ウイリアム・ハーベー

昨日のブログポストに載せた、小説「レストレーション」の主人公メリヴェルは17世紀イギリスの医者でしたが、彼の親友で、やはり医者のピアースがいたく崇拝していたのが、ウイリアム・ハーベー。ピアースは、この尊敬する人物の名を取り、働いていた精神病院の病棟のひとつをウイリアム・ハーベー棟と名づけるのでした。医学者ウイリアム・ハーベーの名は、この小説を読む前から聞いたことはあったのですが、もっと後の時代の人かと思っていました。そこで、ついでに、ちょっと彼について調べてみる事にしました。

ウイリアム・ハーヴェー(William Harvey1573-1657)は、イギリス人医学者。血液は、心臓から出て、体内をめぐり、心臓に戻る、という、血液循環説を、初めて、明確に唱えた人物として知られています。この理由から、小説内で、ピアースは、「ウイリアム・ハーベーを自分の体内に感じない日は、一日も無い。」などと言うのです。

ハーベーは、イギリスはケント州の生まれ。ケンブリッジ大、そして後、パドヴァ大学で学び、パドヴァでは、解剖学で名高い医学者ジェローラモ・ファブリツィオ(Girolamo Fabrizio、別名はヒエロニムス・ファブリキウス Hieronymus Fabricius)の教え子となります。ファブリツィオは、解剖を行いつつ、生徒に講義を行う解剖劇場なるものを、一番最初に、1594年にパドヴァ大に設立した人物でもあり、彼が、血液は一方通行で流れる事などを発見していたのを、ハーベーが更に、研究を推し進め、血液循環説に至る次第。

イタリアを去った後のハーベーは、1602年にイギリスで医者となり、エリザベス1世の主治医であった人物の娘と結婚。1618年には、ジェームズ1世の主治医となり、後には、ジェームズ1世の息子チャールズ1世の主治医。両王からの奨励もあり、動物の解剖などを通して研究を続けます。当時は、解剖のための人間の死体の入手がなかなか難しかったようで、なんでも、ハーベーは、自分の父と姉の死後、彼らの死体の解剖も行ったということです。当然、生前、本人達から許可を取ってのことではあるようですが。研究の結果、1628年に発表するのが、Exercitatio Anatomica de Motu Cordis et Sanguinis in Animalibus (動物における心臓と血液の動きの解剖学的研究) 。この文献において、血液循環のシステムを説明。

こうして、王室と深く関わった人物であったため、清教徒革命(ピューリタン革命)の際には、敗れてしまった王党派。オリバー・クロムウェルの共和制の後、チャールズ2世が王座に返り咲く、1660年のレストレーション(王政復古)を見ることなく、1657年に亡くなっています。ハーベーは、また、人間を含む哺乳動物も受精した卵から子供を作る、という説を唱えた最初の人物でもあったといいます。

小説の話にもどると、生涯、所持品の非常に少なかったピアースが、大切にしていた物のひとつが、ウイリアム・ハーヴェーによる本「De Generation Animalium」(動物の生殖について)で、メリヴェルがピアースの死後、遺品として受け取るのも、この本。

また、主人公メリヴェルは、ウイリアム・ハーベー同様、ケンブリッジ大で学んだ後、4年間、パドヴァで、ファブリキウス(ジェローラモ・ファブリツィオ)に学んだ事になっており、事ある毎に、パドヴァ大学の解剖劇場で受けた、ファブリキウスからの講義を思い起こし、師の言った言葉を引用するのです。特に、「自然を忘れるなかれ!自然は、諸君よりも、ずっと優れた医者であるのだから。」という言葉は何回か、繰り返されていました。実物のファブリキウスが、本当にのたまった言葉かどうかは、未確認です。ファブリキウスは、1619年に亡くなっているので、小説内のメリヴェルの年から考えると、彼が赤ん坊の頃に死んでいる事になるわけなので、ちょいと時代にずれがあるんですけどね。まあ、その辺は作家の創造の自由という事で、あまりガーガー言っても仕方ありません。

また、この小説の中、メリヴェルと友人ピアースが、胸に穴が開いており、そこから心臓が見える人物の、生きている心臓に触るというシーンがありました。人間の内部にある臓器は、痛みに鈍感であるそうで、心臓に触れられた人物は、一切、何も感じないという設定。この嘘の様な話は、実際、ウィリアム・ハーベーが経験した事として、彼の手記に似たような話が残っており、筆者は、そこからアイデアを得たのだそうです。

血液が、自分の体内を休みなく流れるのを感じる時、ウイリアム・ハーベーを思いましょう。

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