛関係になるものの、ダンはずっと彼女の名がアリスであると信じ、映画の最後、アリスが愛想をつかしてアメリカに帰ってしまってから、ダンは再びこの公園を訪れ、初めて、このアリスへの記念碑が目に入り、彼女が偽りの名を使っていたのに気づく・・・。

本物の記念タイルによると、このアリスと言う女性は、レンガ職人の娘で、1885年に、火災で燃える家の中から3人の子供たちを救い出し、自分は死んでしまった、というもの。

この映画に登場する男性は二人とも、信用ならぬような浮気傾向強い男性で、だんなにも、彼氏にもしたくないタイプ。もう一人の男は、クライブ・オーウェン扮する皮膚科専門医のラリー。彼は、チャットルームでスケベ会話をしたり、ストリップバーに乗り込んだりと、そっち方面にとても熱心。こんな男たち二人に、なぜに、成功している写真家で美人のアンナ(ジュリア・ロバーツ)が魅かれて、関係を持つに至るのかは理解に苦しむところがあります。まあ、この映画のおかげで、ポストマンズ・パークの存在が、アメリカでも少し知られたのか、前回ここを訪れた時は、アメリカの観光客風おねーさんたち二人が、記念碑を熱心に読んで、写真を撮っていました。

ジョージ・フレデリック・ワッツについて

ここで、Memorial to Heroic Self Sacrifice(英雄的自己犠牲の記念碑)の考案者である、ジョージ・フレデリック・ワッツと言う芸術家について、ちょっとだけ触れておきます。貧しいピアノ職人を父として、ジョージ・フレデリック・ヘンデルと誕生日を同じく生まれたため、ヘンデルと同じ名前の、ジョージ・フレデリックと命名されます。

彼の一番有名な絵は、おそらく、テート・ブリテン美術館所有の「Hope 希望」。

彫刻では、「Physical Energy フィジカル・エナジー」と題された馬にまたがり遠方を眺める男性のブロンズ像が有名。この像のオリジナルは、アフリカのナポレオンとも称された、セシル・ローズを記念して作成されたもの。南アでのダイヤモンド採掘事業に成功し、デ・ビアス(De Beers)採掘会社を設立、また、ローデシア(現ジンバブエ)をうちたてた帝国主義者のセシル・ローズは、現代ではかなり評判の悪い人物ですが、ヴィクトリア朝の人間の感覚は、やはり今とは違うのでしょう。この元の像は、現在は南アのセシル・ローズの記念碑に設置されているそうですが、ワッツの死後1905年に、2番目の像が作られ、こちらは、ケンジントン・ガーデンズに設置されています。まだ達成されていない事を追い求める、絶え間ないエネルギーの象徴だということ。たしかに、遠くから見ても、わりとインパクトあります。

「世界全土を、他のどこよりすぐれたイギリスの文化と風習で支配統合すべきじゃ!」と唄った帝国主義者のための記念碑と、他人を助けるために命を投げ出した名もない人たちの記念碑という、なんとなく相いれないような2つの記念碑を、人生の終わりに並行して作ったというのも、面白いところです。

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