ダウニング街10番地
10 Downing Street(ダウニング街10番地)と言えば、言わずと知れた、イギリスの首相官邸。ただドアだけ見れば、何の変哲もない、ロンドンのあちこちにある、テラスハウスへの入り口なのですが。場所は官庁街のホワイトホールから入る袋小路で、当然ながら、政治行政の中心地にあります。在任中、英国首相が住み、仕事をし、内閣の話し合いが行われ、多くの迎賓パーティーが行われる場所。
なんか・・・ちっちゃそうだなあ、という印象ですが、内部は意外と広く、12番のほとんども、首相官邸の一部として繋がっているということ。映画「ラブ・アクチュアリー」に内部が出てきてた、と思い出す人もいるかもしれませんが、この映画の撮影自体は、当然、本物のダウニング・ストリート10番では行われておらず、スタジオ内に作ったものを使用しています。
お隣の11番は、1828年から、財務大臣(Chancellor of the Exchequer)の官邸と定められます。
先日訪れた、チャーチル・ウォー・ルームズに、昔の、オーク材で作られた、ダウニング街10番のドアが飾られていました(上の写真)。このドアは、1991年、IRA(アイルランド統一を目指すアイルランド共和軍)による、ダウニング街爆弾騒ぎの後、現在の、爆弾に耐えうるものに取り換えられたという事。この爆弾騒ぎ、ホワイトホールに止められた白いワゴン車から迫撃砲で発射された爆弾が、10番の庭に落ち、炸裂。周辺の窓ガラスを割り、庭にクレーターを作ったものの、死者負傷者は出ず。内部では、調度、時の首相のジョン・メイジャーが内閣会議を行っていたという事。以来、周辺の警備はより慎重になっています。
ダウニング街10番のドアは、外からは開けられないようになっており、護衛係りの人物が常に内側に待機し、人を入れるようになっており、首相ですら鍵を持っていないのです。
写真では、ちょっと光ってしまって見にくいですが、郵便受けの金属部の上には、「The First Lord of the Treasury」(第一大蔵卿)というタイトルが刻まれています。これは、1714年に設立された、国家財政を司る機関の長に与えられたタイトルで、1721年にロバート・ウォルポール(Robert Walpole)がこの座につきます。彼が国家の「Prime Minister、首相」とみなされるようになってからは、タイトルのみの役柄となり、現在も、形式上、首相が兼任する役柄とされます。もっとも、ウォルポール本人は、周囲の政敵が、「あいつ、えらそうに。」という思いを込めて、悪口として呼んだ「プライム・ミニスター」という呼び名を自分では一切使わず、ダウニング街10番のドアにも、ずっと最初のタイトルである、「The First Lord of the Treasury」が刻まれたままになっています。
ダウニング街から国会議事堂へとむかう南側一帯は、ヘンリー8世の時代に、ホワイト・ホールと呼ばれる王宮が建てられていたのですが、ホワイト・ホールは、ウィリアム3世の時代の、1698年、火事で焼け落ち、そのうち、焼け残ったのは、バンケティング・ハウスのみです。あとは、名前のみが、通りの名として使われています。
ダウニング街は、ジョージ・ダウニング(George Downing)という人物からその名を取りますが、彼は、クロムウェル下の共和制時代は、その下で働きながら、チャールズ2世が王座に返り咲く王政復古の直前に、共和制政府の秘密事項などを明かすことで、許しを受け、ちゃっかり、王側に寝返っています。王政復古後、不動産で財を成すため、当時のダウニング街周辺の土地使用権利を得、そこにあった館等を打ち壊して、新しく、いくつかのテラスハウスの並ぶ袋小路を作ります。何でも、設計は、売れっ子建築家のクリストファー・レンに依頼したのだそうですが、とにかく、費用をケチって安く作り、利益を出すのに専念したようで、土台も怪しげな上、かなり手荒に作られているのだそうです。
