ハートマークの由来♥
理性も感情も、すべて脳がから発するものでありながら、なぜに、理性は脳が、感情は心臓が支配するという意識がいまだに強いのでしょうか。「彼は、私にはむいていないと、頭ではわかっていても、心がひかれる」などと頭と心は、いつも人間の体の中で、お互いの主権争いをしている感じです。確かに、解剖学もあまり発達していない時代は、体の中心部にあり、何かがあると、どきどき、ぎくり、わくわく、ひやひやと反応する心臓が、人間の感情の中心であると思われていたのは不思議ではありません。脳からの指令で、そうなるんだなどと、明らかになっていないわけですから。もっとも、人体がどう機能するかの理解が進んだ現在でも、人は、感情、特に愛情は、心臓に宿るのだという、現実とは違う、昔からの観念を捨てきれないのは、不思議です。
昨日のバレンタインデーで、ハートのマークをあちらこちらで見かけました。愛は心。だから愛の日には、ハートのマーク。確かに、これが、愛情も脳から発するからと、脳みそのマークでは、かなりアピールに欠けるものがあります。とは言え、ハートのマーク♥は、バグパイプの様な本物の人間の心臓とは、あまり似ていない・・・。なのに、世界全国で、それと認知されるシンボルとして長い間使用されてきているわけなのですが、これは一体どこから来たのか。誰が最初に、心のシンボルはこれじゃ!と考案するに至ったのか。
♥の模様は、すでに紀元前3000前あたりから土器のデコレーションなどにも使われているのが発見されているそうです。ギリシャの壺などにも、♥マークのモチーフがついたものが多くあり。ただし、こうした昔の土器や壺類のマークは、ツタや、イチジク、ブドウの葉を模したものだそうで、心臓、愛情とは関係がないのです。特にギリシャの場合は、酒の神バッカスと共にハート形のブドウの葉が飾りに使われているわけです。バッカスは、酒と共に、豊穣と恍惚の神でもあるから、ギリシャの壺に、現在のハートマークの原型を見ようとする人もいるようですが、これは、おそらく、深読みとされています。
他の面白い説に、現在のリビア内にあった、古代ギリシャ都市のキュレネ(Cyrene)で育てられていたシルフィウム(silphium)という、今は絶滅してしまった植物の果実が♥型であったことに由来するというのがあります。なんでもシルフィウムは、薬草として使用され、特に避妊剤としても使われていたとかで、そこに恋愛との関連が見られているようです。とても重要な植物と見られていたようで、キュレネでは、シルフィウムは銀貨の模様にも使用され、そのハート型の果実を描いたものも、シンボルとして使われていたのだとか。
こうした説とは別に、中世の世界では、実際に心臓がどんな形をしているか、という直接の知識を持つ人がほとんどいなかったのが、最終的に、本物とはあまり似ていないシンボルが心臓として幅を利かせるようになる本当の理由のようです。紀元前3世紀辺りには、ギリシャ世界で人体解剖が行われていたようですが、当時の直接の手記は残っておらず、ルネサンスの頃まで、医学のバイブルの様に扱われていた著作は、人体解剖が禁止されていたという2世紀のローマ時代のギリシャ人医学者ガレノスなどによるもの。ガレノス(Galen)は、豚などの動物の解剖を行い、人間の体も同じように機能するとしていたようです。キリスト教が西洋社会の生活を支配するようになると、死後、最後の審判にかかるのに、そのままの体で向う事は大切。体をメスで切り裂かれるという事を恐れ、タブー視する感覚は強く、解剖は、罪人等の体を使って行われるのみ。後は、基本的に、ガレノス等の、昔のギリシャの医学文献に頼るしかなく。そうした文献から得たイメージは、心臓は、松ぼっくりのような形だ、葉っぱのような形だ・・・という漠然としたものであったそうです。
実際、一番最初に愛と心のシンボルとしての心臓を描いたものだとされる、13世紀のフランスの挿絵は、男性が松ぼっくりのような自分のハートを手にもって、女性に捧げているもの。こうした、松ぼっくり型、葉っぱ型などのハートが、ぼちぼちと描かれるようになっていき、徐々に、太った上部の真ん中がへこんだ、今のハート型がお目見えするようになります。残念ながら、誰が最初に描いたものであるかはわからないでしょうね。ただ、それが出回り始めると、「これ、いいじゃん、なんか、それっぽいよ。」というので、模倣され、広がっていったのでしょう。かてて加えて、忠誠と永遠を示すツタの葉っぱに形が似ているのも悪くない。こんな形の花弁もありますから、それもまたロマンチック。
