博士と彼女のセオリー(The Theory of Everything)

筋萎縮性側索硬化症(Motor neurone disease)により、体の自由が利かない、イギリスの車椅子の物理学者、スティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking )。

以前、テレビで、スティーヴン・ホーキング自身が語る形式の、彼のこれまでの人生のドキュメンタリーを見た事があります。両親は双方オックスフォード大出身のインテリ家庭に生まれ、お父さんは熱帯病の研究者。友達の話によると、子供の頃から、彼の家の食卓では、子供たちも交えて、色々な話題の討論が繰り広げられていたとか。もう、小さな頃から、教えられた物事を鵜呑みにして丸覚え・・・というより、自分の頭でこなして、考え、自分なりの意見を形成し、それを臆せず喋る、という素養が、家庭のバックグラウンドでできてたんでしょうね。

彼自身も、オックスフォード大に進み、パーティー大好きで、あちこちのパーティーやお祭り騒ぎに顔を出しながら、勉強量は、一日たったの一時程度だったとか。にもかかわらず、優秀成績で卒業。こんなのは、ブリンドン・クラブなどで大騒ぎをしながらも、オックスフォードを優秀で卒業したデイヴィッド・キャメロンなんかと同じ。ただ、キャメロンの取ったはものは、PPE(Philosophy,Politics and Economics、哲学、政治、経済)という学位なので、一般人にとっての、数学や物理系科目の難しさを考えると、この2人を比べたりしたら怒られちゃいますね。それにホーキング氏は、ずっと労働党支持者のようですし。スティーブン・ホーキングは、その後、博士号を取るためにケンブリッジ大へ。オックスフォード大の時代から、徐々に、時に体が思うように動かない事があるのに、気付き始めてはいたようですが、病気が判明するのは、ケンブリッジへ行ってから。そして奥さんとなるジェーンと出会うのもこの頃。

最初の奥さん、ジェーンもドキュメンタリーに登場していましたが、清楚で上品な印象。彼女は、彼の、にまっと笑う大きなスマイルにひかれたような事を言っていました。病気を承知での結婚後、ケンブリッジに落ち着き、3児をもうけたものの、スティーヴン・ホーキングの病気の進行に伴うプレッシャーはもちろん、常に外からの看護師が必要となった後は、24時間プライバシーの無い生活、また、ホーキング氏が有名になった事による、メディアや一般の注目をあびる生活に、奥さん、耐えられなくなっていき、2人の関係は悪化、離婚。その後、わりとすぐの、1995年に、スティーブン・ホーキング氏、自分の身の回りの世話をしていた看護婦のひとりエレインと結婚。この二人の女性を比べて、「なんで、ジェーンさんから、この人と?正気かい?」なんて思ったのですが、そのうち、この新しい嫁さんが、氏を手荒に扱って、彼の身体にあざがあるなどの噂があがり、警察沙汰にまでなり、2006年に離婚。現在は、一時疎遠となっていた、スティーヴン・ホーキングとジェーンさん、再び、交友を取り戻し、時々会っているようなので、とりあえずはめでたし、めでたし。

ホーキング博士といえば、あのコンピューターの声です。1985年に、スイスとフランスの国境近くに旅をした際に、氏は、肺炎にかかり、瀕死の状態に陥り、入院先の病院の医師から、「もう助からないから、ライフ・サポート・マシーンのスイッチを切ったら」と言われるものの、奥さん、頑なに拒否。この後、何とか生き延びたものの、氏はこれで、喋る機能を全く失い、やがて、いまや、彼のトレードマークの、コンピューターのボイス・シンセサイザーを使用するようになるわけです。彼が1988年に出版した、一般向け(?)天文学の本、「A Brief History of Time」(ホーキング、宇宙を語る)もこの後の話ですから、奥さんの決断がなかったら、この本も、世に出ていなかったわけなので、あっぱれ、奥さん、偉大なる決断です。この本は、経済的には、お金が必要であったという理由も手伝って書いたのだそうですが、ここまでの一大ベストセラーとなるとは、さすがに予期しなかったようです。

ドキュメンタリーの中で、「自分がやったことより、自分の身の不自由さの方が有名な感じもする」というような感想を、スティーヴン・ホーキングがちらっともらしていましたが、一般人にとっては、難しい物理の話より、そういう状態の彼が、ここまでやったという達成の物語の方がアピールが強いのは、当たり前かもしれません。「A Brief History of Time」(ホーキング、宇宙を語る)は、物理の本としては画期的なベストセラーでありながら、「よし、読んでみるぞ」ときばって手にしたものの、やはり難しく、最初の方でくじけてしまい、本棚に飾ってあるだけ・・・という人が多いという話です。それにしても、大学院時代、余命2年程と言われながら、毎日、今日が最後の日かも、と思いながら、気がつくと、72歳。不運の中の幸運ですね。「生きようという意志が、とても強い人間だ」と、ドキュメンタリーの中で言っている友人がいました。

