小説「レストレーション」(Restoration)

英語の「restoration」という言葉は、返却、(秩序などの)回復・復活、(もとの状態、地位への)復帰を意味する名詞です。歴史的な意味では、「the Restoration」と大文字ではじめると、イギリスの1660年の王政復古、またその時代(1660-1685年)を指します。ちなみに、日本の明治維新は、将軍家が、天皇に権利を返還した意味からも、英語では、「the Meiji Restoration」と称されます。

イギリスの王政復古は、オリバー・クロムウェルの共和制が終わった後に、ピューリタン戦争の挙句、首を切られたチャールズ1世の息子チャールズ2世が、亡命先の大陸ヨーロッパから、イギリス王座に返り咲きを果たした事です。王政を無くしたものの、蓋を開けてみれば、護国卿のタイトルを取って国を牛耳ったオリバー・クロムウェルも、名こそ違え、王者のように君臨。国を真っ二つに割っての流血の挙句、作り上げたのは、別の形の王様。それどころか、ピューリタン議会の共和制は、クリスマスや芝居、お祭り騒ぎの廃止など、庶民には、色の無い、楽しみのないものとなり。それくらいだったら、昔ながらの王様の方が良いと、召還されたチャールズ2世。メリー・モナーク(陽気な王様)の異名を取った人物で、彫りが深い、ダークな顔立ちの美男子。背もかなり高かったカリスマ王です。チャールズ2世の王政復古期は、人文科学が発達した時代でもあります。

大晦日に読み終えた、去年最後の本は、ローズ・トレメイン(Rose Tremain)による「Restoration レストレーション」。チャールズ2世の王政復古の時代を生きた、陽気でおとぼけ、気は良いが誘惑に弱いロバート・メリヴェルを主人公とした物語です。この題名のRestorationは、チャールズ2世の王政復古時代を意味すると共に、王から恩恵を与えられたものの、それを失い、ほぼ無一文となりながら、再び人生を立て直し、本当の自分を見つける、メリヴェルという人物の復活、そしてそれにより、再び王の愛情と恩恵が返却される意味がかかっています。調べたところ、原作の日本語訳は、今のところ出ていないようなのですが・・・。1980年の作品なのですが、もう訳される事ないでしょうか。面白いのに。

ざっとしたあらすじは、

チャールズ2世の手袋を作る職人であった父を通して、医者ロバート・メリヴェルは、宮廷を訪れ、王に紹介を受ける。そして、両親が火災で死亡した後、メリヴェルは、王のペットの犬たちの医師として、宮廷に部屋を与えられるのです。乱痴気騒ぎと、冗談が大好きなメリヴェルは、チャールズ2世から、道化師の様に気に入られ、やがて、王は、自分の一番若い愛人シリアを、他の愛人の嫉妬から守るため、メリヴェルに形式だけの結婚をさせる。肩書き上は妻であるものの、シリアは王様のものであるので、絶対手を出さないという約束で、メリヴェルは、この結婚の結果、王からノーフォーク州にある大邸宅を与えられ、悠々自適の生活となるのです。唯一、訓練を受け才能もあった医学はすっぽかし、ノーフォークの田舎で、乱痴気騒ぎ、近くの屋敷の婦人と逢引。絵やオーボエの演奏を習い始めるものの、全く才能はなく。やがて、手を出さないと王に約束した、妻シリアの歌声の美しさがきっかけで、惚れてしまい、ある夜、思わず妻に言い寄ってしまう。メリヴェルに絵を教えていた、宮廷画家になる野心を持つ、画家フィンは、この事を王に通報。チャールズ2世は、怒り、ノーフォークの館をメリヴェルから取り上げる。

行く場所もなく、金も無くなったメリヴェルは、以前、王からもらった「メリヴェル、眠るな。」と刻まれたメスのセットを手に、医学生時代の親友ピアースが働く精神病院へとむかう。この精神病院があるのは、周りには何も無い湿地帯、フェンの只中。ピアースを含むクウェーカー信者達によって経営されている精神病院で、メリヴェルも、再び、昔の医学の知識を生かして働き始める。メリヴェルを大切に思っているものの、常々、彼の物欲、放蕩癖、王や宮廷への執着心、ひいては王政復古時代のモラルの無さ自体を批判していたピアースの影響で、メリヴェルは、徐々に貧しい中で、他人を助ける生活になじんでいく。が、狂人の一人、キャサリンに惚れられたのが運のつき。キャサリンの誘惑にひきづられ、身ごもらせてしまう。結核をわずらったピアースは、この騒動が表に出る前にメリヴェルに見取られ死亡。メリヴェルは、キャサリンと共に、病院を去ることとなる。

時は1665年、メリヴェルは、キャサリンを連れ、黒死病の徘徊するロンドンのキャサリンの母の元に身を寄せ、医師として活動を初める。キャサリンは、子供を自然に産む事ができずに、メリヴェルがメスを取り、帝王切開。娘のマーガレットは無事誕生、キャサリンは出血が止まらず死亡。黒死病騒動の最中、宮廷で仕事を得るどころか、落ちぶれはてたフィンと再会。メリヴェルはフィンが気の毒になり、共に、キャサリンの母の家で、3人暮らしを始め、キャサリンの母は字の書けない者のための手紙書き、フィンは、王侯貴族の肖像を描くのをあきらめ、ロンドンの商人たちの肖像画の仕事、メリヴェルは医者として、3人3様で、なんとか金を稼ぎ始める。