この♥が、愛情が宿る心臓のシンボルであると、決定的にするのが、キリストの愛と、そのみこころを示す聖心(sacred heart)のシンボルの普及。キリストの聖心は、ハートのマークの上に十字架が生えているような姿で、時に、そこから火が燃えていたり、ハートマークがキリストの受難を表すイバラで縛られていたりします。1673年、フランスの修道女であったマルガリダ・マリア・アラコク(St Margaret Mary Alacoque)の前に姿を現したキリストは、彼女の頭を自分の心臓にもたせかけながら、「聖心のシンボルの下で祈りを捧げなさい」と彼女に告げた事になっています。それまでにも、聖心のシンボルはすでに知られていたものの、この後、更なる勢いで、カソリックのキリスト社会に広がっていきます。
キリスト教の他にも、スペード、ダイヤ、クラブ、そしてハートの模様を組み入れたトランプが15世紀のフランスで始まり、その後、人気となっていったのも、♥普及の理由のひとつとされます。
中世も終わりに近づき、ルネサンスの頃には、解剖が行われる数も増え、更には、レオナルドなどの芸術家たちが、詳細な解剖図などを描くようになっていくと、人体内部の構造の視覚的理解も広がった事でしょう。また、実際に動物ではなく、人体解剖を行うことにより、絶対とされていたガレノスの著に、間違いがあるという声もあがっていく。ウィリアム・ハーヴェイが、いくつかの解剖により心臓の機能の研究を行い、血液循環説を発表したのは、1628年。にもかかわらず、一度、それとわかるシンボルとして認知され定着したハートマークは、本物の心臓の形と機能を知る人が多少増えていっても、廃れることなく。まあ、実際に、そうした解剖学上の知識が、社会の隅々まで浸透するには時間がかかったでしょうし。
大体、ハートマークは左右対称(これは、私、結構大切だと思います)で、描きやすいというのもあります。表現しがたい形の本物より、つるっとしているのもいいのです。最終的に、シンボルとは、ぱっとみてすぐわかるシンプルさと、見た目の心地よさが決め手ですね。
昨日のバレンタインデーで、ハートのマークをあちらこちらで見かけました。愛は心。だから愛の日には、ハートのマーク。確かに、これが、愛情も脳から発するからと、脳みそのマークでは、かなりアピールに欠けるものがあります。とは言え、ハートのマーク♥は、バグパイプの様な本物の人間の心臓とは、あまり似ていない・・・。なのに、世界全国で、それと認知されるシンボルとして長い間使用されてきているわけなのですが、これは一体どこから来たのか。誰が最初に、心のシンボルはこれじゃ!と考案するに至ったのか。
♥の模様は、すでに紀元前3000前あたりから土器のデコレーションなどにも使われているのが発見されているそうです。ギリシャの壺などにも、♥マークのモチーフがついたものが多くあり。ただし、こうした昔の土器や壺類のマークは、ツタや、イチジク、ブドウの葉を模したものだそうで、心臓、愛情とは関係がないのです。特にギリシャの場合は、酒の神バッカスと共にハート形のブドウの葉が飾りに使われているわけです。バッカスは、酒と共に、豊穣と恍惚の神でもあるから、ギリシャの壺に、現在のハートマークの原型を見ようとする人もいるようですが、これは、おそらく、深読みとされています。
他の面白い説に、現在のリビア内にあった、古代ギリシャ都市のキュレネ(Cyrene)で育てられていたシルフィウム(silphium)という、今は絶滅してしまった植物の果実が♥型であったことに由来するというのがあります。なんでもシルフィウムは、薬草として使用され、特に避妊剤としても使われていたとかで、そこに恋愛との関連が見られているようです。とても重要な植物と見られていたようで、キュレネでは、シルフィウムは銀貨の模様にも使用され、そのハート型の果実を描いたものも、シンボルとして使われていたのだとか。
