ノリ・メ・タンゲレ
Noli me tangere (1514) |
こちらの絵は、ヴェネチア派の巨匠ティツィアーノ(Tiziano)による、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵、「ノリ・メ・タンゲレ」(Noli me tangere)。ノリ・メ・タンゲレとは、ラテン語で、「我に触るなかれ」。より原典に近い意味は「我を拘束してはならぬ」のようです。要するに、ちらっと触るだけでなく、行ってしまわないようにと、相手が自分にしがみつくのを止める言葉。ティツィアーノは、英語では、通常、ティッシャン(Titian)と呼ばれます。ティツィアーノが独立したばかりの頃に描かれた、早期の作品。
先週末はイースターで、キリストの復活祭でしたが、新型コロナの影響で、イギリスを含め、ヨーロッパ各地の教会や大聖堂は扉を閉ざしたまま、祝典もインターネットでの配信に頼るという前代未聞の妙なイースターになりました。
「ノリ・メ・タンゲレ」は、復活したイエスが、従者であったマグダラのマリア(英語では、Mary Magdalene、メアリー・マグダリン)の前に姿を現した場面を描いたものです。マグダラのマリアは、右手でイエスに触れようとし、左手は、イエスの遺体に塗るために持って行ったという香油の壺の上に置かれています。
十字架から降ろされたイエスの遺体が埋葬された墓にむかったマグダラのマリアは、墓の入り口をふさぐ石が動かされ、中が空になっているのを発見。大急ぎで、使徒たちに伝え、使徒たちも墓にやってきて、驚きながらも、皆、それぞれ帰っていく。後に残ったマリアはひとり、泣いていると、そばに佇む人間に気付く。その人物がイエスであるとは思わず、庭師だと思ったマリアは、イエスに「なぜ泣いているのか」と声をかけられ、「もし、あなたがイエスの遺体をここに運んで来たのなら、どこに横たえたのでしょう。」と聞く。この後は、新約聖書のヨハネによる福音書の20章より引用します。
20-16
Jesus saith unto her, Mary. she turned herself, and saith unto him, Rabboni; which is to say, Master.
イエスは、彼女にむかい、「メアリー」と言った。メアリーは、はっと顔を上げ「師よ。」と答える
20-17
Jesus saith unto her "Touch me not; for I am not yet ascened to my Father; but go to my brethren and say unto them, I ascend unto my Father and your Father; and to my God and your God."
イエスは彼女に言った。「私に触ってはならぬ/私を拘束してはならぬ。私は、まだ父の元まで昇っていない。使徒たちのもとに行き、彼らに告げよ。私は、私の父、そなたらの父の元に、私の神、そなたらの神の元へ昇って行くと。」
マリアは、この後、使徒たちにこのニュースを告げ、使徒たちの前にもイエスは姿を現すのです。
やはりヨハネによる福音書によると、この時に、使徒の一人であるトマスがいなかったため、トマスは他の使徒たちに、「俺は、その人物の、釘を刺された手のひらや、脇腹の傷口に指を突っ込むまで、そんな話は信じないぞ。」とがんばる。そして、8日後に、トマスを含めた使徒たちの前に、再び姿を現したイエスは、トマスに、脇腹の傷口を触らせるのです。この事から、疑い深い人間の事を指す、英語の「doubting Thomas、ダウティング・トマス」という表現が来ています。(キリストの傷口に指を突っ込むトマスを描いたカラヴァッジョの絵は、過去の記事「カラヴァッジョの絵で見るイースター」に載せてあります。)
海外のクライアントも得て、長きにわたり、大成功の活動を最後まで続けたティツィアーノは、80歳代の後半に、ペスト(黒死病)で死亡。かつてヨーロッパで多くの命を奪ったペストは、14世紀から19世紀前半まで、大暴れしては消え、また現れ、と何度か色々な場所で災難を起こしていました。1576年から77年にかけてのヴェニスでのペストの流行では、5万人(当時のヴェニスの人口の3分の1だそう)が命を落としており、ティツィアーノも、その一人のようです。
コロナのパンデミックも大変ですが、医学の知識や衛生を保てる機能がまだ発達していなかった当時のペストの恐ろしさたるや、尋常なものではなかったでしょう。こうした何回か訪れる疫病に加え、社会保障の無さ、水道ガス電気など、今は当たり前のものが存在しない生活を送りながら、過去の人間がすばらしい文化や芸術を作り上げて残してきた、更には現在の文化生活が営めるような科学知識も極めていったという事を思うと、コロナの日々の中、多少でも、勇気づけられます。
Saint Mary Magdalene approaching the Sepulchre (1530) |
こちらの絵は、やはり、ティツィアーノとほぼ同時代、主にヴェニスで活躍した画家、ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(Giovanni Girolamo Savoldo)による、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵「マグダラのマリア」。活躍していた時代には人気の画家であったようですが、ティツィアーノなどに比べると、ぐっと作品数が少ないのです。彼のリアルな描写が、カラバッジョに影響を与えたそうです。
「マグダラのマリア」は、「ノリ・メ・タンゲレ」で、マリアが復活したイエスに出会う前に、香油の壺を持って、墓へと向かう姿を描いたもの。背景の風景は、中東の物ではなく、どうやらヴェニスの風景らしいです。サヴォルドの作品には、こうした、前景に大きく人物を描き、背景に風景が広がるものが多いという事。
上記2つの絵も、現在上野の国立西洋美術館で、開催されるのを待っているロンドン・ナショナル・ギャラリー展の61枚の絵に含まれています。
この感じの題材の複製画が家に在り、何の絵だろうとずっと考えていました。
返信削除女性の片手には、やはり小さな壺があるのです。
ようやくこの題材であることが判り、嬉しい限りです。
謎が解けて良かったです!
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