幾人かの人物が、この通りに住んだのち、ジョージ2世の時代、王は、自分の第一大蔵卿そして、事実上の首相であった、上述のロバート・ウォルポールに、この家と、当時ダウニング街の裏にあった大きな屋敷の使用権を与え、後、この国の首相の居住、及びオフィスとなる運命が始まります。ロバート・ウォルポールが、ここへ移り住んだのは、1735年。その前に、大掛かりな内部の改造と、ダウニング街の家と裏にある大きな館を繋ぐ工事を行った後の事。この際の設計は、ジョージ2世時代、ケンジントン宮殿内の内装なども手掛けたウィリアム・ケントが携わっています。
こうして、ウォルポール以来、ダウニング街は、政治の長の官邸とはなったものの、かつては、住むのを嫌がり、寝泊りするのは、自分のロンドンの館やアパートという人も多かったようです。その方が、居心地良かったのでしょうね。在職1902-1905年のアーサー・バルフォア首相からの歴代の首相は、ここをロンドンの住まいとしています。
19世紀後半から、かなりボロがでてきたダウニング街の建物を、一時は打ち壊してしまおうという話もあったようですが、徐々に、近代的な設備も取り入れて改造されていき、官庁街の立派な建物の間に挟まれてひっそりと生き延びることとなりました。戦後も再び、内部の一大改造が行われています。この戦後の大改造の際に、なんと建物の外観は、作られた当時は、現在の黒でなくて、実は黄色であったと発覚したというのが、おどろきです。何年ものロンドンの空気汚染で、気が付くと、黄色からすすけて黒に変色し、誰も、最初どんな色をしていたのか知らなかったという次第。現在は、馴染みの「黒」で続けるため、排ガスに頼らず、きちんと黒に塗ってあるのだそうですが。
ダウニング街10番地を、住居とするのは、選挙の毎に変わりゆく首相の他に、ねずみ退治のためにと、いつのころからか飼われていた猫たちがいます。
現在のダウニング・ストリートの猫、ラリー(Larry)は、2011年から住み始めていますが、この猫が、一番最初に、正式にダウニング街10番地の「Chief Mouser」(ねずみ捕獲長官)の名を受けることになります。一番、長くここに住んだネコは、ウィルバフォース(Wilberforce)で、エドワード・ヒース、ハロルド・ウィルソン、ジム・キャラハン、マーガレット・サッチャーと居を共にしています。私が一番馴染みを感じる猫はマーガレット・サッチャー、ジョン・メイジャー、トニー・ブレア時代のハンフリー(Humphrey)ですね。なんとなく、憮然としているところがいい。
*****
さて、今年(2019年)は、クリスマス前の総選挙となりました。大変な努力と妥協が必要であっても、そのために市民を説得し、良い国を作ろうという意欲もなく、いい加減な情報をばらまき、催眠術のようにスローガンを繰り返し、ただ、パワーを握るためだけに、「首相」と呼ばれたいがために、市民におべっかを使い、この国はすばらしい、悪いのは他国のみであると扇動することによって、ダウニング・ストリートの住人であり続けようとする人物を見ると、民主主義のあり方というものを考えさせられます。
いや、ブレグジットの国民投票以来、民主主義というもののマイナス点をしみじみ考えることが多くなっています。国民が、お客様=神様と化してしまい(「お客様は神様です」って三波春夫でございます、でしたね。私もふるい・・・。)、政治家は、その機嫌を取ろうとする事のみに奔走し、与党も野党も、税上げするのは企業と大金持ちだけでいい、庶民は何もせずともいい、あれもタダなら、これもタダと、金もないのに、サンタのようにプレゼントの約束をばらまき、国民が聞きたいことだけを宣伝する政治家ばかり。もっとも、最終的には、政治家の劣悪さは、偏見と自己利益だけを判断の基準とし、自分で時間をかけて事実を確認もせずに、そんなスローガンに踊らされる、過半数の国民のレベルを反映するのみなのでしょうか。
次期首相は、猫のラリー!と決めた方が、まだ害がないかもしれません。