と、前置きが長くなりましたが、

スティーヴン・ホーキングと彼の前妻ジェーンの物語を綴った、「The Theory of Everything」(邦題:博士と彼女のセオリー)を映画館で見てきました。映画は、ジェーンの自伝をもとにした彼らの半生。演じるは、ホーキング博士は、エディー・レッドメイン(Eddie Redmayne)で、ジェーンは、フェリシティ・ジョーンズ(Felicity Jones)。ポスターの感じから、この映画、ロマンチックすぎ、おセンチな内容かもしれないな、と思いながら見に行ったのですが、綺麗ごとだけで済まされない、身体障害の夫を持った家庭の大変さを、比較的リアルに描いていて、期待していたより、はるかに良かったのです。

筋萎縮性側索硬化症で、2年生きられるかどうか、と医者から告げられたものの、それを承知で「愛しているから」と結婚するジェーン。2年を越えて、体の不自由がどんどん失われるものの、学者としての生活を続け、生き続け・・・それは、それで、めでたいのだけれど、ジェーンは3児の育児と、家事、スティーブンの身の回りの世話で、どんどん疲れ果て、笑顔を失っていく。そして、敬虔なクリスチャンのジェーンが、教会のコーラスを通じて知り合ったジョナサンが、家族の一員の様に、家のきりまわりを手伝ってくれるようになると、彼女は、徐々に彼に心がひかれて行くのです。一方で、スティーブンは、看護婦として雇われた、気さくなエレインと意気投合し始める。やがて、二人は、別居、それぞれの道を行く・・・となるわけ。映画内では、問題のあった、ホーキング博士の2度目の結婚には触れていません。ジェーンは、後にジョナサンと結婚。

惚れたはれただけでは、どうにもならない状況の中で別れる事となったものの、25年の結婚生活、出来る範囲で、研究を進め、生活面でも普通の事を楽しもうという博士の態度もさる事ながら、それが可能な環境を作り続けた奥さんもえらかったですよ。また、博士が、生活に疲れた奥さんから笑顔がなくなる中、日常に気軽さと笑いを再導入してくれたエレーンにひかれていった理由も、この映画を見ると、わかる気がします。

コンピューターのボイス・シンセサイザーの声を始めて聞いたジェーンの、「アメリカ英語だわ!他のアクセントのものはないの?」という発言は、場内の笑いを買っていました。イギリスではアメリカ風アクセントと言われるこの声、アメリカでは、北欧風またはアイルランド風アクセントと思われる事もあるとか。同時に、米国内では、彼をアメリカ人だと思っている人がいるという話も以前聞いたことがあります。北欧系、アイルランド系の人たち、アメリカには沢山入るでしょうし。ちなみに、ボイス・シンセサイザーのアメリカ人発明者は、義理のお母さんが、やはり同じように言葉を失った事から、必要は発明の母なりで、このシンセサイザーを開発。博士の苦境を知って、連絡を取ったという事です。

映画最後は、ホーキング氏、女王から大英帝国勲章(CBE)を、受けるため、ジェーンと共に女王に謁見するのですが、この後、ジェーンは、リベラル思考で、人間平等を唄う傾向のホーキング氏に向かい、ちょっとからかうように、「ナイト(サー)の称号の声がかかったら、それは辞退した方がいいわよね。」そして、映画の最後の説明によると、確かに、この後、彼、ナイトの称号を辞退しているのだそうです。

視覚的には、ロケ先のケンブリッジが綺麗ですし、60年代のシンプルな形のドレスなんかもいいです。

ずっと昔、「マイ・レフトフット、My Left Foot」という映画を見に行った事があります。ダニエル・デイ・ルイスが、脳性麻痺のため、左足しか動かす事のできなかった、アイルランドの作家、クリスティー・ブラウンを演じたもので、ダニエル・デイ・ルイス迫心の演技で、とても良かったのですが、エディー・レッドメインの、スティーブン・ホーキングが歩けなくなってしまってからの演技を見ながら、なんとなく、あの映画を思い出していました。そう思ったのは、私だけではなかったようです。何人か批評家が、「マイ・レフトフット」に言及してましたから。こういう、体が不自由な人間の役って、役者にとっては、体当たり、腕の見せ所、っていうのはあるかもしれません。

この映画を見た本人ジェーンさんの感想を、ラジオで聞きましたが、エディー・レッドメインのスティーヴンもさる事ながら、自分役をやったフェリシティ・ジョーンズが、とても上手く、喋り方、しぐさなどを良く研究していて、本当に若い頃の自分を見ている様だったと。映画自体は、多少の創造部分もあり、最後の場面なども、成長しているはずの子供たちがまだ小さかったりと、時間的におかしい部分もあるけれど、自分達が経験した感情的には、とても真実に近い映画で、見ながら、思い出で、目がうるうるしたようです。自分ひとりでスティーヴンと子供たちの世話をしている時は、本当に心身限界に達し、ジョナサンが現れ、手を貸してくれなかったら、自殺をしていてもおかしくなかったので、身体障害者を抱えた家庭から、生活補助を取り上げようとする政府の方針は良くないとの批判も入れていました。また、スティーヴンの病気を承知で結婚したのも、60年代、70年代の共産圏との冷戦時代、原爆を落とされて、明日には、自分だって死ぬかもしれないから、やりたい事はやらないと・・・の様な気持もあったのだとか。現在の世界を見て、第3次世界大戦が始まるんじゃないか、世界は崩壊するんじゃないか、と感じたりしますが、当時でもそういう危機感あったのですね。また、当時は、身体障害者が、外で活躍・・・という事がめづらしかったため、博士が有名になる前は、杖をついている時代はもちろん、車椅子になってからも、じろじろと見られたそうです。彼は、常に何か別な事を夢中で考えているタイプなので、ほとんど気がつかなかったようだ、というのですが、ジェーンさんは、いつも周囲のじと目がわずらわしかったそうです。