こうした説とは別に、中世の世界では、実際に心臓がどんな形をしているか、という直接の知識を持つ人がほとんどいなかったのが、最終的に、本物とはあまり似ていないシンボルが心臓として幅を利かせるようになる本当の理由のようです。紀元前3世紀辺りには、ギリシャ世界で人体解剖が行われていたようですが、当時の直接の手記は残っておらず、ルネサンスの頃まで、医学のバイブルの様に扱われていた著作は、人体解剖が禁止されていたという2世紀のローマ時代のギリシャ人医学者ガレノスなどによるもの。ガレノス(Galen)は、豚などの動物の解剖を行い、人間の体も同じように機能するとしていたようです。キリスト教が西洋社会の生活を支配するようになると、死後、最後の審判にかかるのに、そのままの体で向う事は大切。体をメスで切り裂かれるという事を恐れ、タブー視する感覚は強く、解剖は、罪人等の体を使って行われるのみ。後は、基本的に、ガレノス等の、昔のギリシャの医学文献に頼るしかなく。そうした文献から得たイメージは、心臓は、松ぼっくりのような形だ、葉っぱのような形だ・・・という漠然としたものであったそうです。
実際、一番最初に愛と心のシンボルとしての心臓を描いたものだとされる、13世紀のフランスの挿絵は、男性が松ぼっくりのような自分のハートを手にもって、女性に捧げているもの。こうした、松ぼっくり型、葉っぱ型などのハートが、ぼちぼちと描かれるようになっていき、徐々に、太った上部の真ん中がへこんだ、今のハート型がお目見えするようになります。残念ながら、誰が最初に描いたものであるかはわからないでしょうね。ただ、それが出回り始めると、「これ、いいじゃん、なんか、それっぽいよ。」というので、模倣され、広がっていったのでしょう。かてて加えて、忠誠と永遠を示すツタの葉っぱに形が似ているのも悪くない。こんな形の花弁もありますから、それもまたロマンチック。
この♥が、愛情が宿る心臓のシンボルであると、決定的にするのが、キリストの愛と、そのみこころを示す聖心(sacred heart)のシンボルの普及。キリストの聖心は、ハートのマークの上に十字架が生えているような姿で、時に、そこから火が燃えていたり、ハートマークがキリストの受難を表すイバラで縛られていたりします。1673年、フランスの修道女であったマルガリダ・マリア・アラコク(St Margaret Mary Alacoque)の前に姿を現したキリストは、彼女の頭を自分の心臓にもたせかけながら、「聖心のシンボルの下で祈りを捧げなさい」と彼女に告げた事になっています。それまでにも、聖心のシンボルはすでに知られていたものの、この後、更なる勢いで、カソリックのキリスト社会に広がっていきます。
キリスト教の他にも、スペード、ダイヤ、クラブ、そしてハートの模様を組み入れたトランプが15世紀のフランスで始まり、その後、人気となっていったのも、♥普及の理由のひとつとされます。
中世も終わりに近づき、ルネサンスの頃には、解剖が行われる数も増え、更には、レオナルドなどの芸術家たちが、詳細な解剖図などを描くようになっていくと、人体内部の構造の視覚的理解も広がった事でしょう。また、実際に動物ではなく、人体解剖を行うことにより、絶対とされていたガレノスの著に、間違いがあるという声もあがっていく。ウィリアム・ハーヴェイが、いくつかの解剖により心臓の機能の研究を行い、血液循環説を発表したのは、1628年。にもかかわらず、一度、それとわかるシンボルとして認知され定着したハートマークは、本物の心臓の形と機能を知る人が多少増えていっても、廃れることなく。まあ、実際に、そうした解剖学上の知識が、社会の隅々まで浸透するには時間がかかったでしょうし。
大体、ハートマークは左右対称(これは、私、結構大切だと思います)で、描きやすいというのもあります。表現しがたい形の本物より、つるっとしているのもいいのです。最終的に、シンボルとは、ぱっとみてすぐわかるシンプルさと、見た目の心地よさが決め手ですね。
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