なんか・・・ちっちゃそうだなあ、という印象ですが、内部は意外と広く、12番のほとんども、首相官邸の一部として繋がっているということ。映画「ラブ・アクチュアリー」に内部が出てきてた、と思い出す人もいるかもしれませんが、この映画の撮影自体は、当然、本物のダウニング・ストリート10番では行われておらず、スタジオ内に作ったものを使用しています。
お隣の11番は、1828年から、財務大臣(Chancellor of the Exchequer)の官邸と定められます。
先日訪れた、チャーチル・ウォー・ルームズに、昔の、オーク材で作られた、ダウニング街10番のドアが飾られていました(上の写真)。このドアは、1991年、IRA(アイルランド統一を目指すアイルランド共和軍)による、ダウニング街爆弾騒ぎの後、現在の、爆弾に耐えうるものに取り換えられたという事。この爆弾騒ぎ、ホワイトホールに止められた白いワゴン車から迫撃砲で発射された爆弾が、10番の庭に落ち、炸裂。周辺の窓ガラスを割り、庭にクレーターを作ったものの、死者負傷者は出ず。内部では、調度、時の首相のジョン・メイジャーが内閣会議を行っていたという事。以来、周辺の警備はより慎重になっています。
ダウニング街10番のドアは、外からは開けられないようになっており、護衛係りの人物が常に内側に待機し、人を入れるようになっており、首相ですら鍵を持っていないのです。
写真では、ちょっと光ってしまって見にくいですが、郵便受けの金属部の上には、「The First Lord of the Treasury」(第一大蔵卿)というタイトルが刻まれています。これは、1714年に設立された、国家財政を司る機関の長に与えられたタイトルで、1721年にロバート・ウォルポール(Robert Walpole)がこの座につきます。彼が国家の「Prime Minister、首相」とみなされるようになってからは、タイトルのみの役柄となり、現在も、形式上、首相が兼任する役柄とされます。もっとも、ウォルポール本人は、周囲の政敵が、「あいつ、えらそうに。」という思いを込めて、悪口として呼んだ「プライム・ミニスター」という呼び名を自分では一切使わず、ダウニング街10番のドアにも、ずっと最初のタイトルである、「The First Lord of the Treasury」が刻まれたままになっています。
ダウニング街から国会議事堂へとむかう南側一帯は、ヘンリー8世の時代に、ホワイト・ホールと呼ばれる王宮が建てられていたのですが、ホワイト・ホールは、ウィリアム3世の時代の、1698年、火事で焼け落ち、そのうち、焼け残ったのは、バンケティング・ハウスのみです。あとは、名前のみが、通りの名として使われています。
ダウニング街は、ジョージ・ダウニング(George Downing)という人物からその名を取りますが、彼は、クロムウェル下の共和制時代は、その下で働きながら、チャールズ2世が王座に返り咲く王政復古の直前に、共和制政府の秘密事項などを明かすことで、許しを受け、ちゃっかり、王側に寝返っています。王政復古後、不動産で財を成すため、当時のダウニング街周辺の土地使用権利を得、そこにあった館等を打ち壊して、新しく、いくつかのテラスハウスの並ぶ袋小路を作ります。何でも、設計は、売れっ子建築家のクリストファー・レンに依頼したのだそうですが、とにかく、費用をケチって安く作り、利益を出すのに専念したようで、土台も怪しげな上、かなり手荒に作られているのだそうです。
幾人かの人物が、この通りに住んだのち、ジョージ2世の時代、王は、自分の第一大蔵卿そして、事実上の首相であった、上述のロバート・ウォルポールに、この家と、当時ダウニング街の裏にあった大きな屋敷の使用権を与え、後、この国の首相の居住、及びオフィスとなる運命が始まります。ロバート・ウォルポールが、ここへ移り住んだのは、1735年。その前に、大掛かりな内部の改造と、ダウニング街の家と裏にある大きな館を繋ぐ工事を行った後の事。この際の設計は、ジョージ2世時代、ケンジントン宮殿内の内装なども手掛けたウィリアム・ケントが携わっています。