いずれにしても、身体障害の物理学者という重くもある題材を使いながら、前向きな気分になれる、とてもいい映画でした。

原題:The Theory of Everything
監督:James Marsh
言語:英語
2014年

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先日、テレビに「The Other Boleyn Girl(ブーリン家の姉妹)」がかかっており、何気なく最初だけ見ていたら、ベネディクト・カンバーバッチと、エディー・レッドメインが2人とも、比較的小さい役で出ていました。最初この映画を見た時は、気がつかなかったけれど。この映画自体もいまいちでしたしね。エディー・レッドメインが出たもので、私が一番良く覚えているのは、BBCでドラマ化したトマス・ハーディーの「テス」のエンジェル・クレア役です。骨ばった顔の人だな、と思いながら見ていた記憶があります。

2014年の、この二人のイギリス俳優主演映画、ベネディクト・カンバーバッチの「イミテーション・ゲーム」とエディー・レッドメインの「博士と彼女のセオリー」のどちらがいいか・・・私は、「博士と彼女のセオリー」を取ります。

ベネディクト・カンバーバッチと言えば、彼も、「Hawking」という題名のBBCのテレビドラマで、2004年に、すでにスティーブン・ホーキングを演じてるのです(上の写真)。なんでも、これが、彼のテレビでの初の大きな役だったのだそうで。映画「博士と彼女のセオリー」は、スティーブンとジェニーの関係が軸で、2人の生活のかなり長い期間を追っていますが、このドラマは、ケンブリッジ大での博士号の論文完成まで、病気の進行の恐怖と戦いながらの、彼の思考の発展に焦点を当てたものでした。

ドラマは、宇宙の始まりとされる、ビッグ・バンが実際にあったとする証拠と言われる、宇宙マイクロ波背景放射を録音し、発見したアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンが、1978年にノーベル物理学賞を受賞する直前のインタヴューから始まり、時々、この二人のインタビューが、ドラマの中で、とぎれとぎれに幾度か挿入されるのです。この2人の話が、ホーキングと何の関係があるんじゃ・・・と思っていると、最後で、綺麗につじつまがあうのですね、これが。宇宙の始まりに関する論文を仕上げたホーキングに向かい、ビッグ・バンと宇宙には始まりがあるという事を信じない学者が、一言、「ホーキング、ビッグ・バンがあった証拠は無いぞ。化石が無ければ、仮説に過ぎない。」。そして画面変わって、アーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンの前のテーブルに置かれたテープレコーダーから、「ザザザー」と流れてくる宇宙マイクロ波背景放射の音。「あ、なるほどねー、これが、ビッグ・バンを証明する化石か!」

この頃のスティーブン・ホーキングの様に、いつ病気が進行するか、いつ死ぬか分からないという恐怖は、本人にしか理解できないものでしょう。白血病の再発、治療を繰り返しているだんなを持つ私にも、彼が感じているだろう怖さと、貧乏くじをひいたというやりきれなさは、頭ではわかっても、本当のところでは理解できない。赤の他人なら、なおさら、他人事かもしれません。たとえ、同情心があっても、人間、他人が死ぬ事より、どんなに小さな事でも、自分のお腹が痛い、仕事が気に食わない、子供の成績が悪い・・・など、直接、自分に関わる事の方が、最終的には大切な問題なのです。「死ぬ可能性あるのか、気の毒に。でも自分じゃない。」そういう意味で、死の恐怖との戦いって、非常に孤独なものです。ぽっこり死なない限り、いずれは誰でも対面しなければならない問題ですが。

筋萎縮性側索硬化症だと医者から言われ、徐々に、体が自分で動かせなくなるようになり、時間はかかるが、やがて呼吸もできなくなる・・・と宣告され、それは、ゆっくりと溺死するようなものだ、と感じた、ホーキングが、風呂場のバスタブの中で、息を止めて何分間もぐっていられるかと時間をはかる場面が、ドラマの中、何度か出てきましたが、そんな孤独な戦いが伝わってくる場面でした。内部で感じる恐怖や失望を、外部には、ほとんど見せずに、意味あることをやった彼の精神の強さには、改めて、大したたまげたものがあるのです。

それにしても、角めがねをかけ、髪形を変え、ちょっと上向きににかっと笑うと、カンバーバッチも、レッドメインも、両方、それなりに若き日のスティーヴン・ホーキングに見えてしまうのが不思議です。

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