そして、1666年の夏の終わりに起こるのがロンドン大火。炎の中、メリヴェルは、部屋に入ったまま火事に気付かない耳の悪い婦人を助け出すのですが、これが、後に、王の職人の妻であったとわかり、王は、メリヴェルに再び、ノーフォークの館を返還するのです。王の友情を今度は人情で勝ち得たメリヴェルは、幼い娘マーガレットを連れて、ノーフォークの館へ踏み込み、物語は幕を閉じます。

私は、現存の作家による小説は、大体、この手の歴史小説が好きです。特に、作家により、よくリサーチされてあると、当時の社会背景やその描写が楽しめるので。たとえば、黒死病の時に、メリヴェルが住んでいた設定の家は、よーく歩く事があるチープサイドという通りにあった事になっていますが、これを読んだ後、チープサイドを歩きながら、当時の様子などを想像しました。でも、この小説、歴史的背景の他にも、ロバート・メリヴェルという主人公の人物像にとても共感が持て、彼は、最近読んだ本の中で、一番好きな登場人物です。小説の最初では、とんでもない放蕩者ですけれど。

ロバート・メリヴェルが語り手の、第一人称で書かれ、醜くちょいと小太りで、羽目をはずして大騒ぎ、みっともない事も沢山する彼が、そんな大失敗の描写も、何を隠すことなく、気取ることなく、時に自己諧謔的に綴っています。自己判断に正直で、自分の事を自分で笑える人間。笑い上戸で泣き上戸、どうしょうもないが、憎めない奴。だから、真面目人間ピアースも、なんだかんだ文句を言いながら、メリヴェルを唯一の親友としていたわけで。自分を裏切ったフィンの様な人物も、憎み通す事ができずに許してしまうし、緊急事態に陥っても、彼の中にあるユーモアが消えきらないところもあり。メリヴェルがチャールズ2世を大好きな理由のひとつに、亡命時代の苦労話を長々して、周囲のものを退屈させたりするような事を一切しない、苦難を笑い飛ばす性格をあげていました。

ピアースとメリヴェルの変てこな友情は、結構心にくるものがあります。常に、悩みや問題をピアースに打ち明け、鼻で笑われたり、非難を受けたり、諭されたりしていながらも、彼の助言を心の支えにしていたメリヴェルは、ピアースが死んでしまった後、「ピアース、自分はどうしたらいいか?」と心で聞いても、何も返って来ない、あるのはピアースの沈黙だけ・・・と感じる。私の親友はやはり、うちのだんななので、先立たれたら、きっとそんな気分になるのでしょう。

ノーフォークで絵や音楽を試みる際に、絵を描くために、レンブラントの着ていたような帽子とスモックをわざわざしつらえて着用したものの、その才能たるや、まったくだめ、というのもおかしかった。レンブラントの衣装はともかく、メリヴェルの外見、私の頭の中では、レンブラントの自画像の人物というイメージ。

黒死病、ロンドン大火と、度重なる災害に出くわしながら、ロンドンでの、メリヴェルの周囲のキャサリンの母や、フィンなどの人間たちが、七転び八起きのだるまさんのように、状況に対応しながら、自分の生活を作り直していくという、根本的に、アップビートなのりがある小説です。実際、焼け出された後のキャサリンの母とフィンは、避難先の広場で、持って逃げてきたわずかな所有品に囲まれながら、周りに座る避難民達と食べ物を分け合って談笑している描写もありました。この二人が登場するのは、これが最後のシーンなのですが、生活を共にするうちに仲良くなった二人は、この後、おそらく結婚して、新しく人生を立て直すだろうというニュアンス。これも、またレストレーションです。

この小説が、とても気に入ったので、新年そうそう、その後の話、「Merivel: A Man of His Time ( 時の人、メリヴェル)」をキンドルにダウンロードして、続けざまに読み始めました。今、調度、中間地点、こちらも面白いです。

当小説は、1995年に映画化されています。英語の原題は「Restoration」と本の題名と同じなのですが、邦題は、「恋の闇 愛の光」と、得体の知れないもの。原作が、とても気に入ったので、見たらがっかりするだろうな、と思いながら見たら、やっぱりがっかりでした。

映画のメリヴェルは、チャールズ2世の役の方があっている、と思える顔立ちのロバート・ダウニー・ジュニア(Jr)。それ自体、かなり違うと感じた上、後半のメリヴェルが、思いっきり改心して、なんだか、いきなり聖人かヒーローの様になってしまい、おとぼけ、おちゃらけ面が一切なくなるのも不満でした。また、原作では、気違いキャサリンを、メリヴェルは、最後まで愛せないのですが、映画では、なんだか、もっとロマンチックに描いてあるし。映画の中のキャサリンは、メグ・ライアンですから、男なら愛さずにいられない、ちゅうわけでしょうか。衣装には金かけてる感じですので、タイムトラベルはできますが、いいのはそれくらいです。原作を読まずに、最初から批判的なまなざしを向けていないと、それなりに楽しめるのかもしれません。

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さて、歴史小説は好きではあるのですが、長さ的には、500ページを越えると、ちょっと長いぞ・・・と感じる今日この頃。比較的長い、ヒラリー・マンテル(Hilary Mantel)による、ヘンリー8世時代の、トマス・クロムウェルを主人公とした、2作「ウルフ・ホール Wolf Hall」「罪人を召しだせ Bring up the Bodies」(3部作となる予定)は大変な話題ではあったものの、手をつけずにいました。が、この1作目「ウルフ・ホール」を、BBCがドラマ化し、今月からテレビにお目見えするというので、調度良かった。米で映画化されるよりも、BBCのドラマ化だったら、6回に渡る放送だそうなので、時間的にも長いし、地味で、もっと重厚な仕上がりかな、と楽しみにしています。

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