こうして、ウォルポール以来、ダウニング街は、政治の長の官邸とはなったものの、かつては、住むのを嫌がり、寝泊りするのは、自分のロンドンの館やアパートという人も多かったようです。その方が、居心地良かったのでしょうね。在職1902-1905年のアーサー・バルフォア首相からの歴代の首相は、ここをロンドンの住まいとしています。
19世紀後半から、かなりボロがでてきたダウニング街の建物を、一時は打ち壊してしまおうという話もあったようですが、徐々に、近代的な設備も取り入れて改造されていき、官庁街の立派な建物の間に挟まれてひっそりと生き延びることとなりました。戦後も再び、内部の一大改造が行われています。この戦後の大改造の際に、なんと建物の外観は、作られた当時は、現在の黒でなくて、実は黄色であったと発覚したというのが、おどろきです。何年ものロンドンの空気汚染で、気が付くと、黄色からすすけて黒に変色し、誰も、最初どんな色をしていたのか知らなかったという次第。現在は、馴染みの「黒」で続けるため、排ガスに頼らず、きちんと黒に塗ってあるのだそうですが。
ダウニング・ストリート10番でポーズするハンフリー |
ダウニング街10番地を、住居とするのは、選挙の毎に変わりゆく首相の他に、ねずみ退治のためにと、いつのころからか飼われていた猫たちがいます。
現在のダウニング・ストリートの猫、ラリー(Larry)は、2011年から住み始めていますが、この猫が、一番最初に、正式にダウニング街10番地の「Chief Mouser」(ねずみ捕獲長官)の名を受けることになります。一番、長くここに住んだネコは、ウィルバフォース(Wilberforce)で、エドワード・ヒース、ハロルド・ウィルソン、ジム・キャラハン、マーガレット・サッチャーと居を共にしています。私が一番馴染みを感じる猫はマーガレット・サッチャー、ジョン・メイジャー、トニー・ブレア時代のハンフリー(Humphrey)ですね。なんとなく、憮然としているところがいい。
*****
さて、今年(2019年)は、クリスマス前の総選挙となりました。大変な努力と妥協が必要であっても、そのために市民を説得し、良い国を作ろうという意欲もなく、いい加減な情報をばらまき、催眠術のようにスローガンを繰り返し、ただ、パワーを握るためだけに、「首相」と呼ばれたいがために、市民におべっかを使い、この国はすばらしい、悪いのは他国のみであると扇動することによって、ダウニング・ストリートの住人であり続けようとする人物を見ると、民主主義のあり方というものを考えさせられます。
いや、ブレグジットの国民投票以来、民主主義というもののマイナス点をしみじみ考えることが多くなっています。国民が、お客様=神様と化してしまい(「お客様は神様です」って三波春夫でございます、でしたね。私もふるい・・・。)、政治家は、その機嫌を取ろうとする事のみに奔走し、与党も野党も、税上げするのは企業と大金持ちだけでいい、庶民は何もせずともいい、あれもタダなら、これもタダと、金もないのに、サンタのようにプレゼントの約束をばらまき、国民が聞きたいことだけを宣伝する政治家ばかり。もっとも、最終的には、政治家の劣悪さは、偏見と自己利益だけを判断の基準とし、自分で時間をかけて事実を確認もせずに、そんなスローガンに踊らされる、過半数の国民のレベルを反映するのみなのでしょうか。
次期首相は、猫のラリー!と決めた方が、まだ害がないかもしれません。
たまたまイギリスに旅行で居た折に、猫のハンフリー君が行方不明になったことが、BBCのトップニュースで流れているのを見たことがありました。平和な国だなぁと実感した記憶があります。
返信削除ブレア夫人がハンフリーを嫌って殺させたなどという噂もありましたね。はるか昔の話のような思いです。IRA爆弾騒ぎが多かった頃は、ロンドンもやや物騒なものがありました。
削除