ヤヌス(Janus)の月に
January (1月)という名は、門を守る神、移行の神であると言う、ローマ神話のJanus(ヤヌス)から取ったという説があります。ヤヌスは、通常、2つの顔を持った姿で描写されており、ひとつの顔は過去を見つめ、もうひとつの顔は未来を臨んでいます。人間は、節目、切り目に、来し方行く末を考えるものですが、ヤヌスが過去と未来の門を守る1月は、それにもってこいの機会です。
「私には暗い過去がある」「過去は虹色だったのに、お先真っ暗」などと、過去や未来を、色や明るさで表現するのを良く耳にします。私は、過去は夜の色だと思うのです。タイム・マシンでもない限り、もう、手が届かない、取り返しのつかない、闇の中に飲まれてしまっているという意味で。その中に、いくつかの思い出が、お星様の様にかがやいているのではないかと。一方、未来は明け方の色。不幸が訪れる可能性もある、けれど、何か良い事も起こるかもしれないという期待もあり。不安の闇に、希望の淡い紅色が少しずつ広がっている、そんな感じです。節目と言うのは、一年もそうですが、もっと短い一日も節目ですから。
以前見たスペイン映画「ローサのぬくもり」の中で、老人が、明け方、アパートの窓から外を眺め、「夜明けだ。また別の一日。神が我々に、また一日を与えてくれた」とつぶやくシーンがありました。また、新年が迎えられて良かった。何かが出来る今という時間があって良かった。どうにもならぬ事をじめじめ考えるのも、つまらぬ事にうだうだ悩むのも、それこそ時間の無駄と言うものでしょう。バンジージャンプをするとか、エベレストに登るような過激な事をしないまでも、日常の中で、はっとする様な瞬間を作り、または、ちょっとがんばったな、と思える事をしていきたいものです。現在が、取り戻せない過去に移行してしまった時、背後についている私のもうひとつの顔が、数多くのきらきら星を眺められるような一日を、ひいては一年を送れれば、とヤヌスの月に思うのです。
「私には暗い過去がある」「過去は虹色だったのに、お先真っ暗」などと、過去や未来を、色や明るさで表現するのを良く耳にします。私は、過去は夜の色だと思うのです。タイム・マシンでもない限り、もう、手が届かない、取り返しのつかない、闇の中に飲まれてしまっているという意味で。その中に、いくつかの思い出が、お星様の様にかがやいているのではないかと。一方、未来は明け方の色。不幸が訪れる可能性もある、けれど、何か良い事も起こるかもしれないという期待もあり。不安の闇に、希望の淡い紅色が少しずつ広がっている、そんな感じです。節目と言うのは、一年もそうですが、もっと短い一日も節目ですから。
以前見たスペイン映画「ローサのぬくもり」の中で、老人が、明け方、アパートの窓から外を眺め、「夜明けだ。また別の一日。神が我々に、また一日を与えてくれた」とつぶやくシーンがありました。また、新年が迎えられて良かった。何かが出来る今という時間があって良かった。どうにもならぬ事をじめじめ考えるのも、つまらぬ事にうだうだ悩むのも、それこそ時間の無駄と言うものでしょう。バンジージャンプをするとか、エベレストに登るような過激な事をしないまでも、日常の中で、はっとする様な瞬間を作り、または、ちょっとがんばったな、と思える事をしていきたいものです。現在が、取り戻せない過去に移行してしまった時、背後についている私のもうひとつの顔が、数多くのきらきら星を眺められるような一日を、ひいては一年を送れれば、とヤヌスの月に思うのです。
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